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 進むほどに奥は深く、先が知れない。
 潮流渦巻く回廊内を、半ば彷徨うようにメビウス達は歩いた。行く手を遮る海流に手を焼きながらも、その都度地図に書き込まれる迷宮。その全容が次第に明らかになる頃にはもう、歩いては引き返せぬ距離をソラノカケラは踏破していた。
「大丈夫かい? カナエ嬢。メビウス、少し休憩しよう」
「賛成。幸い、少し戻れば安全そうな部屋がある。モンスターの気配もなかったし」
「やっぱ、あのお嬢ちゃんからテントを貰っちゃうべきでしたね、隊長」
 両手に地図を広げるメビウスは、仲間達の声に振り向いた。
 めいめいに小休止を訴えるパーティの面々は、誰もが一人の少女へ視線を投じている。その気遣いに恐縮してか、嫌に固い笑みを引きつらせてカナエが弱々しく微笑んだ。
「ア、アタシは大丈夫です。少し頭痛がするだけで……それよりメビウスさん」
 血の気の失せた白い顔で、カナエは震える指を差し出した。
「あの三叉路を右にいくと、潮の流れがあって……その先に、開けた場所があると思うんです」
「まさかカナエ、また記憶が? 大丈夫、少し休もう。無理に急ぐ必要もないよ」
 そっとメビウスはカナエの手を取り、指差す腕を下ろさせる。
 星詠みの少女は小刻みに震えていた。
 危険が渦巻く未知の迷宮探索に加えて、謎の少女オランピア……あれこれと思案にくれていたメビウスは、自分のうかつさを呪った。考え込むあまり、カナエの異変に気づいてやれなかったのだ。
 だが、状況はメビウス達に立ち止まることを許さなかった。
「ん、メビウス。グリペンの猫が何か……ほら、また」
 スカイアイが不意に、耳に手を当て天を仰いだ。逆にグリペンは己の分身をなだめつつも、躊躇なく床に伏して地面へ耳をつける。冒険者が猫の愛称で頼る剣虎は今、何かを察知してそれを訴えるように唸っていた。
 メビウスもカナエも、静かに耳を澄ませる。
「! メビウスさん、人の声がします! ……誰かが、泣いてる」
「ぼくにも聞こえた。しかも、この声……まずいっ!」
 咄嗟にメビウスは一人駆け出していた。先程カナエが指し示した道へと。同時に肩越しに振り返り、
「グリフィス、みんなと一緒にカナエを守って。グリペン、猫を……ぼくだけで先行するっ!」
 すぐさま主の声なき声に応えて、剣虎がしなやかな体躯をメビウスに並べてくる。背中で仲間達の頼れる声を聞きながら、メビウスは一陣の風となって馳せた。彼女を駆り立てる泣き声は今、徐々に近付いてくる。それが誰の声か確信を得た時には、それを取り巻く者達の嘆きさえ拾えた。
 カナエが言う通り、三叉路を折れて渦巻く潮流に飛び込む一人と一匹。
「何が、何があった! トライマーチ、何が……っ!?」


 転がり込んだ広間の真ん中に、惨状は広がっていた。
 血相を変えて叫ぶメビウスに、振り向くエミットの疲れた顔が首を横に振る。周囲には巨大な古代魚のなれの果てが無数に転がり、それの命を奪った冒険者達以外生ける者はいない。死ばかりの静寂を引き裂くように、エミットの胸に抱きつきリシュリーが大声で泣き喚いていた。
「メビウス、貴公もか。私達はどうやら一杯喰わされたようだ……あの小娘に、オランピアとやらに」
 吐き捨てるような言葉を紡ぐや、エミットは唇を噛んでリシュリーを抱き締める。
 その傍らでトライマーチのモンクの少女が、疲労困憊の顔をメビウスへと向けてきた。背後に立つファーマーの少年もまた、その視線を追って絶望に曇った瞳を向けてくる。
 トライマーチの面々が囲む中心に、浅く呼吸を刻む流血の矮躯が横たわっていた。
「アガタ……くっ、処置は? ヒールを代わるっ、ぼくならまだ余力が」
「無駄だ、メビウス。……もう助からない。この出血だ、持ってあと数分――」
「諦めるな! ぼくは諦めない。よりにもよって……カナエに何て言えばいい? ぼくはっ」
 メビウスは連れる剣虎に部屋の入口を見張らせるや、勢い良く地を蹴った。呆然と力を使い果たしたモンクの少女、確かまなびとかいう娘をどかせて場所を代わるや、腕まくりして精神力を集中させる。癒しの術を発現させれば、たちまち道中の蓄積した疲労度が悲鳴をあげた。
 だが、メビウスは全力を振り絞ってアガタの傷を塞いでゆく。
「全ては罠だったのだ。この場所は深都とやらへ続く道ではない。……まるで冒険者の墓場だ」
「おっきな古代魚がたくさんいて、わたくし達を襲ってきましたの。アガタ様がわたくしを庇って」
 エミットの声も、リシュリーのしゃくりあげる泣き声も意識から遠ざかる。文字通り身を削って精神を搾るように、メビウスは歯を食いしばってヒーリングに専心した。
 自身の長い冒険者としての経験を、それが告げる結末を振り切るようにメビウスは術を行使する。
 だから彼女は気付かなかった。追いついてきた仲間達に、剣虎が一声鳴くのに。
「――アガタッ! いっ、いやぁぁぁぁ! アガタ、アガタッ!」
 真っ先に悲鳴をあげたのは、いよいよ顔の色を失うカナエだった。彼女は取り乱してメビウスの隣に滑り込むや、冷たくなってゆくアガタの身体をゆする。とめどなく溢れる鮮血に汚れるのも構わず。
 場の空気を察してか、スカイアイやグリフィス、グリペン達も俯き黙る。
 タリズマンだけがただ、「くそっ!」とやり場のない怒りをぶつけるように、珊瑚の壁を拳で打った。
「カ、カナエ……どうして、ここに? ゴメン……親父さんの遺品、みつから、なかった……」
 今にも事切れそうな、アガタの虚ろな呟き。
「アガタッ! そんなこといいの、もういい……父さんはここで、アタシの目の前でっ!」
「カナエ? 記憶が、戻っ……そう、か。だからオイラ、嫌だったんだ。薄々、気付いて、た……」
「そうよ、今思い出したわ。全てを。それなのに、全部思い出したのに……あなたを失ってしまう!」
「泣くなよ、カナエ……誰だよ、お前を泣かしてるの。オイラが、そいつを、昔みたいに……」
 メビウスは二人の今生の別れを聞きつつ、それを否定するように意識を研ぎ澄ませた。気を抜けば気絶しそうになる中、もどかしげにポーチの中へアムリタをまさぐる。今はまだ希少な回復薬を口に含んでは、メビウスはアガタの傷を塞ぎ続けた。
 しかして、次第にアガタの呼吸は静かになってゆき、その声は途切れて――
「アガタ? うそ、やだ……アガタ、アガタッ!」
「……大丈夫、血は止まったし呼吸も脈拍も安定した。カナエ、アガタは助かるよ」
 大きく息を吐き出し、メビウスは額の汗を手の甲で拭った。
 無理を無茶で押し通した施術のおかげで、辛うじてアガタは生きながらえた。
「メビウス、貴公……無謀だぞ。限界を超えて術を使えば、術者の身体が持たぬ」
「まあ、我等がリーダーは昔からこの調子だからね。その為に俺達がいる訳だし」
 半ば呆れたように怒り出すエミットへと、ソラノカケラの面々は揃って頼もしい笑みを零す。死の影が払拭された場に、生を繋いだものへの賞賛が満ち満ちていった。
 焦燥に脱力しつつも、メビウスは安堵の笑みでカナエの泣き顔を迎える。
「もう大丈夫だよ、カナエ。大丈夫」
「メビウスさん……ありがとうございます! ありがとうございます……本当に」
 ふらり立ち上がってよろけるメビウスは、気付けば側にいたスカイアイに支えられる。
 極度の疲労に重い身体はしかし、胸の内に激しい炎を燃やしていた。純然たる、決然たる、それは怒り。
「それより……グリフィス、周囲を調べて。丹念に。タリズマン、グリペンも」
「もうやってるよ、メビウス。エミットさん達があらかた調べ尽くした後みたいだけど」
 グリフィスはそれでも、他の仲間達と手分けして屈みこむ。この部屋のアチコチに散らばるのは、既に白骨と化した冒険者達の骸だった。そこかしこに墓標のように、剣や槍が突き立っている。
 運が悪ければトライマーチもソラノカケラも、この地に眠る者達の仲間入りをするところだった。
「メビウスさん……アタシ、全て思い出しました。父さんも、あのオランピアって人に」
 静かに、しかし噛み締めるように一字一句をカナエは確かめ呟いた。
「おかしいです。アタシはまだずっと小さかったのに。あの人は、オランピアは今と一緒だった」
「つまり、昔からオランピアは冒険者達を助けるふりをして……こうして、闇に葬ってきた」
 メビウスが導き出した解答に、エミットが首肯を返して大きく頷く。
 何故? どうして? 何の為に? オランピア自身の謎も含めて、問い詰める必要があるとメビウスは感じていた。必要ならば……否、かろうじて命を拾ったアガタを見れば、言葉で問う前に拳を突きつける必要すら感じる。
「メビウス様、戻りましょう……あのオランピアという方に、色々お聞きしなければいけませんわ」
 ぐいと涙を拭って、リシュリーがエミットから離れた。
 その堂々たる立ち姿に、メビウスもまた友の肩を借りつつ共に並んだ。

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