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 騎士というのは武勇は勿論、礼節や品性、教養を持たなければいけない。ラプターは常日頃から礼儀作法には気をつけているつもりだし、弟がニヤニヤ笑ってもお茶や音楽、花を愛でてみたりもした。それでも、実際にそこから得た技能を動員するのは緊張するものである。
 まして、相手は今まで物語の中でラプターをささやかに後押ししてきた、小さな憧れの存在だからだ。
 多くのギルドが定宿とするアーマンの宿屋、その賑わう大食堂の片隅にその優美な背中は立っていた。
「オンディーヌ伯デフィール公、少しよろしいですか?」
 ラプターの声に、一回りほど年嵩の麗人が振り返る。その仕草は次には、典雅な声で、
「っと、貴女は確かソラノカケラの……どうしました、騎士ラプター・マーティン」
 確かにラプターを騎士と呼んだ。その嬉しさに思わず緩む頬を引き締めれば、目の前でエトリアの聖騎士は不思議そうに小首をかしげる。
 そう、この仰々しい名前がエトリアの聖騎士の本名。もっとも、オンディーヌ伯などと言ってもいわゆる辺境貴族、ド田舎の出である。だが、ラプターにとっては爵位持ちの立派な貴族様だ。
 何より、自分が幼い頃に物語に聞いた、栄えあるパラディンだった人なのだ。
「あっ、あの、エミット殿と模擬戦の約束をしてるのですが」
「ああ、そういえばそんなことを言ってたわね。……あら、こんな時間? 遅いわね」
「というと、まだ世界樹の迷宮に? 確かメビウスの姐御と……っと、メビウス殿と」
「そうね、本当ならもう戻ってる時間なのに。それより、騎士ラプター」
 取り出した懐中時計にチラリと視線を落として、デフィールは僅かに目を細めた。
 この場にいる誰もが、ラプターを除く誰もが気付かない。ここに今、伝説のエトリアの聖騎士がいることを。本人にも喧伝する気がないのか、その姿は飾り気がなく、吟遊詩人が歌う白銀の甲冑姿ではない。ラプター同様、ごく普通の実用度を重視した鎧だ。代名詞ともいえる三竜の鱗より削りだした剣も今はない。
「今のオンディーヌ伯はあっちよ、あっち。ま、そんなに畏まらないでちょうだい」
「は、はあ」
 デフィールが指差す方向へと、ラプターは少し拍子抜けしながら首を巡らせる。
 そこには一組の少年少女が和気藹々とテーブルに座って、なにやら書類を整理しているようだ。
「つくねさん、伝票はボクが全部目を通しますから」
「じゃあ、帳簿の方はおじ様方がやってくださったので、私はお洗濯をしてきますね」
「あ、いや、そんな雑用はっ! ……宿屋の方がやってくださいますから。だ、だからその」
「まあ、そうですか? じゃあ私、お茶でもいれてきますね」
 そこだけ桃色の空気で甘ったるい香気を発散する光景に、ラプターは思わず表情を失った。背景には花が咲いている。ように見える。
 隣でデフィールが肩を竦める気配が伝わった。
「そ、そそ、そうだ、もうすぐ片付きますから。街に出てみませんか、つくねさん」
「はっ、はは、はいぃ……さ、誘って戴けるなら。私、どこでもお供します」
 おままごとのようなその一連のやり取りに、何だか砂を噛んでいるような気分になるラプター。この幼年学校レベルのお付き合いを繰り広げているのがしかし、
「現オンディーヌ伯リュクス、私の息子。あとあれが嫁ね」
「はあ。あ、では爵位は」
「とっくに譲ったわよ。ついでだから剣も。ほら、この地方だと槍を使うでしょう?」
 馬上でしか使ったことないのよね、とデフィールは笑っている。確かに今、ラプターの前でキャッキャウフフと出てゆく男女、その片割れは腰に豪奢な鞘の剣を佩いている。もし弟が見たら卒倒しそうな程に、持ち主の美少年には不釣合いだった。
 それは振るう者が振るえば、あらゆるモノを断ち、裂き、割る……いわゆる伝説の剣なのだから。
 ラプターは模擬戦の約束も忘れて、アハハウフフと出てゆく若者を見送った。
「ま、そゆ訳だから騎士ラプター。私のことはデフィールで構わなくてよ? いいかしら」
「! で、ではわたしのこともどうかラプターと……その、まだ正式な叙勲を受けた訳では」
 口ごもるラプターはしかし、デフィールの人差し指で唇に封をされた。
「貴女が騎士かどうかは、貴女と私が決めるわ。メビウスから聞いたわよ? 立派じゃない」
 どうやら先日の一件は、デフィールの耳にも入っていたようだ。そしてどうやら、好意的に迎えられているらしい。曖昧な返事を零すラプターの背を、ポンとエトリアの聖騎士は叩いて微笑んだ。
 それでも、と言葉を続けるラプターはその時、ふとデフィールの背後に人がいるのに気付いた。
 大食堂の一番隅、今しがたデフィールと相対していたその人物は、酷く煤けて地味な着衣で椅子に座っていた。先程デフィールの一人息子を、そのいかにもプリンス然とした容姿と着こなしを見たせいか、ラプターには目の前の青年の職業がなかなか頭に回らなかった。
 視線に気付いたのか、思い出したようにデフィールも振り返る。
「っと、話の途中だったわね。ごめんなさい。でも、ええと、クフィール殿下」
「あ、いや、殿下だなんて」
「いいえ、殿下。殿下が王子かどうかは、貴殿と私が決めることですわ」
「……俺は、俺には、もう……そんな資格はないかもしれません。でもっ」
 歳の程は見た感じでは、ラプターと同年代だ。そしてよく目を凝らせば、薄汚れてはいるがその身なりは立派なもので、その職業がプリンスだと言われても不思議はない。
「ご無理を承知でお願いします。俺をトライマーチに……エトリアの聖騎士、貴女のところに」
「そう申されましても、殿下。……うちにはリュクスもリシュリーちゃんもいるのよね、これが」
「亡国の王子が出過ぎたことをと、自分でも解ってはいます。それでも」
 その青年、クフィールの主張はこうだ。曰く、国が滅ぼされた際に散り散りになった一族を探しているという。そして世界中に生き別れた者達と再会するには、ここで……世界樹の迷宮で名をあげるのが最も手っ取り早い。それも、伝説の英雄が籍を置く名門ギルドならば尚更。
「国を、民を焼かれました。この上で尚、俺にできることがあるとすれば――」
「あるとすれば? 殿下、一族郎党を集めて再起をお考えで?」
「……いえ。勝敗は決しました。もはや統べるべき故郷も、守るべき民もありはしません」
 不意に俯いていたクフィールは、表情を引き締め面をあげた。
 その目が何故か、強い光を湛えてラプターの心を射抜いていた。
「俺に残された義務は、血族を纏めて……どこかで静かに暮らさせてやりたいのです」
 特に兄を、と彼は再び目線を落とす。
 困り顔のデフィールが腕組み眉をひそめるのを、隣に見取ってラプターは気づけば身を乗り出していた。確かにこれは、デフィールならずとも捨て置けない。しかし彼女はトライマーチの実質的なギルドマスター。決められた人数の中で、バランスよく構成員を集めていかなければいけない。
 何より、ラプターはプリンスやプリンセスがいなくて困ってるギルドを一つ知っていた。それも、自分が所属する隠れた名ギルド……いまや元老院の信頼も厚い海都の一番槍だ。
「ならば、わたしに命じていただけませんでしょうか? ……いいえ」
 気付けばラプターは、両手をテーブルに突いて上体をグイと押し出していた。そのまま、良く見れば整った顔立ちの青年をじっと見詰めて顔を近づける。互いの呼吸が感じ取れる距離で、はたと気付いてラプターは数歩下がって跪いた。
「わたしにお命じください。……世界樹にその名を轟かせよ、と。どうか、我が君よ」
 自分でも不思議に思うほど、美辞麗句がすらすらと口を突いて出た。
 魂が震えるほどの、予想外の感動。
「あ、あの……どうか面をあげてください。俺は、騎士を得られるような人間では……禄だって」
 慌てて立ち上がったクフィールが、膝を突いて手を伸べてくる。
 たとえ捨扶持でもいいとラプターは思った。騎士の名誉以外なにもいらない、寧ろ自ら進んで王子の誇りを支えたいとさえ感じていた。今、運命を信じる気にさえなっていたのだ。
「勅命を得てこそ騎士。……ま、よければ殿下。どうか彼女を召抱えて、ソラノカケラに」
「ソラノカケラ? それは道中で聞いたことが。では、リボンの魔女もこのアーモロードに?」
 御意、と短く応えてラプターは顔をあげる。
 目の前のどうしようもなく頼りない、しかし確固たる意思だけは決然とした瞳を見詰める。クフィールは恐らく、先程述べた高貴なる義務の為なら、何でもやる覚悟なのだろう。事実、どこか王子にはあるまじきうらぶれようは、今までもそうしてきたことを無言で物語っている。
 亡国の王子が一族の全てに、安寧と平和を望んでいる……自らも静かな暮らしを願っている。
 そういう男に仕えるのもいいとラプターは思った。寧ろ、クフィールだからこそと。
「さて、殿下。これなるは騎士ラプター・マーティン。ま、腕と素性は保障しますわよ?」
 勿論、ソラノカケラのギルドマスターがいかなる人物で、どのような処遇が待っているかもデフィールは詳細に語った。だが、それはラプターの耳には入ってはこなかった。
 ラプターはただ、差し出される手に手を重ねて立ち上がると、騎士の命である主君を得た。

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