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 海都一番の酒場、羽ばたく蝶亭は正午を迎えて活気に満ちていた。雑多な喧騒の中を今、青年は人数分のグラスを手にテーブルへと戻る。名はイーグル、腰に剣を佩くウォリアーだ。
 目当ての席はすぐに見つかる……いつでもどこでも、イーグルの姉は目立つから。別に取り立てて奇異な容姿などではない。贔屓目に見ても普通の、どこにでもいる年頃の娘だとイーグルは思う。目立つのは、その言動。
「今日は助かりました、マーティン様。ほら、みんなもお礼をしなくちゃ」
「いやいや、いいの! いいって、いいから。あと、わたしはラプターでいい。な?」
 ファーマーの少年少女達を前に、しきりに照れてツインテールを揺らしている重装騎士がイーグルの姉だ。鈍金色のよく手入れされた甲冑が、彼女が髪を梳くたびに輝きガシャリと音を立てる。
 いい気なもんだと思う反面、明朗快活で竹を割ったような姉がイーグルは好きだった。
 その胸の奥にしまいこんだ想いも、背負った決意も良く知る故に。
「ホントに気にしなくていいからな、レヴ。……だっけ? えっと、そっちから順に」
「従兄弟のシェルパ、こっちの娘達がチェブラシカとルスラーンです」
 イーグルが良く冷えた果汁茶を渡せば、ファーマー達は揃ってペコリと頭を下げた。皆が皆、片田舎からのおのぼりさんだ。もっとも、イーグルたち姉弟も似たようなものだが。
 その中にあって不思議と、農夫達を仕切る年長らしき少年には妙な存在感があった。
「心から感謝を、騎士様。初めての世界樹で、つい採取に夢中で油断していたところです」
 自然とリーダー風のレヴが改めて先刻の出来事を振り返れば、その仲間達も口々に「ねー」「凄かったよねー」「ああっと! だもんね」と呑気に頷きあっている。
 イーグルが、何より彼の姉がいなければ、命も危なかったというのに。
「ま、俺等も助かったんだ。その、誰かさんの地図がずさんだったからよ。な、姉貴?」
「うんうん、助かったのはわたし達の方だ。レヴの地図は見やす……ん? こらイーグルッ!」
 心底楽しげに頷いていたのも束の間、ラプターは弟の揶揄するやんわりとした言葉がチクリときたらしく眉根を釣り上げた。しかし心得たもので、イーグルが露に濡れる冷えたグラスを渡してやると、コロリと顔を明るくする。マーティン姉弟の片割れ、イーグルが評するのもなんだが……本当に姉のラプターは単純で純真、そして一途な乙女なのだ。
「でもマーティン様。いえ、マーティン卿――」
「だから、ラプターでいいって。……わたしまだ、叙勲を受けた正式な騎士じゃないからさ」
「いえ、僕等にとってラプター様こそ騎士道そのものでしたよ。まるでエトリアの聖騎士のよう」
「ははっ、レヴは口が上手いな。聞いたかイーグル、わたしもゆくゆくはパラディンか、ってね」
 僅かに翳りを見せたのも束の間、ラプターは僅かにはしゃいで心からの笑顔を見せる。本当に邪気のない人なんだと再確認して、イーグルは一人苦笑に麦酒を軽くあおった。目配せすれば、レヴもそう思ってくれてるのか、軽くグラスを掲げてくれる。
 先程、世界樹の迷宮でモンスターに囲まれ絶体絶命だった四人組を、イーグルは姉と共に助けた。勿論、助け出そうと言い出したのは姉のラプターだ。その声はイーグルの返事を待たずに、長柄の戦斧を翻すや装甲の弾丸となって飛び出していた。


 ――真相はこうだ。
 手柄をあげて正式な騎士になり、幼い頃からの夢を叶えたいと願ううら若き乙女がいた。彼女は手習い程度と言うには鍛え過ぎた剣の弟を連れ……否、その襟首を引っつかむや、故郷を飛び出し海都に来ていた。そうして冒険者ギルドに顔を出すのももどかしげに世界樹の迷宮に突貫し、その奥へ衝き抜け、道に迷ったところで、
「わたしはただ、困ってる奴を助けただけだ。これは騎士道じゃない……人の道さ」
 姉の笑顔はいいと、イーグルは素直に思う。幼い頃からこの姉は、勢いだけでイーグルを引っ張りまわし、連れ回し、引きずり回したが。いつもいつでも、自分のことを気にかけてくれた。だから、今回も連れ出されて良かったとイーグルは思う。この純情熱血乙女は、世知辛い世間に放り出すには少し心配だからだ。ラプターは真っ直ぐ明日を見て進むが、今日のこの瞬間、その一瞬が見えていないことがある。
 イーグルがチビチビと芳醇なる苦味を味わっていると、レヴは仲間達が行儀良くしているのを確認してから、不意に姉へと向き直った。
「ありがたいお言葉です、ラプターさん。……勅命を得てこその騎士、とも言いますが」
「ん……そ、そうだな。そうなんだ、それはつまり」
「主君を頂き、その言を拝命してこそ騎士。大丈夫です、ラプターさんなら叙勲もすぐですよ」
「そ、そうか? そっか、そうだな! この世界樹で武功を立てれば、任官も思いのままだよな!」
 レヴの一言は静かに柔らかく、ラプターの自尊心を傷付けることなく吸い込まれていった。物腰柔らかな農夫の少年は、過酷な現実を鋭い棘ではなく、尊敬の念でそっと包んでくれた。
 同世代とは思えぬ心遣いに、内心イーグルが脱帽して感謝していると、
「おう待てぇ! いいかい、オチビちゃん……そいつがお前さんの取り分、それで全部だ」
「最初の話? ああ、そんなことも言ったかな? 半人前の星詠みにはそれでも多過ぎる位さ」
 酒場の奥、海岸に面したテラスの方から荒げた声が上がった。
 無宿無頼の冒険者が集う場所なれば、いざこざは日常茶飯事だが。やれやれと横目に眇めるイーグルは、咄嗟に視界に入ってきた光景に思わず席を立つ。つい、その手が腰の剣に伸びる。
 そうして気持ちが体を揺り動かす間に、彼の姉はもう行動していた。
 ラプター・マーティンは時々、気持ちが体に直結し、勝手に心身合一の行動を取ることがある。
「ラプターさん、もう少し様子を見たほうが……」
「姉貴! まだ冒険者ギルドにも顔出してないんだ、トラブルは――」
 あくまで落ち着いたレヴは、動揺するファーマー仲間をなだめている。
 常日頃から姉の闊達過ぎる行動力を思い知っているイーグルはしかし、伸べた手が届かない。
「ちょっと片付けてくる! わたしは駄目だな……見過ごせない。捨て置けないんだ」
 自然と開けた場には今、小さな小さなゾディアックの少女が立っている。周囲には厳つい冒険者がぐるりと囲んでいた。どうやらクエストの報酬で揉めているようだった。ぼんやりとした半目の少女は、じとりと周囲の大人達を一瞥して溜息を零している。
 姉貴を止めなきゃ! 姉貴の為に! 立身出世を前にトラブルは避けるべしと、イーグルが心に悲鳴を叫ぶ。しかし彼の手をすり抜け、心に騎士道を刻む乙女は颯爽と歩みだした。
 イーグルはもう、これは駄目だと思った。
 助けたかった……少女を、何より少女に無理難題を言う男達を。自分で言うのもなんだが、姉は、ラプターは腕っ節は強い。幼い頃から重装騎士を夢見て、女ゆえに、女だからこそ人一倍研鑽をつんできたのだ。鳥篭を放たれた猛禽の如く、瞳を輝かせてラプターの背が遠ざかってゆく。
「待て。貴公、この街に人を斬りに来たのか?」
 不意に平坦な抑揚に欠く、しかし酷く心身に染みる声が静かに響いた。
 同時に、イーグルさえも止められなかった者の肩を今、一人の女性が掴んでいた。その姿はファランクス……この海都の冒険者ギルドが職業として認める重装歩兵だ。
「黙って見ていろ。彼女はソラノカケラの星詠み、一人前の冒険者だ」
「わたしを止めた!? ……面白い。この街、気に入ったぞ。わたしと同じ、いや」
 わたしより強い奴がいる。ラプターはその時、確かにイーグルの目には笑って見えた。彼女はそのまま、肩にかかる篭手に覆われた手を、そっと握り返して振り払う。それだけでもう、両者は互いに力量を推し量ったようだ。止めたファランクスの女性もまた「ほう、端武者ではないようだな……いい腕だ」と涼しげに言い放つ。
 そう、ラプターは脳味噌まで筋肉でできたような、猪武者ではない……それは弟のイーグルが良く知っている。ただ、時々熱くなるとおせっかいなだけ。曲がった道理と弱いものいじめが大嫌いなだけ。
「あ、姉貴? あの……その、すみません。えっと」
「大丈夫みたいですよ、イーグルさん。ほら」
 立ち尽くしていたイーグルは、レヴのとりなしでふと我に立ち返る。
 意外にもハキハキと、星詠みの少女が喋りだしたのだ。居並ぶ筋骨隆々たる男達を前に、毅然と正当な報酬を要求し、その手続きに関していささかの澱みもない。見た目に反して少女は、立派な一人前の冒険者だった。
 少女がことを荒立てることなく交渉で男達を納得させた頃には、ラプターを止めた女は消えていた。
 代わって現れたのは――
「やあ、うちのジェラヴリグを助けようとしてくれたんだね。ありがとう。きみ、名は?」
 三つ編みを揺らしたモンクの少年が――どこか中性的な女性が、少女をその手に迎えて微笑んでいた。彼女はメビウスと名乗り、先程聞いたギルドの名を付け加える。丁寧に、しかし気さくに礼を言うその言葉もしかし、ラプターには半分しか届いていなかった。
 イーグルは自然と、レヴと目配せしつつ肩を竦ませた。
 この日、一人の乙女が栄えある重装騎士目指して、夢の階段を昇り始めた。いまだ勲なき無名の乙女に与えられたのは、三つの出会い。一つ、若くして知を納め求める賢人の農夫。一つ、不思議な縁でギルドへ招いてくれたリボンの魔女。最後に一つ……初めて知る、真に自分と同等の強き者、トライマーチのエミット。
 夢を追う姉弟の羽撃きが、希望の羽根をカケラと散らしてソラに舞い上がった。

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