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 友の背に揺られる身体が、遠く背後で雄叫びと悲鳴を聞いた。続いて金属を梳るような剣戟の音に、占星術が炸裂する衝撃が入り混じる。
 メビウスはヒトとフカビトの不可避の激突を、敏感に拾っていた。
「……コッペペ、もういいよ。降ろして」
「およ? 気付いたかメビウス。……ってか、いつからだ?」
「さてね。当身で気絶なんて女っぽいことも、必要とあればやってみせるさ」
「そーかい。メビウス、お前はいい女だなあ」
 なにを呑気なことをと思ったが、朗らかに笑ってコッペペはメビウスをそっと降ろした。
 スカイアイの前で、皆の前で気絶してみせたのはメビウスなりの演技だ。そしてそれは多分、友には感謝の気持ちと共にもう伝わっていると思う。スカイアイがああしてくれなければ、メビウスは自分でも自分の責任が果たせなかったと感じるから。そう、今も仲間達の元へ残ればよかったという想いは胸中に渦巻いている。
 だが、躊躇いは己を殺す。だから今、ただ前のみを向いて疾走ればいい。
「今まで散々無視しておいて、よく言うよ」
「およ? なんだあメビウス、口説いて欲しかったのか? ん?」
「まさか。で? 他の連中は? 確か、ミラージュにヨタカと、あと一人は――」
 今しがた名をあげた異郷の剣客達は、立ち上がるメビウスのすぐ背後へと戻ってきた。先程まで迷宮の四方に気を配って斥候をしていたらしいが、二人とも汗ひとつ浮かべた様子がない。まさしく一騎当千、戦場の作法を叩きこまれた生え抜きの冒険者だとメビウスは再認識。
「メビウス様、お気づきになられましたか? ふふ、ギルドマスターとは難儀なものですね」
「まあね、ヨタカ。とりあえず、今さっき気付いたことになってる。それで? 迷宮の様子は」
 メビウスの問いに、珍しくヨタカが頬を崩した。この女シノビは、滅多なことでは笑うことがない。後ろに控えて腕組み佇む、ミラージュと二人きりの時ぐらいしか微笑まないとメビウスは聞いていた。
 だが、自分と並んでパーティの回復の要となる名スィーパーは、確かにニコリと微笑んだ。
「四方を軽く見て回りましたが、わたしとミラージュ様の方は行き止まりでしたね」
「そうか。ってことは」
「なずな殿の向かわれた方に階段か、それに類する装置があるかと」
 ミラージュが言葉尻を拾って小さく頷く。
 メビウスは改めて今日のパーティの仲間達を見渡し、大きく吸った息を肺腑にとどめた。
「……みんな、ぼくの言うことをよく聞いて欲しい。ぼくも、スカイアイと同じことを言う」
 ミラージュとヨタカは互いに目配せしあって、居住まいを正すとメビウスに向き直る。コッペペですらおどけた調子を引っ込めて、珍しく真面目な表情を作った。
「みんなの生命をぼくに預けて欲しい。みんなの生命を、意思と想いを束ねて……真祖を、討つ」
「……迷いはないのですな、メビウス殿」
 問いかけるミラージュへと、メビウスは首肯を返して言葉を続けた。
「ぼくらがフカビト達と争う理由はない。けど、その火種を煽る者がいるなら答えは一つだ」
「いいんじゃねえか? オイラは賛成、大賛成だ。はやいとこやっつけて、みんなを助けようぜ」
 そうと決まれば話は早い。無駄なエンカウントは避けたいし、迷宮内をうろつく魔物との交戦も極力控えるべきだ。メビウスは懐から獣避けの鈴を出すと、それを帯へと括りつけた。
 不思議な音色をリリン、と鳴らして、鈴は風もないのに不快に淀む空気に揺れる。
「よしっ、いこうみんな! なずなに追いつ――ん? あ、あのさ、コッペペ」
 気合を入れなおしたところでメビウスは、今の今まで見落としていた現実に引き戻された。ビシリと決意も露わに宣誓した、その引き締めた空気を今は止める。
 どうやら今、ささやかに進行中の危機に気づいているのはメビウスだけのようだった。
「コッペペ、なずなが一人で? だよね、この場にいるのは四人だもの」
「ああ。オイラ達冒険者の流儀は、いつだって五人パーティじゃないかよ。どした?」
「ばか、忘れたのかい? コッペペ、今日はエルが……エルトリウスが一緒じゃないんだよ」
 メビウスの意図する所が伝わったのか、ズルリとコッペペは掌で顔を撫でた。
「……やべぇな、忘れてたぜ」
「とにかく、急ごう! 一刻も早く合流しないと……心配だ」
 駆け出すメビウスに並んで、音もなく走るヨタカが不思議そうに小首を傾げる。ミラージュも同様のようで、それは無理からぬことだとメビウスは思った。二人ともアーモロードで得た仲間だから。
「ミラージュ様、なずなさんなら大丈夫です。剣だけならミラージュ様や祖父様に並ぶ腕ですし」
「左様、なんの心配もありますまい」
 ヨタカとミラージュの言葉を引き連れ、それに応えながらメビウスは走った。
 程なくして、道案内をするかのように……メビウスやコッペペの懸念を裏付けるように、迷宮の回廊に転々と赤い血が入り混じる。その跡は次第に広がり、ついには横たわるフカビト達の死骸が視界に飛び込んできた。胸甲兵は真っ二つに胴体を断ち割られ、巫女は無残にも切り裂かれている。
 メビウスは心配が的中するのを悟った。


「あ、あの、メビウス様」
「この太刀筋、なずな殿か……しかし、あまりにむごい。まるで獣の剣」
 メビウスは既に事切れたフカビト達に無言で祈りを捧げながら先を急いだ。そんな彼女に代わって、コッペペが珍しく真剣な口調でミラージュとヨタカに説明する。
「トライマーチがどうしてハイ・ラガートでソラノカケラに遅れを取ったか……わかるかい?」
 ミラージュが考えこむ素振りを見せ、ヨタカもそれにならう。
 エトリアの世界樹を制した名門ギルドが何故? それを誰より知るのは、真っ先に世界樹の神秘を解き明かしたメビウス達だ。そしてその記憶は今も、総身を震わせる恐怖として背筋を凍えさせる。
 メビウスは走りながら語り出した。
「トライマーチのメインパーティを率いていたのが彼女、なずなさ」
「そそ、オイラ達はかなりのとこまでいってたんだけどな、迷宮探索」
 だが、ソラノカケラのメビウス達に、トライマーチが追いついてくることはなかった。
 何故なら、トライマーチの連中は……その先陣を切って馳せる少女は、探索よりも戦闘へと没頭する狂戦士だったから。昼夜を問わず世界樹を徘徊し、ただ敵を求めて刃を引きずる少女……それが在りし日のなずなの姿だった。そのまごうことなき剣の腕は剣聖クラスと称える者もいれば、戦狂いの猪武者と評する者もいる。
「なんにせよ危険なのさ。あの娘っ子は今でこそ随分おとなしくなったが」
「さっき心配だって言ったのはね。フカビト達を案じたんだけど……遅かったみたいだ」
 それでもメビウスは、北の大地で冒険を共にしたなずなのことを覚えている。本当に不器用な少女で、剣を振る以外の生き方を知らぬ身だった。ソラノカケラのペット、巨大な剣虎を前にしても抱きついたり撫でることができず、ただ手をワキワキさせては逃げられる……そういう娘だった。
 だが今、広がる参上は恐るべき凶刃の復活を意味していた。
「悪ぃメビウス! ここ最近エルの奴に任せっきりだったもんでよ」
「いいさ。でも、無駄な流血は避けなければ……何よりこの迷宮、一人では危険過ぎるっ!」
 ようやく事態が飲み込めたようで、ヨタカは僅かに白い顔で歩調を落とす。だが、奥へと疾走する一団の中で彼女は、優しくミラージュに肩を抱かれた。
 メビウスも心配して覗きこむヨタカの顔は、血の気も失せて真っ白だった。
「なずなさんはでも、歳相応の普通の女の子です。わたしがそうだったように」
「ヨタカ」
「あー、ヨタカちゃんは知らねえか。ハイ・ラガートの百邪斬りと恐れられたブシドーだぜぇん?」
 茶化す口調はコッペペなりの気遣いだが、雰囲気が明るく転換することはない。
 俯くヨタカへと優しく声をかけたのは、普段と変わらぬ口調のミラージュだった。
「お前が信じるなずな殿を信じろ、ヨタカ。我らは既に一つ、放たれた一本の矢なのだ」
「ミラージュ様……」
「私はお前を信じ、メビウス殿を信じ、コッペペ殿を信じる。なずな殿も同様……我らは一つ」
「……はいっ」
 この時改めてメビウスは、自分とコッペペに連れ添うメンバーを選んだ友の慧眼に感謝した。スカイアイの見立ては完璧で、こんなにも今は仲間が頼もしい。
 そしてそれは、先を流血で急ぐなずなも一緒だと心に刻む。
 だが、最悪の結末が脳裏をよぎる……なずなが先走って、興奮のあまり一人真祖へと対峙したら? その予想を結果が裏切るのをメビウスは期待したが、眼前に現れた階段はフカビト達の死体で彩られ、その血で記された足跡が次のフロアへと点々と続いていた。

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