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 巨大な弩の弦は今、機械じかけで定位置へと巻き上げられた。スカイアイは慣れた手つきで弾丸を装填しながらも、迫る敵意をひしひしと感じていた。凍れるように冷たいのに、我が身を炙るような無数の害意。それが押し寄せてくる気配に、総身が震えて臆病な自分を嘲笑う。
「リシュリーちゃん達は無事に海都に帰っただろうかねえ」
 気休めに軽口を叩いてみるが、震える指先は機械のように淡々と弩へ弾薬を詰め込んでゆく。
 同じ作業に没頭しながら、傍らの偉丈夫が低い声で静かに言葉を返してきた。
「若がアリアドネの糸を持たせたから大丈夫だろう。あの子等とて冒険者なのだ」
 普段から寡黙なだけに、一度口を開けばボートゥールの言には説得力がある。
 スカイアイは頷き自分を納得させるや、ガシャリと弩を構えて照星を覗き込んだ。サイトの向こう側に淀む闇の奥で、幾千もの気配が忍び寄るのがありありと感じ取れた。
 ――会敵は近い。自然と強張る己の横で、さも当然のようにボートゥールも身構える。
「ボードゥール、君は怖くはないかい? 俺は、恐ろしい。正直逃げ出したいよ」
「だが、あんたはそれをしなかった。メビウス殿を行かせてここに残った。違うか?」
「……全くだ。我ながらとんだ貧乏クジだと思うよ。それと」
 それと、もう一つ。アリアドネの糸はパーティに一つと、誰が決めたのだろう。既に安全に戻れる道は、自ら子供達の為に閉ざしてしまった。再び太陽の光を拝むためには、この仄暗い神殿の奥底で生き残らなければいけない。真祖に先導されて襲い来る、数多のフカビトを相手に。
 ふとスカイアイは、闇を睨んで腕組み佇む姿を見やった。
 傍らのボートゥールが主と付き従う、絢爛たるドレスに鎧を纏ったラファールの姿がそこにはある。彼は今、蠢く暗闇が近づく回廊の向こうをじっと見詰めていた。
 彼だけではない、既に二つのギルドの仲間達は連携して臨戦態勢を整えた。メビウスが無事に真祖の元へたどり着くまで、一歩も退かない構えだ。彼我の戦力差はもはや数えるに値しない、絶望的に不利な状況へと身を投じて尚……スカイアイは友を信じて銃爪へ指を添える。
「悪ぃ、遅れた! そろそろ乱痴気騒ぎは始まりそうかい?」
 トライマーチのバリスタが隣に滑りこんできた。並んで弩を向ける先では、既に回廊に反射する足音が重なりあいながら響いてくる。
「おい、クソメイド! こっちだ。……スカイアイ、火ぃ持ってねえか?」
「悪いね、生憎と俺はタバコはやらないんだ」
 アンドロの射手を更に加えて、四人は横一線に並ぶと射線を闇の彼方へ向ける。隣で悪態をつぶやく娘もまた、自分同様に怖いのだとスカイアイには知れた。恐怖に打ち勝つためにタバコを求めて、マッチを擦る指は震えている。
「……おいでなすったか。いいか野郎共っ! 焦って逸るんじゃねえ、引きつけんだ」
 マントを翻してラファールがニヤリと笑う。


 同時に、階段へ向かう唯一の回廊を死守するスカイアイ達の前に、ゆらりとフカビト達が姿を現した。
「おーおー、いるわいるわ。凄い数だねえ」
「ただ、撃ち貫くのみだ」
「ってか、誰が野郎だ畜生めっ! おいラファール、手前ぇにゃアタシが野郎に見えんのか」
「前言撤回を要求する。ジョーディはともかく、私は深都の選ばれし特務。野郎などと――」
 ここにきて緊張感に欠く女性陣の抗議が、スカイアイの強張る四肢をほぐしてゆく。その間も恐るべき敵が迫りくる中「うるせえアバズレ」「なんだとこの変態王子」とやりとりは続いた。背後に控える仲間達からも苦笑する気配が伝わってくる。
「きみの王子様はでも、大したタマだな。よくこんな状況で落ち着いてられる」
「若は肝っ玉が座ってらっしゃる。俺達は安心して銃爪を絞ればいい」
 なるほどとスカイアイが照準を固定したその時。戦意を鼓舞する号令と共に、ラファールのかざした腕が振り下ろされた。その見目麗しい容姿を裏切るように、猛々しい怒号が響き渡る。
「っしゃあ、野郎共っ! 撃ちまくれっ! 盛大に迎えてやんな!」
 同時に視界を、大挙するフカビト達の影が埋め尽くす。迷わずスカイアイは砲身に銃爪を押し込んだ。四人のバリスタの一斉射撃で、たちまち火薬の撃発する音と硝煙の臭いが周囲を包み込む。
 精密な射撃で狙い撃つ必要はなかった……撃てば当たる、それくらいの大軍だった。
「ファック! おいラファール、数がダンチだ! 撃っても撃ってもおっつかねえぞ!」
「やかましい! 黙って撃ち続けろ、弾幕を絶やすんじゃねえ!」
 ジョーディの罵声をラファールが怒鳴りつける傍ら、夢中でスカイアイは弩を撃ち続けた。撃鉄に尻を打たれた弾丸は、雲を引いて敵へと吸い込まれてゆく。絶え間ない弾幕の前にしかし、死の行軍は速度を緩めることはなかった。
 やはり戦力差は明らか……そう思う弱気を振り払うスカイアイは、装填された弾を撃ち尽くしたことに気付いた。リロードする手元ももどかしげに、彼は見る……突出してくる敵の近衛を。
「おいクソメイド! ビームでも火炎放射でもなんでもいい、なんとかしろぉ!」
「無駄口を叩く暇があったら、さっさとリロードして撃て。……距離を詰めて、くるっ!」
 だが、射撃組の指揮を預かるラファールは冷静だった。まるでタクトを振るう指揮者のように、後詰の仲間達を呼んで腕を振るう。二つのギルドのオーケストラは、排撃と殲滅の第二楽章へと突入した。
「後は任せてもらおう」
 スカイアイ達の前に突如、一人の男が躍り出た。その装束は占星術師のもので、彼がかざした右手には氷の結晶が、左手には雷の稲光が音を立てている。
 それは一瞬で周囲のエーテルを貪り食って、折り重なるように連続励起した。
 荒れ狂う氷嵐と轟雷。
「――っ! この術……氷雷の錬金術師っ! ヨルンさんかっ」
 迷宮内を煌々と照らして、発動した占星術が凍てつく空気に雷光を迸らせた。
 そして、バリスタ達の制圧射撃を援護したのは彼だけではなかった。
「エーテル、圧縮っ! ヘマするなよ、ネモ!」
「君こそしっかりね、エイビス。タイミングはそっちで、俺が合わせるっ!」
 若き双子の占星術師が躍り出るや、その手を天空の星座にかざして長い詠唱を唱えだす。朗々と紡がれる占星術の術式が、周囲で渦巻くエーテルに光の文字を浮かび上がらせた。
「星降る夜の理、天の星座に願い奉る」
「星仰ぐ人の理、地の星詠みが願い奉る」
 灼熱の吐息よ、燃え盛る爆炎の揺らめきよ……いざいざ、我等がともがらの敵を焼き尽くせ――
 瞬間、ネモとエイビスが宙に描き出した術式が爆ぜて焔の濁流となった。それは怨嗟と憎悪の叫びを連鎖させながら、業火の術となって殺到するフカビト達を薙ぎ払う。
 距離を置いての遠距離戦では、爆発力で占星術師達の大いなる術に敵うものはない。
 そしてこれより先は敵味方入り乱れての乱戦になる……その合図でもあった。
「さっすが私の旦那様よね。炎ぐらい使えなくたって、どってことないじゃない?」
「……使えないんじゃない。使わないんだ」
 抜剣の煌きを引き連れ、ソラノカケラとトライマーチの主力、前衛の者達がずらりと並び出た。その先頭で槍を片手に、エトリアの聖騎士が盾を高々と掲げる。アーモロードの紋章が飾られた輝きに、誰もが鬨の声をあげて己を奮い立たせた。無論スカイアイも、弩を抱えて突撃の構えだ。
 そう、突撃……後はまっしぐらに、向かい来る全てを正面から粉砕するのみ。
「これはおおいくさじゃのう。カカカッ、久々に血が滾るわい。のう、ガイゼン?」
「左様、老骨に鞭打つには調度良いわい。お互い長生きしすぎた気もするしのう」
 誰もが武器を構えて、荒れ狂う占星術の中を抜け出てくる敵を待つ。
 その横顔は頼もしくもあり、同時に両手両足の指で足りる数が心細い。
 だが、スカイアイはエトリアの聖騎士の掛け声と同時に、全力で地を蹴っていた。
「じゃあ行きましょうか。全員突撃、無駄死は禁止でしてよ? 悪いけど死守、よくて?」
 吹雪と稲妻が荒れ狂い、さらには地獄の業火にも等しい炎にあぶられた回廊から敵意が溢れだした。その大挙するフカビト達へと、迷うことなくスカイアイ達は突貫する。
 今こそ生命をかける時。
「っしゃ、行こうぜ姉貴!」
「おうっ! 我が君を、メビウス殿を……仲間を、守るっ!」
 スカイアイは重い弩に弾を込めながら、まっすぐに向かってくる敵へと銃爪を引き絞った。
 ソラノカケラとトライマーチ、その主力は一番長い夜へと突入した。百年の時が沈滞した神殿の静けさを引き裂き、怒号と悲鳴を奏でながら。自らが信じて送り出した者達の為、戻るべき道を確保し続ける凄絶な遅滞戦闘の火蓋は切って落とされた。

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