《前へ 戻る TEXT表示 登場人物紹介へ 暫定用語集へ 次へ》

『この剣を託す。……なにも言わずに連れて行って欲しい』
 それは海都の為に、白亜の姫君の為に心身を削って戦い抜いた、漢の生き様。その魂。ミラージュの手の内に今、託された想いと共に一振りの太刀があった。
 海都随一の将が長らく戦場を共にし、数多の英霊の血を記憶した古びた剣だ。
「ふむ、これはしかし……抜けんな。まだその時ではないということか」
「ミラージュ様?」
「ああ、いやなに。独り言だ」
 ミラージュは両手の長刀に込める力を逃し、不思議そうに小首を傾げるヨタカに薄く微笑んだ。
 クジュラより託された太刀は今、まるで刃が鞘へ絡まり結ばれたようにビクともしない。試しにとミラージュが柄を握る、その握力すら拒むかのように刃を見せることはなかった。
 聞けばこの太刀、音に聞こえた妖刀の類とか。
「まあいい。クジュラ殿……貴公の魂、確かに私がお連れしよう」
 自分の大小とは別に背に太刀を背負って、ミラージュは並ぶヨタカと共に居ずまいを正した。
 ここは第四階層『深洋祭祀殿』、その深部に鎮座する巨大な扉。フカビトのレリーフを刻んだ以外、掴む所も押す場所もない不思議な扉だ。百年間開かずの扉として禁忌とされてきた場所でもある。


 今、その前にソラノカケラの一同が介していた。勿論、トライマーチの面々も一緒だ。
 ミラージュを始めとする歴々が見守る中、メビウスは傍らの少女へと語りかける。
「ジェラ、頼めるかな? 大丈夫、ぼく達がついてるから安心して」
「大丈夫。メビウスが、みんなが居てくれるから怖くないよ? わたしは平気」
 固く閉ざされた扉の前へと、メビウスに促されてジェラヴリグが歩み出る。
 彼女がそっと伸べた小さな手が、その甲に怪しく光る刻印がゆらりと輝きだした。まるでジェラヴリグの生気を吸い上げるかのように、暗く黒い炎が爆ぜて燃え上がる。その猛る煌きが轟! と響くや、幼い矮躯はその場に片膝を突いた。
「ジェラ!」
 リシュリー達子供達が駆け寄り、ジェラヴリグの身体を支えて抱き止めた、その時だった。
「オ、オオ! 見ろリシュ! 開かずの扉が開いたゾ!」
「まあ……メビウスさま、扉が。開いた……というより、消えてしまいましたわ」
 フカビトの巨大なレリーフが消失し、それを刻まれていた扉そのものが失せていた。そしてその奥へと、冷たい空気を滞留させながら回廊が続いている。
 今まさに、地獄の釜が開かれた……ミラージュにはそう感じられて見が硬くなる。
「メビウス……真祖の、言う、通り……わたしが、鍵……この、先、に……」
「うん。大丈夫かい? ジェラ……頑張ったね。ほら、役目を終えて鍵が消えてく」
 そっと子供達に分け入るメビウスが手を取れば、ジェラヴリグの白い肌から禍々しい刻印が消えていった。先ほどまで業火の如く吹き出ていた黒い焔も、まるで嘘のようにかき消える。
 自分の手をぼんやりと見て微笑むと、それっきりジェラヴリグは動かなくなった。
「ジェラ! しっかりするのですわ」
「気を失ったみたいだ。リシュ、あとは頼めるね? 彼女と一緒に街まで戻るんだ」
「でも、でもでもメビウスさま。これからみんなで――」
「人には適材適所ってのがあるさ。ジェラはその仕事を全うした。次は、きみの番だよ」
 ぐずるリシュリーの金髪を優しく撫でて、メビウスは立ち上がった。その凛として涼やかな目元は、続く仄暗い迷宮の奥底へと細められる。この先に待つはフカビトの王、真祖。
 リシュリーはラスタチュカと一緒にジェラヴリグに肩を貸すと、ホロホロが待つパーティの末席へと下がる。ここから先は、大人の領分……子供達の未来へと責任を持つ大人の仕事だと、ミラージュも気を引き締める。
「さて、じゃあ――」
「じゃあ、楽しい冒険の時間だ! お集まりの皆様、準備はいいかな?」
 一同を振り向き口を開いた、メビウスの言葉を乗っ取りスカイアイが声をあげる。彼は一同をぐるりと見渡しながらメビウスの隣に立つと、陽気に声を張り上げた。
「ちょっ、ちょっとスカイアイ」
「いいから、メビウス。こういう場くらい任せたまえよ」
 そう言ってニヤリと笑うと、パンパンとスカイアイは手を叩いて再度仲間達を見渡す。このアーモロードで知り合った者から、ハイ・ラガートからの古い馴染みまで。居並ぶメンツは誰もが歴戦の勇士だ。それはソラノカケラであれ、トライマーチであれ同じ事。
 ミラージュはその時、ギルドの会計役を兼任するナンバーツーの顔が不敵な笑みを浮かべるのを見た。
「あー、ゴホン! これからフカビトの首魁、真祖を叩く。フカビトの一人一人がどうかは別として、真祖及び真祖に与する連中はアーモロードの敵だからだ。……何か質問は? 紳士淑女の諸君」
 ミラージュを始め集った誰もが沈黙をもって応えた。その静まり返った空気を受けてスカイアイも「よろしい」とメガネのブリッジを指でクイと持ち上げる。
「ならば我々は冒険者の理を持って、この先に広がる未知の迷宮を踏破し、目的を達成する」
「ちょ、ちょっとスカイアイ。なにを今更……あ、もしかして」
「察しがいいね、メビウス。そうさ。友よ、俺等はどこまでも冒険者……そうだろう?」
 隣で訝しげに詰め寄るメビウスを制しながら、スカイアイは声を張り上げた。
「やることは普段と変わらない。奥まで行って、戻ってくる。彼女が、メビウスがね」
「スカイアイッ! きみは――っ!?」
 その時ミラージュは意外な光景に思わず身を乗り出した。見守る誰もが息を呑んだ。
 スカイアイは傍らで不思議そうな顔をしていたメビウスに、当身を食らわせ気絶させたのだ。何事かとざわめきが広がる前にしかし、察した声がミーラジュの頷きに連鎖する。
「俺等は軍隊じゃない、冒険者さ。パーティは五人まで……そうでしょう、コッペペの旦那」
「貧乏くじ引かせて悪ぃな、スカイアイ。彼女のエスコートはオイラに任せな」
 そう、この場にいる誰もが内心思っていたことだ。数を頼みに迷宮へ押しかけ、真祖を目指すのは冒険者のやり方ではない。彼等彼女等だからこそ、その強さの根源には冒険者の矜恃があった。それは、いついかなる状況でも冒険者である自分を裏切らないこと。
 進み出たコッペペはメビウスを肩に担ぐと、扉の前へと歩み出る。
「ミラージュ、行ってくれないか?」
 スカイアイの言葉で、自分へと視線が集中するのをミラージュは感じた。
「腕のたつ剣士が必要だ。勿論ヨタカも一緒に。シノビの技も役に立つ」
「……貴公、死ぬ気か?」
 率直な言葉がミラージュの口から零れた。
 スカイアイの目には、どこかで見たことのある覚悟が輝いていたから。だが、彼は自分を指さしそれはないと首を横に振る。
「俺は一番勝率の高い選択をしたと思うけどな。さ、コッペペの旦那に続いて。他のみんなもいいかな? ……非常に申し訳ないが、みんなの生命をくれ。メビウス達が戻るまで、この場所は死守だ」
 コッペペはデフィール達と二、三のやり取りを終えて、その中からなずなを連れ出したところだ。そんな彼の後ろにヨタカと並ぶ、ミラージュはもう勘付いている。この場に四方より圧して忍び来る、巨大な敵意の集合体を。
「さ、ミラージュ。行ってくれ。俺等はここで後顧の憂いを断つ」
 スカイアイの言葉に押されて扉をくぐり、一度だけミラージュは振り返った。
「コッペペの旦那! 頼みますぜ!」
「兄さん、気を付けて。兄さんが戻るまで、俺もこの場所を守り通します」
「敵が……来る。多いな。さ、ミラージュ殿。急がれよ」
 仲間達の声が、近づく巨大な悪意を前にミラージュ達を送り出してくれる。ミラージュはその一人一人に頷き、笑顔を脳裏に深く刻んだ。
 これほどの剛の者を集めて尚、迫るフカビトの大軍を前に胸は痛む。これが今生の別れとならぬとも限らないが……そうはさせじと今は征くのみ。背負った太刀が今、ミラージュの背を押すようにカタカタと小さく鳴った。
「よいかミラージュ、気楽にゆけい。うぬが剣は既にワシを超えておる」
「我が師シンデン……しからば、御免! いずれ後程」
 腕組み笑う師へと最後に一礼して、仲間達の声援に送られミラージュは駆け出した。その横にピタリと、相棒のヨタカが連れ添う。
 今、アーモロード百年の戦を止め、二つの都を一つとする戦いの火蓋が切って落とされた。

《前へ 戻る TEXT表示 登場人物紹介へ 暫定用語集へ 次へ》