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 羽ばたく蝶亭の夜は冒険者で賑わう。その中でしかし、ソラノカケラとトライマーチが新たな第六階層に挑んでいることを知る者は少ない。誰もが皆、海都と深都の和解、そして新たな国となったアーモロードで平和を感じていた。
 平穏な街と魅力的な迷宮、そして冒険者や観光客を相手にした商売……表向きアーモロードは平和そのものだった。
「いい剣だ。これならもう竜を相手にしても折れることはないな」
 酒場の片隅でイーグルは新調したばかりの剣を受け取り、その刀身から鞘を脱がせてランプの明かりにかざす。邪竜の鱗より削りだした逸刀は、不思議な光沢で刃を煌めかせていた。並のウォリアーならば持て余すであろうその鋭さも、なんなく構えてイーグルはその重さや長さを自分の身体に刻んでゆく。剣士にとって愛刀は己の手足にも等しく、その延長でしかない。あっという間に新品の剣は、イーグルの手の中でその一部になっていた。
 満足した様子で頷き、イーグルはカラドボルグを納刀すると腰に穿く。
「ネイピア商店の品揃えに並ぶ前に、直接取り寄せたのですが……満足されたようでなによりです」
 再び席へ座ったイーグルの向かいで、穏やかな笑みを絶やさず美丈夫が微笑む。同じテーブルを囲む二人は、周囲が見ればどこにでもいる冒険者に見えた。
「でもいいのか、エルトリウス。トライマーチでも剣を使う奴なら――」
「リュクス君は母君より受け継いだ剣を、真竜の剣を持ってますから。それに」
 エルトリウスは自らの杯を手に、中の蒸留酒を回しながら俯き言葉を絞る。
「リシュリーちゃんがいれば、欲しがったでしょうが……それも今は叶いません」
「ああ、あのお姫様は見た目にこだわるからな。女の子なんだから、突剣とかにすればいいのに」
 二人の間に一人の少女が思い出され、その姿を脳裏に追いかければ自然と胸が痛んだ。イーグルは今でも、時々剣の稽古をせがんでくる少女の笑顔を覚えている。腕力はからっきしだったが一生懸命だったし、不思議とリズム感に優れて舞うように剣を振るう娘だった。老将シンデンが境地の一つと唱えた、舞をもって武とする……そういう教えをイーグルはたびたび思い出したものだ。
 だが、その笑顔が今はもうそばにいない。そればかりか、多くの笑顔を持ち去ってしまった。
「探索の方は? 俺は姉貴や殿下と一緒で竜の捜索にかかりっきりだからな」
 自身もジョッキのエールへ口を付けながら、イーグルは言葉を選ぶ。彼が三竜の試練と呼ばれる一連のドラゴン討伐に勤しむ傍ら、目の前のエルトリウスを含む別働隊は第六層を進んでいた。新たな迷宮は恐るべき難易度と悪辣極まる作りで、メビウス達の行く手を遮り続けていると聞く。今までエトリアやハイ・ラガート等、世界樹の迷宮を制してきた冒険者達が苦戦している……それだけでもう、イーグルには途方もなく難題に思えてならない。
「ようやく次の階段を見つけたところですが、あまり進捗状況は芳しくありませんね」
「へえ、あんたでも迷宮で迷うことがあるんだな。腕っこきのレンジャーだったって聞いてるけど」
「空のある場所では迷いませんが、あの迷宮は深海の底……歩いていて時々、方向感覚が狂います」
「とほうもねえ話だなあ。ま、状況によっちゃ俺がそっちに編成されるし、気をつけないとな」
 このエルトリウスという男、今は二丁拳銃を武器にショーグンとして戦っているが、元は野山を駆け弓矢で敵を射るレンジャーを生業としていた。ハイ・ラガートからトライマーチに参加した彼は今、その相棒にして半身とも言うべき少女を失ってしまった。それでも平素の穏やかで飄々とした言動は変わらず、こうしてイーグルと酒を飲んだりもしている。
 だが、イーグルは目の前の笑顔がどこか無理をしているようにも感じられた。
「オイラ達の敵は第六迷宮と三竜の試練だけじゃないぜ? よ、やってるねお二人さん」
「なんじゃなんじゃあ、男が二人でちびちび飲みおってからに……今北産業、お酌してやるぞお!」
 イーグルのテーブルに賑やかな二人組が合流した。勝手に椅子を持ち寄り押しかけたのは、コッペペとニムロッドだ。両ギルドを通じて、この二人にガイゼンとトーネードを足して変態四天王と呼ぶ者もいる。主に被害者は女性陣で、風呂ののぞきから洗濯物の拝借と、その活動は多岐にわたる。そうした冒険の合間の些細な日常もしかし、失われて久しい。今や緊迫感の連続で昼夜を問わぬ迷宮探索が続き、例の四人組もいささかシリアスに過ごしていたから。
 それでも、自らを生活の清涼剤とうそぶくコッペペとニムロッドは、しまりのない笑顔で給仕を呼ぶ。
「オイラはビールだ、そっちは?」
「マンゴーパインフィズにするかのう! あと、クジラザンギと焼きうどん定食、秋刀魚の刺身に――」
 メニューを片手に、ニムロッドが次から次へと料理を読み上げてゆく。伝票片手の店員が表情をひきつらせるほど、大量の料理が注文された。割り勘負けは確実だったが、先に陣取っていたイーグルは逃げ場がない。苦笑を零すエルトリウスと肩を竦めて、黙って酒が運ばれてくるのを待った。
 給仕が注文内容を確認して一礼の後に去ると、コッペペは懐から一丁の銃を取り出した。
「フカビト達ともな、最近は少し交流があんのよ。まあ、いきなり仲良しこよしは無理だけどよ」
 その話はイーグルも聞き及んでいた。アーモロードの新たな議会は、海都院と深都院、両院で可決された法をもってフカビト達との融和を進めていた。真祖を失った彼等は新たな生活の枠組みを模索していたし、その中には人間との和解を望む声も少なくない。勿論、いまだ人間に対する敵意を隠さない者も多かったが。それでも、少しずつ事態は好転しているとイーグルは確信している。
 そんな彼等の神を、創造神を追い詰めようとしていることだけがどこか物悲しくもあるが。だが、自ら生み出した種族を戦いにしか駆り立てないようでは、神様が聞いて呆れるとも思う。フカビト達は信仰を選ぶこともできずに、ただ厳然と存在する摂理に従うしかないのだ。だが、邪神といえど神は神……フカビト達の文化でもある存在を討つことが、どんな事態を呼ぶかは想像もできなかった。
「で、フカビト達と協力して神殿に巣食う魔物を討伐したと聞きましたが」
 エルトリウスは相変わらずグラスを手に静かに言葉を零す。
 その目は手にした琥珀色の液体を向いているのに、どこかイーグルには遠くを見ているように感じられた。
「ああ、どえれえ魔物が出やがったぜ? オイラとニムロッドと、あとフカビト達でひーこら討伐したがよ」
「ワシの大活躍を見せたかったのう! むふふ、久々に暴れたから気持ちがよかったのじゃあ」
 聞けば、第四階層であるフカビト達の神殿には、奥底にとんでもない魔物が居座っていたという。巨大な海獣、クラーケン……その討伐も酒場を通じて依頼が出ていたが、ソラノカケラとトライマーチは迅速に対応して人員を派遣した。他の冒険者のレベルでは、とうてい太刀打ちできない強力なモンスターが相手だったから。
 イーグルやエルトリウスがそうであるように、両ギルドのメンバーは毎日忙しく働いているのだった。
「ま、それなりの収穫はあったんだろう?」
 イーグルの問い掛けにコッペペとニムロッドは、顔を見合わせにんまりと頷く。
 第六階層の強敵に、迷宮の各地で現れた難敵、そして三種の強力なドラゴン……そこから得られる素材は、冒険者達に新たな力をもたらした。未知の材料はより良質な武具を生み出し、ネイピア商店の女主人は毎日ほくほくの笑顔である。その一部は素材の納入者であるソラノカケラとトライマーチに、評価試験のために優先して格安で回されていた。イーグルが先程手に入れた剣、カラドボルグにもそういった経緯がある。
「こいつが新造された。二丁目以降はオイラにも回してもらうが、先にエル、お前さんだ……ほらよ」
 先程取り出した銃をクルクルと回して、不意にコッペペはエルトリウスへと放り投げた。それはゆるやかな放物線を描いて、イーグルの目の前をゆっくりと飛んでゆく。そのことに気付いたエルトリウスは手を伸べる。
 だが、エルトリウスの手はなにもつかめず空を切り、銀色に輝く新品の拳銃はテーブルの上に転がった。
「失礼……少し飲み過ぎたようですね」
 笑みを浮かべて、エルトリウスは改めて銃を手に取った。その端正な表情へ銃身を近付け、まじまじと隅々まで見分をはじめる。商売道具である武具に関しては気を配るのが冒険者の習いだが、イーグルは僅かな違和感を見逃さなかった。
「これは、ヤタガラスが掘ってありますね。以前、なずなさんから聞いたことが――」
「エルトリウス、あんた……どうした? ひょっとして、見えてないのか? 目が」
 イーグルの指摘に、エルトリウスは一瞬眉間にシワをよせた。だが、あっという間に普段の笑顔に戻る。
「ご冗談を。銃も弓も目は命……少し疲れているだけですよ」
 そうだろうか? だが、イーグルの疑問はこの場にいる全員が共有するものだった。
「もういいだろ、エル。まさかとは思ったんだが……ま、頼むわ。悪ぃ、ニムロッド」
「ほいきた! むふふ、イケメンが相手と聞いて張り切るワシじゃあ。役得、役得」
 小柄なニムロッドは椅子を飛び降りると、そのままエルトリウスににじり寄った。しまらないニヤケ面を近付けるニムロッドに対してもやはり、エルトリウスの反応はどこか鈍い。それを察するや怪しげな笑みを引っ込め、自称美人治療師は真剣な面持ちで顔を近付ける。
「ふむう……ちょいと失礼」


 ぴょいんとニムロッドは、エルトリウスの膝の上に飛び乗り腰掛ける。そうして懐から小さなペンを取り出すや「深都には便利なものがあっての」と目の前の細面に近付けた。そのペンは先端で不思議な光が点滅していたが、目前の明滅にエルトリウスは反応を示さなかった。
「エル、ちょっと前に大六階層で邪竜に妙な攻撃を食らったって言ったな? ジェラヴリグちゃんを庇ったってよ」
「ええ。それがなにか?」
「なにか? じゃねえよ馬鹿野郎。……どれくらい見えてる?」
「……ぼんやりとは」
 エルトリウスの言葉に、首を左右へ振りながらニムロッドが床へ降りる。彼女は淡々と、しかしはきはきと今しがた診察した目の症状を語った。その内容が衝撃的で、思わずイーグルはオウム返しに叫んで立ち上がってしまった。
「いずれ失明するかもしれないって!? なんでだよ、メビウスが一緒だったからその場で治療を」
「少々激戦でしてね。それもありますが、一番近くで光を浴びたのですよ。まあ、暫く見えてれば結構ですので」
 その時イーグルは、背筋を戦慄が駆け上るのを感じた。先ほどまで気さくな笑顔で一緒に酒を飲んでいたエルトリウスの表情が、冷たい殺意で凍り付いている。
「よしんば見えなくなったとしても、手探りで喉笛を掻っ切ってやりましょう。……例え相手が神でも」
 そこには、自らが慈しんできた者を奪われた男の、悲哀と憎悪が煮えたぎっていた。
「……わかった、この話はこれで終わりさ。だがよ、エル。命を賭けるのと命を捨てるの、一緒にすんなよな」
「心得ておきましょう」
 コッペペの言葉に静かに応えて、エルトリウスは渡された銃をしまい込む。イーグルは口止めを言い渡されたが、そうまでして禍神を仇と狙うエルトリウスの覚悟に言葉を失った。この男はしかし、そういう暗い情念で己を駆り立てるさなかにも、皆が皆守ろうと誓う少女を救った。庇ったばかりに光を失おうとしているが、後悔するそぶりも見せない。
 イーグルは暗闇へと復讐のために進む射手のために、黙っててやることしかできなかった。

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