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 森の静寂を引き裂き、耳をつんざく咆哮が響く。ここは第一階層『垂水ノ樹海』……今では新米冒険者の登竜門として賑わっているが、この場所だけは違う雰囲気に凍りついていた。そう、ひしめくは最下層と同等に強力な魔物達。その最奥でラプター達を待ち受けていたのは、三竜の試練が一つ……天を悠々と泳ぐ巨大な雷帝。
 ――雷鳴と共に現る者、降臨。
「くそったれっ、買い換えたばかりだってのによ!」
 弟の声は震えていた。その手に握られた剣は中程から折れて、残る刀身にもヒビが走っている。天然の装甲である鱗でイーグルの一撃を弾き返して、稲光をまとった黄金の竜が襲い来る。その顎門が天地に割れて、真っ赤な喉の奥底から光がせり上がってくるのがラプターには見えた。
「これが三竜の試練。これが、竜……ドラゴン」
 日々鍛錬してきたこの身が、あのフカビト達との激戦さえ耐えぬいた心が今、慄き竦んでいた。あまりにも絶対的な脅威を前に、自分でも情けなくなるくらいに身体が言うことをきかない。どんな試練であろうと耐え抜き勝ち進む。全ては仲間と我が君のために。そう誓いを立てたのに、現実は過酷で残酷にラプターの心身を刻んでいた。
 凝縮されてゆく稲妻を口から溢れさせる竜は今、強力な電撃のブレスを吐き出そうとしていた。
 あまりに無力な自分を叱咤するラプターはその時、時間が止まったかのような錯覚の中で声を聞く。
『定命の者よ、弱き者よ……怯える心、隠すことはならぬ』
「その声っ! エルダードラゴン!」
 頭の中に直接響く声が今、彫像のように固まってしまったラプターの中に反射して響き渡った。
 竜の中の竜、この世界の摂理を束ねて司る神にも等しい存在。エルダードラゴンの言葉はなおも続く。
『問おう。汝、勇者たるを望むか? 英雄たる人の子、リボンの魔女に続き並ぶことを願うか?』
 言葉が出てこない。ラプターは突然の問い掛けに自問してみたが、己の中に答えがないことだけがわかる。
『重ねて問おう。汝、己の栄光を祈るか?』
 エルダードラゴンが投げかけてくる声は、荘厳ながらもどこか優しく、しかし嘘や偽りが許されないことも伝えてくる。心の声で嘘をつく術を知らないが、口を回して嘘をはくのもラプターは苦手だ。
 考えてもわからぬ謎かけについ、ラプターは思うままを正直に叫んだ。
「わたしは願い祈る前に行動を選ぶ! 望むものは二つ、我が君の平穏と仲間の無事だ」
『汝は何を掴む? 何を得るというのだ』
 より簡潔になった質問に、今度は即答するラプター。
「騎士としての誇り、人としての尊厳。それ以外は日に三食もあれば人は生きていける!」
 逆に誇りを持てなければ生きてはいけないし、尊厳を失ってまで生きる意味をラプターは知らない。それは騎士として主君を守ることで得られ、主君が大事に思う仲間達を一緒に大切にすることで満たされる。
 そう、ラプターには眩い財宝も絢爛たる栄誉もいらない。
『汝の魂に祝福あれ。我は望む……汝が試練を乗り越えることを。願い祈るしか術を知らぬこと、許せ』
「あんただって神様なんだろうさ、メビウスが言ってた通り。ならわたしも答えは同じだ」
 決して手を下す事なかれ……決着は人の手で。ならばその結実に至る道もまた、人の足で歩まねばならない。その意味を改めてラプターはその心に深く刻んだ。
『見事! 流石は騎士の中の騎士。もう一人の英雄……エトリアの聖騎士が認める者よ』
 声は遠ざかり、同時に時間の感覚がラプターへ戻ってくる。
『しからば全力で挑むがいい。死線を超えた先に成長が待っていよう』
「騎士ラプター、お下がりなさい! ブレスが来ますわ。ここは任せなさいな」
 瞬間、苛烈な光がドラゴンの口から迸った。空気中に放電の輝きを閃かせながら、強力なブレスが放たれる。
 同時にラプターの前に踊りでた麗人が、アーモロードの紋章が刻まれた盾を振りかざす。衝撃波にあおられながらも、ラプターは高レベルのファランクスがブレスを無効化するのを目撃していた。自分とて同じ技を習得してはいたが、このタイミングで即座に割り込める、これが――
「これが、エトリアの聖騎士……助かりました、デフィール殿」
「昔とった杵柄というやつですわ。でも、エトリアで遭遇した個体より……強い」
 強烈な余波が通り過ぎた後に、デフィールは白煙を巻き上げる盾を下ろす。その頃にはもう、勝ち誇ったようにドラゴンは空へと舞い上がっていた。再び爪と牙で襲い来る構えには、食物連鎖の頂点たる絶対生物の威厳すら感じられた。
 だが、もうラプターは迷わない。怯える心を隠さない。弱さを知ってこそ強くなれる、その意味を先程エルダードラゴンに叫んだから。人は皆、その必要性を感じた時に強さを求める。願い祈る前に進むことで、それをつかめるとラプターは信じている。
「イーグル、君は援護に。ラプター、怪我はないかい? デフィール殿、助かりました」
 ふと気付けば、すぐ隣の前衛までクフィールが出てきていた。彼は手にした銃を握りながらてきぱきと指示を出し、戦列を維持して号令を飛ばしている。その声は発する唇をラプターの耳元に近付け潜められた。
「大丈夫かい? さっき、立ち竦んでいたように見えるけど。大丈夫、俺も気持ちは同じさ。怖いんだ」
「我が君……」
「俺の手をごらんよ、君と同じ病気さ。臆病……厄介だが、はいそうですかと縮こまってもいられないだろ?」
 そう言ってクフィールはにこりと笑う。彼の手は小刻みに震えていた。この王子様ときたら威厳や貫禄は皆無なのに、不思議とラプターの心はずっと前から彼の中にあった。鷲掴みにするような牽引力は感じないが、そっと抱きしめられているかのような優しさといたわりを感じる。
「デフィール殿に助けられました。ですが、次はわたしがブレスを止めます。その間隙を縫って」
「ああ、反撃に転じよう。デフィール殿風に言えばこうだ……俺にもいい考えがある」
 軽口を叩く余裕を見せて、上空のドラゴンを睨みながらクフィールは振り向くデフィールに語りかけた。
「デフィール殿、以前メビウスさんから聞きました。貴女がエトリアで三竜を打ち倒したと」
 彼女の息子が腰にはく剣こそその証……三竜の鱗を紡いで束ねた、この世界で最強の剣。エトリアの聖騎士とは、竜殺しの英雄でもある。その経験が咄嗟に彼女にパラディン譲りの技を使わせ、先程パーティを救ったのだ。
 そしてラプターもクフィール同様、メビウスから聞き及んでいた。三竜が一角、いかずちを纏うドラゴンの弱点を。
「たしか、あの竜は……炎に弱い筈ですね。その弱点を突きましょう。幸いヨルン殿がいてくれますし」
 背後でポンと弟が手を叩く気配をラプターは拾った。デフィールは「あら、妙案ね」と意味深な笑みで槍を肩にもてあそぶ。
 当の本人、ヨルンは最後尾でエーテルを凝縮しながら普段の鉄面皮を崩さなかった。
「と、殿下は仰ってるけど……どう? 氷雷の錬金術師さん。確かに決め手に欠くわね、今のままだと」
 全員の視線を集めて吸い込み、ようやくヨルンは重い口を開いた。
「炎の術は使ったことがない。術式は勿論、占星術もだ」
「……は? え、いや、だってネモもエイビスも、ジェラヴリグのお嬢ちゃんだって」
 思わず声に出したのはイーグルだったが、ラプターも同じ事を心の中に浮かべた。そして、この男の通り名を思い出す。
「え、じゃあ氷雷の錬金術師ってのは……」
「そ、うちの人は炎が使えないの。十年以上一緒でも、私も見たことがなくてよ?」
 一瞬目の前が真っ暗になったラプターだが、先ほどの誓いを思い出す。まずは行動だ。そしてそれは、隣で即座に気持ちを切り替えた彼女の主君も同じようだった。
「そうでしたか。でも……先程からエーテルを集めてるってことは、秘策ありとお見受けします」
「ああ、切り札をお見舞いする。このパーティはお前の仕切りだ、クフィール。俺はお前に命を預ける」
 歴戦の古参冒険者であるヨルンの言葉は重い。同時に、自分の主はその重圧に押しつぶされることがないのも知っている。だから、不敵に笑うクフィールの微笑みがラプターにも明るい表情を象らせた。
「――読めましたよ、ヨルン殿。あの術を会得されてたんですね。では……イーグル、ブレイバントだ。持ってるね?」
「そういうことですわ。じゃ、騎士ラプター……いいこと? 勝負は一瞬、一撃必殺でお願い。後ろは任せて頂戴」
 デフィールの声に迷いはなく、それはラプターとヨルン、そして仲間達への絶対の信頼を感じさせた。当然、ラプターは槍を身構え突撃に身を屈める。徐々に高度を落としてくるドラゴンへと、飛び込む腹積もりで全身の筋肉をバネにたわませる。
 意味がわからない様子だったが、パーティの連携の重要度を知るイーグルは手早かった。
「ええと、たしかポーチに……あった! 旦那っ、使ってください!」
 イーグルが放ったのは、飴玉やタブレットとして常用される薬品だ。物理的な攻撃力を増幅させる効果があって、ウォリアーやパイレーツ、ショーグンはよく持ち歩いている。だが、それを受け取るヨルンはゾディアックだ。そのミスマッチな違和感もしかし、意に返さずラプターは盾を捨てる。今まさに彼女は、仲間と言うなの弓で引き絞られた必殺の一矢だった。
 声高に軽やかに、絶体絶命の窮地を感じさせぬ声色でクフィールが号令を叫んだ。同時に、
「嘗て地に満ちた竜の眷属を滅ぼした……墜ちて爆ぜる星々の嘆きを、聞けっ!」
 ヨルンがかざした手を振り下ろすと同時に、空が割れた。無慈悲な星屑が炎を纏って、次々とドラゴンに降り注ぐ。ゾディアックが用いる占星術の中でも、直接星をも動かすのは高レベルなものだったが……半ば伝説と化した氷雷の錬金術師は険しい表情に汗を浮かべて星の雨を降らせる。大気との摩擦で燃える巨大な星礫が、次々とドラゴンを射抜いて宙に縛り付けた。属性を無視した物理的な、シンプルゆえに強力な質量攻撃……薬品と号令で極限まで己の潜在能力を絞り出して、ヨルンは砕ける星々を呼び続けた。
 その、掠めただけで燃え尽きる地獄のような鉄火場をラプターは飛翔する。まっしぐらに、ドラゴンへ向かって。
「いっけえ、姉貴っ! ……伊達に商売道具ヘシ折っちゃいねえぜ。へこみは入れておいた、刃が通るっ」
「ラプター=マーティン、我が騎士よ! 試練の先に奈落へ挑む俺達に……道を示せっ!」
 弟の、主の声がラプターを加速させる。降り注ぐ星々を足場に跳ねて、ついにラプターは巨大な瞳が宝玉の如く燃えるドラゴンの鼻先に迫った。愛用の戦斧をひきしぼれば、その長柄がしなって翻る。
「これでぇぇぇっ、終わりだっ!」
 剣を犠牲に弟が無敵の鱗を傷つけた、その首の付根にラプターの一撃がめり込んでゆく。そのまま振り抜けば、断末魔と共に竜の首は刎ねられた。瞬間、輝く巨躯が四散して溶け消える。エルダードラゴンとの約束を行動で示したラプターは、眩い光の中に見た。消えゆくドラゴンの中から小さな光が自分に向かってくるのを。


 重力に捉まり仲間達の広げる腕の中に落ち始めたラプターは、竜より生まれた不思議な宝珠を掴んでいた。それは握れば身の内から力が沸き起こり、今までにない限界を超えた潜在能力を開花させた。

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