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 仄暗い地の底の深く、遥か太古の昔に封じられし負の遺産……遠く星の海を渡りこの星に堕ちた、異界異形の禍神。その強大な本体が、地鳴りの音と共に迫り上がってくる。見る者の正気を奪う名状しがたい肉塊は今、メビウス達を包む闇の中でさえ発散する瘴気のドス黒さに煙る。
 メビウスの人としての直感が教えてくれる……このバケモノを、絶対に地上へ出してはいけない。
 大事な仲間を取り返し、再びこの血へ封印……否、打ち砕いて滅する。あらゆる怨嗟と憎悪を糧に胎動する闇の私生児を、これ以上アーモロードの地下で暗躍させてはいけないのだ。全ては人とフカビト、手を取り合い始めた二つの種族、彼等彼女等がこれから作る唯一無二の国のために。
「ジェラヴリグ、下がっていろ。……怖くないか?」
 なずなはジェラヴリグを庇って前に立つと、着物の右袖をもろ肌脱いで鋼の豪腕をさらした。彼女の右腕は、肘から空薬莢を吐き出すなり腰の妖刀ニヒルを抜き放つ。
「ありがとう、なずなさん。わたしは怖くない。自分自身のこの力さえも、怖くはないわ」
「うん。早く悪い奴を斬って、リシュリーを連れて帰ろう。その姿はいつか大人になる時、もっと綺麗な形で訪れる筈」
「そうだったらいいなって、そう思える。でも、今はこの力を使う……この地の災厄を倒すために」
「ああ、それでいい。お前は私が、メビウスと必ず守る。そうだろう? メビウス!」
 徐々にせり上がる巨躯を前に、メビウスは拳を握って大きく頷く。
 必ず守る、守り通す……この地の平和も、仲間も。
「いこう! なずな、ジェラも。これが本当に最後の戦い……全てを出し尽くす!」
 そしてメビウス達の前に、巨大な神が姿を現した。
「我は昏き海淵の禍神……我は絶対! 最も古く、また常に新しい。次元をも統べる、宇宙の意思」
 腹の底に響く声が、メビウスの総身を震わせる。握った拳の内側に浮き出た汗が、どこまでも冷たく湿って彼女を凍えさせた。なんという迫力、余りにも神々しいその威厳。目の前にそびえる醜悪なバケモノは今、神の名を騙ってメビウス達に裁定を下そうとしているのだ。
 だが、恐れる自分を隠してはいけない。恐怖から顔を背けては駄目だ。
 自らの弱さを認める強さ、それを人は勇気と呼ぶ。真の勇気を知るからこそ、それを分かち合う仲間と共にメビウスは立ち向かう。
「征くぞ、禍神とやら……常世で真祖に詫びて来い!」
 地を蹴るなずなが、愛用の胴太貫をも抜き放つ。実用一点張りで鍛えられ、数多の戦場で無数の血を吸った業物の輝きは鋭利に過ぎる。だが、左手に握るその一振りこそが人類の英知の結晶ならば、右手で翻る剣は二つの都のために散った英霊達の魂とも言える咒器。妖刀ニヒルは海都と深都、双方の血と生命に報いるように怪しく光り輝く。その刀身から溢れ出る剣気は、ゆらりと紫煙をゆらめかせていた。
 真っ直ぐ飛び込んでゆくなずなを追って、メビウスも地を蹴るや疾風になる。
 背後ではジェラヴリグが天の星々を呼び寄せる気配にエーテルを高めてゆく。
「なずな、出し惜しみはなしだ! 一気にいくよ!」
「委細承知!」
 一足飛びになずなが、縮地の奥義で禍神へと肉薄する。その恐るべき巨体に対して、抗う姿はあまりにも小さい。
 だが、なずなは無数に形成されて行く手を阻む障壁を、左の胴太貫で一撃のもとに吹き飛ばす。異能の力を持って形成された力場は、その位相空間を破断される様が肉眼で見えるほどに強力だ。
 懐に入ったなずなは、高々と掲げた妖刀ニヒルを一気に振り抜く。小さなモーター音と共に、機械仕掛の腕が肉を透過した。
 異臭と共に傷口が開いて、真っ赤な体液が宙を舞う。
 神の血も赤いのかと、妙に呑気なことを考えるメビウスの恣意が研ぎ澄まされてゆく。
「速攻で決めるっ!」
 なずなが切り開いた突破口へ、メビウスが本命を叩き込む。その手に氣の力が凝縮して煌々と当たりを照らした。奈落の深淵にも似た闇の中に、メビウスが握って振り絞る拳が太陽の如き輝きを放つ。彼女はそのまま、全力で拳を走らせる。重さは感じない……ドクトルマグスだったころから、メビウスは完璧に自分の肉体をコントロールする術を心得ている。巫力も氣の力も、源は違えど万物万象に宿るモノ。それを束ねて紡ぎ、解き放つ。
 メビウスの拳が直撃した瞬間、禍神の背後へと衝撃が突き抜けた。大量の氣を送り込まれて、インパクトとは逆側の背が膨れ上がるや体液をまき散らして爆ぜた。
 いける、神といえども同じイキモノ……斬れば剣も通るし、氣を乗せた拳も効く。
「メビウス、なずなさんっ! これでっ、終わりにする!」
 両手を広げたジェラヴリグの目に、フカビトの如き燐光が瞬く。同時に、太古の因子を顕現させたジェラヴリグの肉体が、鱗や甲殻、体毛が七色に光りを帯びてプラズマをスパークさせた。その姿は人のシルエットを脱ぎ捨てた、おぞましくも美しい姿で頭上の空間を天高く星の海と繋げる。
 漆黒の空間へ相転移によって現れた、星の瞬く銀河を広げるジェラヴリグに、禍神は体液にまみれながら身を揺すった。
「おお、我が愛しの星海……花嫁よ、その全てをこの手に。今度こそ世界樹の子等に死を。我が眷属に勝利を」
「終わりよ、神様。あなたは終わりなの。あなたが目覚めさせたわたしの力が、あなたの妄念を打ち砕く」
 四肢を広げたジェラヴリグが、その両手を勢い良く禍神へ向けて振り下ろした。
 瞬間、頭上一杯に広がった暗黒の空間から、巨大な隕石が無数に降り注ぐ。かつて栄華を極め、今はエルダードラゴンが守る空中庭園や世界樹の迷宮にしかいない恐竜達……世界の覇者だった大型爬虫類を絶滅せしめた、尾を引き死を呼ぶ禍つ星が襲い来る。
 メビウスはなずなと一緒に、星降る中でも攻撃の手を休めない。
 回復する暇を与えず、再生する隙を残さない。微塵も残さず、この世界から消し去る。
 だが、一際巨大な隕石が直撃して砕けても、傷付く禍神が死ぬ気配はない。それどころか――
「汝等の足掻きと嘆き、それこそが我への贄。今こそ深淵への供物を捧げよ!」
 圧倒的な手数で競いあうように舞うメビウスとなずなの、無数に狂い咲く拳と剣の徒花。
 だが、その殲滅力を上回る力を湧き上がらせると、瞬く間に禍神は元の姿へと復元してゆく。あたかも、人間達が抗う様を嘲笑うように。ついには降る星も尽きて、メビウスとなずなの連撃にも翳りが訪れる。
「メビウス、ジェラヴリグが! あれだけの術を使ったのだ、あの身体とて無理を続ければ」
「クッ! 駄目だ……再生に追いつけない! やはり、周囲の触手の除去を待つべきだった? でもっ」
 諦めることなく拳を振るい、蹴りを打つメビウス。呼応するように剣を振るなずなが、珍しく苦しげな表情に口元を歪めていた。見れば彼女の右腕は既に、もうもうと白煙を巻き上げ赤熱化していた。
 だが、打っても打っても、斬っても斬っても、それに倍する速さで禍神は再生してゆく。
「絶望せよ、世界樹の子等よ! 汝等にもこの星にも、もう未来などありはしない!」
「ほざけ外道! ……いやいい、もう喋るな。黙らせるぞ、メビウス!」
「ああ! 例えこの身が張り裂けようとも、ぼく達の心は折れはしない!」
 疲労に軋んで痛む身体に鞭打ち、さらなる力を振り絞った、その瞬間だった。
「絶望を歌え! 死の輪舞に踊るのだ! 滅ぶ世界のさきがけと散るがいい!」
 不意に禍神の表面が割れて、その奥から本体が顔をのぞかせた。
 地獄の底を凝縮したような、恐懼に輝くおぞましいその姿。
 メビウスは反射的に一歩踏み込むなり、持てる力の全てを拳に乗せて突き出す。……つもりだった。だが、次の瞬間にはメビウスの身体は、力なく崩れ落ちて地に伏せていた。見れば自分の血に濡れた触手が、鉤爪を光らせながら無数に乱舞している。
「いけない……なずなや、ジェラが。や、やば……身体が、動か、な……!?」
 とどめを刺すべく、無数の触手が連なり殺到してくる。
 目を見開くメビウスの視界が奪われた。
「……や、やあ。信じて、たよ……遅いじゃないか、もうっ」
「すまんな、メビウス。だが、私達の仲間は使命を果たした。完璧にだ。だからもう、好きにはさせない」
 メビウスの前に今、鋼の鎧に身を固めたファランクスが立ち塞がっていた。肩越しに振り返るエミットの盾は、完璧に全ての鉤爪を弾き返している。そして震えながら周囲を見やれば、ジェラヴリグやなずなも無事だった。
「触手は全て排除したわ、メビウス。さ、フィナーレといきましょ?」
「デフィール……」
「立ちなさい、リボンの魔女。立ちなさい、メビウス……貴女はまだ、こんなところで倒れては駄目」
「あ、ああ……そうだ、ぼくはまだ、こんな……グゥ!」
 既に身体は限界に近かった。限界を超えていたとも言える。
 だが、血に塗れて痛みに苛まれながらも、メビウスはゆっくりと立ち上がろうとした。
「馬鹿な! ……我がこの地に根付かせた力が、失せた。おのれ、世界樹の子等め!」
 再び翻る無数の鉤爪が、無軌道に全方向からメビウスめがけて襲い掛かる。
 だが、その時ジェラヴリグが前衛へと躍り出た。
「デフィールおばさま、メビウスをお願いします。……メビウスは、やらせないっ! エミットさん」
「ああ。終わりだ、異界の邪神よ……今、滅びを呼ぶものにこそ滅びの時を!」
 デフィールと並んで繰り出されるエミットの槍が、あっという間に神速の突きで弾幕を形成する。その絶対防衛圏を突破できる攻撃はなく、禍神の鉤爪が無数に切り落とされて宙を舞った。そのままエミットは大きく薙ぎ払いで一回転すると、ズシャリと地を踏み締め槍を逆手に振りかぶる。ギリギリと引き絞られた全身の筋肉が力を凝縮してゆく。
「おのれ、おのれ! おのれぇ! 人間風情が……世界樹の創造した生命に、この我が」
「眠れ、地の底に……裁きの雷を受けるがいい」
 ビリビリと蒼雷を纏う槍を、全力でエミットは投擲した。その鋭い穂先は空気を引き裂き、雲を引いて禍神へと突き立つ。絶叫と苦悶が鳴り響いて、禍神の巨体が大きくよろけたその時だった。
「リシュ、もう少し我慢してね……今、助けにいくからっ」
 ふわりと飛び出たジェラヴリグが、禍神へと右手を振り下ろす。
 遠く星座の彼方より轟音と共に爆雷が轟き、エミットの槍を直撃した。周囲を煌々と照らして、真っ白に視界を染める終劇の稲妻。
「まだよ、気を抜いては駄目。トドメを……さあ、メビウス」
 デフィールの声に、メビウスは歯を食いしばって立ち上がった。脚が震えて膝が笑う、既に流した血は目の前の落雷による余波で乾きつつあった。痛みは既に通り過ぎて、今はもう身体の感覚すらない。


 だが、それでも拳を握ってメビウスは立ち上がる。居並ぶ仲間達と共に。
「我の力が! 世界より吸い上げし憎しみ、妬み、嫉みが! 欲望が! 失われてゆく、零れてゆく!」
「そうよ、わたしの仲間があなたの触手を全て切り倒した。だからもう、あなたが力を取り戻す手段は一つだけ」
「……勝機! 愚かな花嫁よ、今こそ一つに。その身に宿る全てを我に……捧げよぉぉぉぉぉ!」
 ジェラヴリグは、ちらりとメビウスを振り返って微笑んだ。
 その瞬間、視界からジェラヴリグの身体が消滅し、彼女が居た場所を飲み込んで禍神が活性化を始める。
「ジェラ、リシュを迎えにいったんだね。……みんな、最後の力を! 吐き出させるよ……二人を!」
 メビウスの声に応えて、誰もが武器を構え鬨の声を叫んで突貫に地を蹴った。

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