《前へ 戻る TEXT表示 登場人物紹介へ 暫定用語集へ 次へ》

 かつて天に戦あり。
 遥か深淵の彼方、宇宙開闢のころより争う二つの意思。その時空も次元も超えた飽くなき闘争の結実が、この星に敗者を堕とし勝者を根付かせた。その時よりアーモロードは、深海の底に百邪蠢く災厄の地となったのだ。
 星海の来訪者がもたらした、その永きに渡る歴史に今、幕が降りようとしている。
「まつろわぬ世界樹の申し子達よ、我の前に命を捧げ血を流せ!」
 吠え荒ぶ禍神の巨躯が、邪悪な脈動でせり上がる。ジェラヴリグの完全に覚醒めた混者の血を供物に、最後の力を漲らせて神が荒れ狂った。だが、その身から発せられる激しい衝撃波の中、メビウス達は目を凝らす。
「エミット!」
「ゆけ、メビウス! いってくれ。私が注意を引き付ける……前だけを見て走れ!」
 盾を構えて身を固めるエミットへと、鋭く光る無数の刃が群がる。粘度の高い白濁を滴らせて、触手がその身へと絡みついていった。思わず振り返るメビウスは、奥歯を噛んでその光景を振り切り走る。
 不遜なる神への反逆に走るメビウスの、そのおぼつかない足取りを仲間達が追い越していった。
「なずな、私と貴女で活路を開く! よくて?」
「今こそ命を燃やす時……私が修めた剣の道は、この日のためにあったのだ。いざっ!」
 鎧の重さも感じさせずに、真正面から禍神へとデフィールが吸い込まれてゆく。その手に握られた槍が、絶え間なく襲い来る闇の手を切り払い、その何割かを被弾しながらも振るわれる。撓る柄が唸って、穂先はぬらぬらと光る体液に濡れながらも鋭さを増してゆく。
 そうして仲間達に先んじて、エトリアの聖騎士が最後に槍を捨てるなり加速した。
 煌めく彗星のように飛び込んでゆく彼女の手に、アーモロードの紋章を刻んだ盾が輝いていた。
「偉大なる勇者、栄えある英雄……エトリアの聖騎士。おお、汝の愚かさを嘆こう。絶望せよ!」
「お黙りなさい! たとえこの身が朽ち果てようとも……私達は明日を諦めない!」
 デフィールがアーモロードの盾を振りかぶるや、強烈なシールドスマイトでそびえる巨体を怯ませる。身の毛もよだつ金切り声をあげて、禍神が苦痛に絶叫した。もはやアーモロードの地下深く張り巡らせた触手は断たれ、最後にジェラヴリグの力を吸い上げて顕現しているのだ。メビウス達冒険者にも後がないが、それは禍神も同じ。
 デフィールが強く押し出す盾がひびわれ、音を立てて木っ端微塵に砕け散る。
 だが、盾の装飾が肉塊にアーモロードの紋章を刻み付け、その形に体液を吹き出させた。
「なんと! 我の身に今、消えぬ痕を……人間の分際で!」
「その人間の底力にお前は敗れるのだ。妖刀に宿りしアーモロードの英霊よ!」
 激昂に吠える禍神の頭上へと、高く高くなずなが飛翔する。その両手に握られた妖刀ニヒルが、紫炎を吹き出し絶叫した。それは刃に露と散った、数多の英霊達の叫び。あまりの霊圧にひび割れ砕けた、その刀身が強念を纏って紫光の刃を迸らせた。
 妖刀ニヒルを高々と上段に掲げる、そのなずなの右腕から次々と空薬莢が飛び出し宙を舞う。
 鋼鉄の義手が、すすり泣く乙女のように金切り声を張り上げ、嘆きに叫ぶ刃を翻した。
「この一太刀に全てを賭ける……未来をこの手に、斬り開けっ!」
 剣閃が走って光が駆け抜け、同時になずなの義手が火花を咲かせて砕け散る。
 一閃に込めた太刀筋は万感の想いと共に、一瞬の刹那に無数の斬撃を繰り出す。……ブシドーの奥義、ツバメ返し。
 中空のなずなを叩き落とし、それを受け止めるデフィール薙ぎ払いながらも、禍神は身を捩って激痛に苦悶していた。おぞましい声が周囲に死霊を呼び出し、その虚ろな魂すら吸い込んで活性化を図ろうとしている。だが、二人の攻撃が致命打となっているのは明らかだ。
 そして、メビウスはまだ身を引きずるように禍神へと向けて走っている。ふらつく足取りだが、しっかりと拳を握って。
「人間風情が、我に歯向かうことは摂理への反逆! それを――」
 怒りに声を震わせる禍神の、その表面が沸き立つマグマのように輪郭を崩す。次第に身体を維持できなくなってゆく禍神は、それでも真っ直ぐに進むメビウスを見下ろし叫んでいた。その中に今、光が凝縮して一点に集束してゆく。
 あれはジェラヴリグの光、彼女が胸に抱く神竜の灯火だ。
「我は不滅! 死をも超越した存在! 我は、我は我は、我は……」
 大きく撓んでひしゃげた禍神の身体に、小さな亀裂が走った。それは、エミットが投擲して突き刺さった槍を押し上げて広がってゆく。そしてメビウスは、その奥から立ち上がる姿を見て自身に鞭打つ。その名を叫んで、血に濡れて冷たい身体の余力を振り絞った。
「ジェラ!」
「メビウス! みんなの声が、メビウスの声が聞こえた……わたし達は大丈夫、ここにいるっ!」
 真っ白な裸体を光り輝かせて、禍神を突き破ってジェラヴリグが立ち上がった。その身体は今、人間の少女へと戻っている。そして彼女は、わたし達と叫んだ。その意味を今、最後に抜き出した右手の中に握っている。
 ジェラヴリグの右手は、禍神の奥深くより取り込まれた一人の少女を引っ張りあげていた。
「メビウスさま! みなさまも! わたくしにも聞こえましたわ……おばねーさまの声、みなさまの声が」
 リシュリーもまた、少女の身体へと生まれ直していた。二人の白い肌が光をまとって、禍神の上に立ち上がる。手に手を取って硬く握った、二人が結ぶ掌の中にその光の源がある。それは一層熱量を増して光芒を迸らせ、ジェラヴリグとリシュリーは互いに顔を見合わせ大きく頷いた。そして、握った手を高々と天へかざす。
 瞬間、脳裏に直接声が走った。
『定命の者達よ、世界樹の子等よ! 今こそ永劫の災禍に終止符を……我ら竜もまた、この星に共に生きる生命!』
 エルダードラゴンの声と共に、二人が握り締めている神竜の逆鱗が一際強く輝く。
 その光は髪をなびかせる二人の裸体をふわりと宙へいざなった。そして、メビウスの身体は限界を超えて血を吐きながらも、その光に導かれるように勢いを増してゆく。一歩を踏み締めるごとに抜けてゆく命が、意識をさらって意思を折ろうとしてくる。だが、既に死体も同然の身体が今、燃えるように熱い。
 ジェラヴリグとリシュリー、二人の手の中の光は次第に剣を織り成してゆく。
『勇気ある者よ、今こそ我の力をその手に! 念じて邪を断つ刃とならん……我は神竜、神竜の剣なり!』
 二人が高く掲げる、結んだ手と手。それは今、神々しく輝く一振りの剣を握っていた。
 そしてジェラヴリグはリシュリーを、リシュリーはジェラヴリグを見て微笑み頷く。
「決着をつけよう、リシュ。一緒に」
「ええ。ジェラと一緒ならわたくし、怖くありませんわ」
 二人は足元で憎しみに燃える、冷たい炎を吹き出す禍神へと剣を振り下ろした。


 神竜の剣が突き立ち、絶叫が咆哮となって禍神を揺るがす。
「この力! おのれエルダードラゴン、竜の王! 神に最も近い貴様が、人間などに加担するか!」
『我ら竜もまた、世界樹の子等と生きる。その意味、その価値を汝に刻む者が今……翔べ! リボンの魔女よ!』
 メビウスは最後の死力を振り絞って、身を声に叫んだ。同時に地を蹴る身体が風になる。誰もがメビウスの名を呼んで、宙へ舞い上がる彼女の拳に祈りを込めていた。互いに支えあうデフィールとなずなも、メビウスを照らす光となって浮かぶジェラヴリグとリシュリーも。禍神を食い破って刃となったエルダードラゴンも。全ての想いが今、メビウスの拳を強く硬く握らせる。
「リボンの魔女! 世界樹の使徒よ、その継承者よ……よかろう、貴様こそが我の久遠の怨敵」
「そんなの関係ないっ! ぼくは、ぼく達は――誰にも組みせず、みんなで寄り添い生きてゆく!」
「そうして群れねば生きれぬ弱さが我を、世界樹を生んだ! 両者は陰陽の対極にして同質!」
「ならば、禍神と世界樹を生んだ人の闇、心の虚無とさえ共に生きる! それがぼくの答え、だぁーっ!」
 メビウスが引き絞る拳に力が集まる。まるで、世界の万物万象が圧縮されてゆくような感覚。メビウスは重力に身を預けるや、この星へと抱き寄せられるように落下を始めた。同時に、疲労と激痛で満身創痍の身に覇気が宿って全身の筋肉が躍動する。
 メビウスは澄んだ心にただ、己の確固たる気持ちをそよがせ拳を放つ。それは自由を愛して平和を慈しむ心。それを共有する祈りと願いが、メビウスの放つ最後の一撃に力を与えた。もはや余力も果てた四肢から、無駄な力のない真っ直ぐな拳が放たれ音の壁を超えてゆく。
 最後の一撃は、禍神に突き立つ神竜の剣を打ち貫き、その刀身を全て埋め込む。
 瞬間、埋まった刃が禍神の体内を食い破って、白銀の竜となって天へと昇った。
 神竜の剣を今、メビウスの意思が、生命の力が……神竜の拳へと昇華させた。
「……我の存在が、この宇宙から消えてゆく……果てなき闘争の最果て……嗚呼、星海が、聞こえ、る……」
 着地してよろめくメビウスは、背後で禍神が消滅する気配を感じた。同時に、その身に永らく溜め込んだ百年の怨嗟と憎悪が、解き放たれて無へ還る音を聴く。よろめき倒れそうだったが、支えてくれたのはエミットだった。仲間達も無事で、目の前に今生まれたばかりのようなジェラヴリグとリシュリーの姿が降りてくる。メビウスは薄れゆく意識の中で目を見張った。
「ジェラ、リシュも……その姿、は」
『気高き魂への代価なり! 混者の少女よ、よくぞ我の力を覚醒させた。その心の強さこそが誇りなり!』
 神竜が今、メビウス達の前に現れていた。その前に、膝を抱いてまるまる二つの影がある。
 一つは金髪の少年で、顔立ちはリシュリーそのものだ。そしてもう一つはフカビトの少女、これはジェラヴリグだ。
『この地を救った勇気に報いたい。我が刃をなして剣を生んだ、その奇跡を余さず使うがいい』
「奇跡、とは……エルダードラゴン、あなたは……ジェラは、リシュは」
『二人が望めば、その入り混じった血を正しい姿へと戻そう。混者としての生は過酷、茨の道でもある』
 エミットの腕の中で、メビウスはぼやけて滲む視界に二人の少女を見詰めた。はっきりと見えない、既に疲れに目が霞んで表情が読み取れない。なのに、互いに顔を見合わせ手を取り合う少女達に、おだやかな笑みが浮かんでるような気がした。
「エルダードラゴン、お気持ちだけ頂戴します。わたしは、わたしの姿が好き」
「わたくしもですわ。例え異端でも、居場所は自分で探しますの。なければ作りますわ」
「父さんと母さんが愛し合って結ばれた、その証がわたしだから。大切にしたいの」
「ははねーさまから頂いた大事な身体ですもの。わたくしだって気持ちは一緒ですわ」
 エルダードラゴンは満足気に頷き、二人の身体へと比翼の片割れ、生まれ持った半身の血を戻す。
 いつもの見慣れた二人の裸が、遠く薄れて闇に消えるメビウスの中にいつまでも光っていた。
 こうしてアーモロードを百年苛んだ災厄は、勇気ある冒険者達によって取り除かれた。

《前へ 戻る TEXT表示 登場人物紹介へ 暫定用語集へ 次へ》