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 風馳ノ草原(カゼハセノソウゲン)は今、着実に冒険者達の手で開拓されつつあった。長らく停滞していた大地の探索は、気球艇の開発で再び活気付いている。なにより、新鋭の若手ギルドの台頭がタルシスを活性化させていた。
 長らく訪れる者もなく静まり返っていた小さな果樹林(かじゅりん)にも、遠く剣戟(けんげき)の声がこだましていた。
「そういや、な。例のあんちゃん、身元が割れた。ような、そうでもないような?」
 射抜いた獲物を手早く解体しながら、皮を剥いで血を抜く。手早い作業を止めることなくサジタリオがぽつりと(こぼ)す。周囲を娘達と警戒していたポラーレは、目線を上げることなく喋る相棒を肩越しに振り返った。
 サジタリオは今しがた射止めた森ネズミの、家畜ほどもある身体へナイフを突き立てている。
「頼んでもいねえのにファルファラがな。……暁の騎士(キャバリエーレ・ド・アウローラ)、だとよ」
「暁の、騎士?」
 聞き覚えのない単語をオウム返しに呟くポラーレ。一流冒険者や高名な騎士は、通り名を名乗る風習がある。自ら名乗る者もいれば、そういった仰々しさを嫌っても実績が噂を呼ぶこともある。手近なところではヨルンが後者で、自分の友人が有名な錬金術師というのは不思議な(えにし)だ。自分に友人と呼べる類の人間がいることも含めて、奇妙にすら感じる。
 そして目の前では、慣れ合いはしないと言いつつ相棒を気取る男が、油断なく弓を構えて立ち上がった。
「それにしても、ファルファラはどこからそんな情報を……」
 やはり、得体のしれないところがあってポラーレは自然と警戒感を強めてしまう。その怯えにも似た尖った気配が伝わったのか、そっと手を取る娘のグルージャが指を握ってきた。安心させるように指を絡めて、しかし拾う体温を奪ってしまうような自分の冷たさを感じていると、
「や、それがな。本人から聞いたそうだ。騎士様は仕事に難儀してるらしくてな」
「あ、ああ……どうも、世渡りが上手いタイプには見えないよね。……僕が言えた義理じゃないけど」
 先日、少女を(たぶら)かす異形の魔物と、自分に武器を向けてきた男がいる。彼はどうやら、暁の騎士などという大層な名を名乗っているらしい。だが、そのくすんで古びた鎧も、妙に形式張ってお固い態度も、調子が外れていてパッとしない。見るも端正な甘いマスクも、目が悪いのか視線はぼんやりとした印象だ。
 だが、そんな本人からわざわざ素性を聞いてくる辺り、ファルファラも容赦がない。
「……やっぱり、父さんは魔物って話、有名なのかな」
 ちょっと不安そうにグルージャがぽつりと零して、ポラーレの指を握る小さな手に力が篭る。
 タルシスに来てから何度か、派手に大立ち回りをやらかしたツケかもしれない。並の夜賊(ナイトシーカー)ならば問題はないし、ちょっとした武勇伝にもなるだろう。だが、高利貸しの用心棒として氷雷(オーロラ)錬金術師(アルケミスト)と戦い、宿敵と夜の空で死闘を演じたのは……人ならざる身に異形の技を詰め込んだ、バケモノだったのだから。
 そのバケモノであるポラーレ本人は、仲間達の忠告もあって最近はおとなしい。
 おとなしく暮らしてるだけに、先日の酒宴の興を削ぐ乱闘騒ぎは憂鬱な思い出だった。
「だいじょーぶだって、おじさん! リオンもさ、悪気があった訳じゃないから」
「リ、リオン……?」
 ばしばしとポラーレの丸まった背を叩きつつ、グルージャと肩を組んでメテオーラがニシシと笑う。
 グルージャは平坦な目でじとりと視線を落としたが、振り払ったりしないのがポラーレには面白かった。
「こないだ酒場で会ってさー、なんか仕事がなかなか見つからないって困ってた」
「そ、そうかい。先日は、ちょっと悪いことしたかな?」
「気にすんなよーって言っといたからだいじょぶ! ドーナツおごってくれたし!」
 グッ、と満面の笑みでメテオーラは、拳に立てた親指を突き出した。なんだかいたたまれないのか、「うわー」とパッセロが空気をどんよりさせる。ポラーレも流石に気の毒な気がしたが、「仕事にあぶれてる奴にたかるなよ、こりゃ傑作だぜ」とサジタリオは笑っている。何にせよ、今度酒場で会ったら声をかけてみよう。それがポラーレなりの、精一杯の社交性だった。
 だって相手は、魔物な自分を討伐せんとした騎士様なのだから。落ちぶれてても、うらぶれてても。
「っと、そんなことより旦那方。警戒してくださいよ。お客さんだ。怪我、禁止ですからね」
 パッセロの声でポラーレは、すぐ近くに獣の息遣いを拾う。小さく不揃いな足音さえ、耳の奥で獲物の到来を告げてきた。瞬時に手には剣が現れ、仲間達の前衛へと黒い影が滑るようにゆらりと赴く。
 だが、ポラーレ達の前に飛び出てきたのは、小さな幼鹿だった。
「……よし、気を抜かずにいこう。グルージャ」
「うん。速攻で仕留める、手は抜かない。大事な収入源だもの」
 親子揃ってグッと身構えた、その瞬間には親子揃って後頭部に軽い衝撃。
 娘と同時に振り返ったポラーレは、すごーく苦虫を噛み潰したような顔に眉をしかめたサジタリオを見た。
「アホかっ! お前なぁ、グルージャちゃんも。見ろ、こりゃ子鹿だ。ガキなんだよ、まだ」
「だから、容易いけど油断は禁物だって」
「それに、子鹿のお肉って高く売れるし」
 再度ポカンとポラーレは小突かれた。
 そして腕組み二人を見下ろして、サジタリオはやれやれと大きな溜息を挟んで語り出す。
「いいか、小迷宮とはいえ大自然だ。人が狩るにも作法があらぁ。……森が、野山が枯れちまう」
 その時始めて、ポラーレはサジタリオの素顔を見た気がした。普段は飄々(ひょうひょう)として掴みどころがなく、下世話な話やくだらない冗談を好んで口にしている。おどけた時もあれば、静かに熱く燃える時もある。そんな彼が、心の最奥に隠した本当の素顔……それは、野に生きる一人の狩人。魔物や外道を追い詰めるのではなく、大自然の一部として生きるハンターなのだ。
「そういう、もんなのかな?」
「ああ、そーゆーもんだ。……だからな、勘弁しようぜ。メテオーラちゃんも、いいだろ?」
 そう言ってサジタリオは、指を(くわ)えて「子鹿のロースソテー……!」と涎を垂らしてるメテオーラの頭をポンと撫でる。
 ポラーレには、自然の営みやそこで生きる者の道理と尊厳はわからない。だが、同じパーティの仲間が言うのであれば、理解はできなくても従う価値があるようにも思える。自分という異端の居場所がないにしろ、大自然はその存在だけでも尊いという知識があるから。知識でしかない認識もいつかは、実感できる日が来るかもしれない。それに、人間である愛娘にはそのチャンスを与えてやるべきだと思った。親として、父として。
「……じゃあ、親鹿なら。成熟した鹿なら、いいのかい?」
「そりゃお前……!? ああ、極上の獲物って奴だな。狩るか狩られるか、それが道理だ」
 低い声で新たな気配へと向き直るポラーレに、追従するように察したサジタリオが矢を(つが)える。彼等二人だけが察知した殺気は、恐ろしく静かにパーティのすぐ側まで近付いて来ていた。ようやく気付いたメテオーラやパッセロが慌てる中、五人の前に巨大な牡鹿が現れる。立派な角は長らく大自然を生き延びてきた証で、その巨体は軍馬かと見紛うほど。
 狂乱の角鹿は、その恐ろしい呼び名とは裏腹に穏やかな空気で子鹿に寄り添った。


「父さん、ほら、あれ。親子、なのかな」
「ああ」
「……よかった。あ、帰ってく」
「……ああ」
 温もりを求める子鹿に、親鹿はそっと擦り寄り鼻先で押してゆく。親に促されて、子は拾った命で左右に揺れながら林の奥へ跳ねていった。立派な角を揺らす牡鹿は、最後にポラーレ達を一瞥して、我が子の後を追って消えてゆく。
 気付けばポラーレは、傍らのグルージャと共にその背をずっと見送っていた。
 獲物を前に見逃すなんて、生まれて始めての経験。
 しかし、それが今は不快ではない。好機を逸した悔いもなく、今から追う気にもなれない。
「少しわかったよ、サジタリオ。僕達の仕事は、取れるだけ全部という訳ではないんだね」
「まぁな。選択の余地がねぇ時もある、けどよ。今は、そう切羽詰まった時じゃねえだろ?」
 曖昧に、しかし縦に首を振ってポラーレは剣をしまう。どうやらパーティの仲間達も、この果樹林の主と刃を交えぬことを選んでくれたようだった。
 そうして、誰からともなく帰ろうと声があがった、その時。
 背後でパチパチと白々しい拍手が響いて、ポラーレ達は振り返る。
「ヨォ! 命拾いしたな。オタク等、知ってるか? 愚かな冒険者は鹿に挑むって話があるくらいさ」
 そこには、ニヤニヤと笑うコッペペの姿があった。一人なのだろうか? 周囲にラミューやクアン達の姿は見えない。この果樹林とてモンスターが跳梁跋扈する立派な迷宮なのだが。その事を正直にポラーレは口にしたが、「コツがあるのさ」と煙に巻かれるだけだった。
 コッペペはスナイパーを生業(なりわい)としているが、サジタリオと同様の装備品は使い込まれた様子がない。
「ちょいと連絡をと思ってね。ファルファラちゃんに聞いたら、今日はこっちだって話だったんでヨ」
「何かあったか? ……あったんだな」
 サジタリオの瞳が鋭さを増して輝く。ポラーレも、この詩人あがりの男が無駄に思わせぶりな態度を取る必要を感じない。
 コッペペは周囲の五人を見渡してから、全員が聞く耳を揃えたところで口を開く。
「ポラーレよう、オタク等があの赤熊を倒したフロア……あの奥な、なんか棲んでるぜ? すげぇのがな」
「それは……」
「マッピングを進めてたギルドが同時に聞いたのさ。森を震わせ空気を凍らす、獰猛な(ケダモノ)の咆哮をな」
 凶暴な人喰い熊が闊歩(かっぽ)する、碧照ノ樹海(ヘキショウノジュカイ)……その最奥は未だ、挑む冒険者達をあざ笑うかのように入り組んだ迷宮で迎えるだけだった。その奥底から、まるで冒険者を挑発して呼び込むような声が響いたという。総身を震わせ、原初の恐惶を励起させる樹海の奥からの呼び声。
 冒険者である以上、その先へと挑まねばならない……今もって迷宮には謎が満ち、この大地の北は閉ざされたまま。
 語り終えたコッペペが、再び一同を見渡してニヤリと口元を歪めた。
「……父さん、行こう。準備も大事だけど、先に進まなきゃ」
 コッペペはポラーレの愛娘を、その珍しく固い決意を見て取ったのだ。
「いい覚悟だ、お嬢ちゃん。トライマーチは全面的に協力するぜ? 一緒に一番乗りと決め込もうや」
「うん。あたしは、あたし達は……きっと謎を解き明かす。だって、生きてくため、食べてくためでもあるし」
 グルージャが言葉を一度切って、ポラーレの手を取り大きく息を吸い込み言葉へ吹き込んだ。
「父さんと、みんなと一緒だから。トライマーチとも、並んで走るから。きっと、悪い結果にはならない」
 大きく頷くコッペペは、うんうんと笑ってポラーレを肘で突っついてくる。からかわれているのだが、こそばゆい娘の成長を前に、ポラーレは知識でしかない父親の実感が満ちるのを感じていた。

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