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 森の静けさを獣の怒号(どごう)が引き裂く。
 雄叫びを上げて爪を繰り出してくるのは、紅蓮(ぐれん)のように真っ赤な毛並みの人喰い熊。その全てを薙ぎ倒す一撃を避けた瞬間、ラミューの背筋を先日の恐怖が駆け抜けた。這い上がる悪寒(おかん)に冷たい汗が滲んで、歯の根が合わずにカタカタと唇の奥が震え出す。
 だが、奥歯を噛み締めて恐れを堪え、自らを律して切っ先に力を込めた。
「ポラーレの旦那みたいにっ、やってみるっ!」
 ラミューを掠めた一撃が、朽木が重なる先へと炸裂する。折り重なって道を塞いでいた巨木が、乾いた音を立てて木っ端微塵に砕け散った。豪腕を引き抜く血の裂断者が、真っ赤に充血した瞳に獰猛な眼光を走らせる。
「ラミュー、援護しますわ! タンゴのリズム……参りますのっ」
「一発重いのブチかますよっ。ラミュー、そっちの方が速い! 先制よろしくっ!」
 リシュリーの軽快な声がリズムを引き連れ、その足さばきが旋律を刻んでゆく。全身を駆け巡る血潮が、その情熱的な調べに燃え滾った。そのままラミューは、歩調を合わせて走り出したメテオーラの先へと飛び出す。剣と盾を装備して鎧を着込んだメテオーラに比べて、突剣に軽装のラミューがスピードでは勝る。有効打を譲っての牽制に撓る剣先は、狙い違わず巨大熊の眉間を刺突した。
 絶叫が迸り、そびえる巨躯がのろくさと動きを止める。
「ナイス、ラミュー! ほんでもってぇ、真っ向唐竹割りーっ!」
 離脱するラミューと入れ替わりに、跳躍するメテオーラが上段から一撃を振り落とした。真っ直ぐ縦に走る剣閃(スラッシュ)が光の筋を引いて、モンスターから鮮血を吹き出させた。
 致命打と疑わない見事な斬撃だったが、よろりよろけた血の裂断者は倒れない。
 もう一撃……阿吽(あうん)の呼吸でメテオーラと目配せした瞬間、ラミューの耳が小さな声を拾った。
「その隙は、逃がさない。下がって……これで、終わりにする」
 抑揚に欠く平坦な声と同時に、周囲の空気がバチバチと帯電してプラズマがスパークする。印術が励起(れいき)する直前、咄嗟にラミューもメテオーラも飛び退いた。ソードマンの機先を制する攻撃で動きが鈍った敵に、巨大な蒼雷(イカズチ)(とどろ)く。
 周囲を眩く塗り潰す、強烈な電撃。
 その煌々と輝く稲妻が四散すると、モンスターは煙をあげてその場に崩れ落ちた。
「あっぶねえ……ヘイ、グルージャ! オレ等に当たったらどうするよ? ちったあ前衛(フォワード)にも気を配れ!」
 剣を軽く振って血糊を吹き飛ばすや、鞘に収めてラミューが振り返る。強い口調になってしまったが、本当は援護の感謝をとも思っていた。だがつい、間一髪の連携に声が強張った。
 後衛(バックス)で長身のフォートレスと一緒にいたルーンマスターの少女が、じとりとした目を向けてくる。
「下がって、って言ったわ。それに、ラミューが前に出過ぎてる」
「あンだと、おいっ! ったく、相変わらずかわいくねぇ……」
 言われたことに多少は心当たりがあるし、自覚もある。
 ちょっと、ほんの少し……まあ、僅かばかり突っ込み過ぎているかもしれない。だが、率先して切り込み役を買って出るのがソードマンだ。その事を口にしようとしたのに、意外なグルージャの言葉がラミューを黙らせた。
「ラミューは軽装なんだから、攻撃をもらったら危ないわ。怪我する」
「お、おう……そうだな。ああ、ちょっとオレも、その、なんだ」
「前衛が減ると困るもの」
「あーそうかい、そーですかい。……クソッ、ほんっとぉに! かわいくねー」
 剥ぎ取り用のナイフを手に、グルージャは無表情でモンスターの死骸へと歩み寄る。その背を見送り唇を尖らせるラミューだったが、その耳は小さく零した呟きを聞き逃していた。
「……誰にも死んで欲しくない、から」
 リシュリーやメテオーラも、剣を納めて互いを労っている。仕留めた獲物は大きく、このメンバーでの討伐は初めてだ。碧照ノ樹海(ヘキショウノジュカイ)も地下三階ともなれば、危険なモンスターが頻繁にうろついて行く先を遮る。それでもマッピングは進んでいたし。かなりの区画を踏破してきた。仲間達と共有する地図はほぼ埋まりかけていて、その一部を同年代の少女達と書き加えるラミューは自分が誇らしい。
 憧れの義父(オヤジ)や大人達、ポラーレやサジタリオ、ヨルンといった一流の人間に近付いた気がするから。
「まあ、及第点といったところだな。全員怪我はないな?」
 一歩下がって戦闘を見守っていた今日の引率者もまた、そんな一流の一人だ。その声は清水のように澄んで冷たく、振り返れば美貌の長身が静かに一同を見渡していた。
 エミットはなにかあれば飛び出せるよう構えつつ、この戦闘を少女達に一任していた。
 だが、笑顔でじゃれつく妹兼姪(めいもーと)を撫でながら、僅かに声を強ばらせる。
「メテオーラ、いい踏み込みだったが気をつけた方がいい。少し攻撃が大振りだ」
 ベテラン騎士によるリザルトの始まりに、メテオーラは「ういっす!」と元気のいい返事。
 気迫のこもったいい太刀筋だと思ったのだが、やはり後ろから冷静に見るエミットの目は厳しかった。ラミューも自分にかけられる言葉を待っていると、その隣に毛皮や爪を剥ぎ取り荷物をまとめるグルージャが並ぶ。
「おばねーさま、わたくしはどうだったでしょうか! わたくしも褒めてくださいっ」
「リシュ〜、わたしは褒められた訳じゃないんだけど。でも、確かにっ! 気をつけなきゃ」
 エミットに抱きつきぶら下がりながら、リシュリーが瞳の宇宙に星々を煌めかせて覗き込む。このお姫様にはダダ甘いのがエミットなのだが、危険な冒険中の戦闘ともなればどうやら別らしい。
 こほん、と咳払いを一つして、やんわりと華奢な矮躯をエミットは優しくひっぺがす。
「リシュリー、剣舞に踊るのはいいが、もっと周りをよく見なくてはいけない」
「はいですの! でも、ステップを踏んでると身体が勝手に動いてしまうのですわ」
「踊り出したら止まらないのがダンサーだが、過信は禁物だ。時にはアイテムでの援護にも備えなければ」
 うんうん、とメテオーラが頷きながらリシュリーの肩を叩く。リシュリーも神妙な面持ちで鼻息も荒く、何度も大きく首を縦に振っていた。彼女が繰り出すリズムは軽快で、仲間達を鼓舞(こぶ)して激励する祈りの舞踏だ。同時に、そのしなやかな身から繰り出される剣は鋭い。そんなリシュリーを挟んで左右にラミューとメテオーラ、これが最近の少女達の基本的なフォーメーションだ。
 そして背後ではいつもエミットのように大人達が見守っててくれるし、グルージャも術に備えてくれている。
 ただ、今日みたいにクアンのいない日はちょっとラミューには寂しいし、いいところが見せられないのは惜しい。
「まっ、次からはしまってこー!」
「お〜っ! ですわっ」
 気合を入れ直すメテオーラとハイタッチして、リシュリーもその顔を笑顔で満たす。
 彼女達は先程倒木が蹴散らされてできた道を、丹念に調べ始めた。
 そして、残されたラミューとグルージャを、エミットの視線が順に撫でる。なんだかちょっと緊張するし、居心地が悪い。行ったことはないのだが、クアンがよく口にする学校、大学というのはこうした雰囲気の師でひしめいているのではないだろうか。
「ラミュー、グルージャの言う通りだ。気持ちが先走り過ぎてる。気負いもあるだろうが、気をつけろ」
「お、おうっ」
 言われてしまった。つい我先にとなってしまうのはラミューの悪い癖だ。ラミューの剣はむらっけが強くで、気持ちがこもった時は粘り強く攻守が噛み合い高い戦闘力を発揮する。だが、つい夢中になるきらいがあった。同時に、興が乗らない、気分じゃない時のグダグダっぷりも見抜かれてるような気がして気恥ずかしい。
 だが、エミットはラミューの隣へも同じような言葉をかける。
「グルージャ、お前は逆に……少し事務的に過ぎる。がむしゃらになれとは言わんが」
「……大事なお仕事だから」
「うん。お前の立ち回りには過不足がないし、目配せもいい。あとはそうだな」
 フッ、とエミットが優しい眼差しになった。暖かな視線を注がれ、途端にグルージャは俯き口篭る。きっと、こうして人に接することに慣れていないのだとラミューは思った。どこかぶっきらぼうだし無愛想で、しかし一生懸命なのだけはひしひしと伝わってくるのがグルージャという少女だ。つい張り合ってムキになってしまうが、ラミューは彼女が嫌いではない。
「冒険者はルーティンワークでは務まらないからな。まあ、少しは楽しめということだ」
「楽しむ? お仕事を? ……そういうのは、わからないんです。あたしは、だって――」
 その時、悲鳴が輪唱をこだまさせた。絹を裂くような、という形容がぴったりなリシュリーの声に、「どしぇええええっ!?」というメテオーラのあられもない奇声が重なる。二人は転げるように、先程できた道から転がり出た。
 そして、彼女達を追って……見るも異様な巨体がゆっくりと現れた。
 真っ赤なたてがみを燃やした、筋骨隆々たる巨大なモンスター……恐らく、大人達が言っていた森の主。この樹海を統べる、人喰い熊達の王だ。その見開かれた目は、鮮血に濡れたように真紅が燃えていた。
「グオァァァァァッ! カハァ、ハ、ハァ」
「いかん、みんな下がれっ! ……当たりを引いたか。ここは下がる、どうやら玉座の間だったようだな」
 その時エミットの判断は素早かったし、その声が緊迫感を帯びた時には彼女の気配が膨れ上がる。今まで暖かく見守っていた女性が、突如としてその身から気迫を滲ませ目つきを変えた。咄嗟のことにしかし、ラミューは眼前に突如現れた恐怖に身が固い。
 そして、迷宮の支配者の呼び声がさらなる苦境を呼ぶ。
「おばねーさま、後ろっ! クマさんが!」
「エミットさん、後ろに二匹! 横からも来るっ!」
 完全に退路を塞ぐ形で、紅い毛並みが群れなし津波のように押し寄せていた。さしものエミットも表情を凍らせる。
 竦むラミューはその時、すぐ側に同じように戦慄にわななく横顔を見た。ああ、グルージャも同じだ……恐ろしさに動転して、怖さに身体が動かないのだ。ここは神秘の迷宮で、なにが起こっても不思議ではない。そういう場所で稼いで生きるのが冒険者だ。
「ヘ、ヘイヘイ、グルージャ! たっ、たたた、楽しめよ……エミットの姉御も言ってたろうが」
「わ、わわわ、わかってる……ラミュー? こっ、声がっ、ふふふ、震えてるわよ?」
 ゆっくりと互いを見合わせて、ラミューは勇気を振り絞って剣を抜く。術の行使に身構えるグルージャも同じ……だが、どんどん狭い通路内を圧してくる獣達の恐怖に、なにより自分達を睥睨する森の獣王に畏怖(いふ)して震えが止まらない。
 やけに明瞭に声が響いたのは、そんな時だった。
「乙女達よっ! 助太刀いたす……獣の王よ、この私が! 暁の騎士(キャバリエーレ・ド・アウローラ)がお相手しよう」
 通路を織りなす茂みの中、隠れた抜け道から体中に葉っぱを付けて一人の男が飛び出してきた。その顔に見覚えがあって、ラミューはグルージャと「あ」と口を丸くする。男の名は暁の騎士……レオーネ・コラッジョーゾ。彼は両手いっぱいに抱えた鉱石を、惜しむ素振りも見せずに投げ捨てるや戦鎚を手に取る。


「毎日依頼も仕事もなく、採掘で食い繋ぐ日々……しかぁし! 騎士は食わねど高楊枝」
「貴公……頼めるのか?」
「無論! 騎士とは国と民、何よりご婦人の為に戦うもの! 美しい方、どうかお逃げください」
 美しい方、と臆面もなく言葉を発して、レオーネは白い歯を零し微笑んだ。思わず面食らって頬を赤らめたエミットだったが、次の瞬間には背後へと飛び出す。
「その子達を頼む! 私は……背後の熊共を抑える。森の主の隙を見て、逃げて欲しい!」
 こうしてラミュー達は、突如として大混戦の真っ只中へと放り込まれた。
 予期せぬ遭遇戦で、狂乱の獣王ベルゼルケルとの戦いの火蓋は切って落とされた。

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