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 季節風が逆巻く、風馳ノ草原(カゼハセノソウゲン)の東の果て。高い山岳地帯の中でバルドゥールは砲剣を身構えた。目の前に今、憤怒(ふんぬ)の形相で彼を見下ろす巨大なドラゴン。
 移民船団のためにと(おとり)になった、そのことを後悔はしていない。
 一度過ちを犯した自分にとっては、相応(ふさわ)しい結末とも言えた。
「余の勝ちだ、竜の王よ! たとえ我が身は朽ちようとも、民は新たにタルシスに根付く!」
 竜の恐ろしさについては、今は亡き母から寝物語に何度も聞かされていた。絶界雲上域(ゼッカイウンジョウイキ)にある帝国も太古の昔、恐るべき竜との戦いに焼かれたという。帝国の東に広がる巨大なクレーターは、その名残なのだと聞いていた。
 だが、目の前で烈火の如く吠え荒ぶ真紅の竜は、話で知るより何倍も恐ろしい。
「これで移民船団は無事、タルシスに辿り着くであろう。ならばもう、余に未練はない」
 座して死を待つつもりはない、死を前にしてさえ誇りを失ってはならない。そう自分に言い聞かせて、バルドゥールは砲剣を両手に握り締めた。
 次の瞬間、竜はその巨体を浴びせるように襲いかかってきた。
 烈震に地面が激しく揺れる中で、爪と牙と尾がバルドゥールを襲う。屈強な騎士として育てられた青年にとっても、余りにも竜という存在は強過ぎた。あっという間に吹き飛ばされて、何度も大地に打ち据えられながら転がる。立ち上がっても再度、苛烈な攻撃は続いた。
 倒れる都度、バルドゥールは立ち上がる……死ぬことすら己に許さず、戦う。
「さ、さあっ! どうした竜の王、偉大なる赤竜よ! 余はまだ戦えるぞっ!」
 バルドゥールの声に呼応するかのように、首をもたげた竜が巨大な口を天地へと開く。その薄暗い喉奥より、灼熱の吐息がせり上がろうとしていた。あらゆるものを灰燼(かいじん)()す、地獄の業火にも似た強力なブレスだ。
 真正面に砲剣を身構え、バルドゥールは覚悟を決める。
 あえてブレスに飛び込み、その上で一撃を捻じ込む……自分がブレスに耐えることを前提とした、博打(ばくち)だ。だが、分の悪い(かけ)と知っていても、他に手立てはもうない。
 上空を影が通り過ぎたのは、そんな時だった。
 そして、目の前に見知った声が降ってくる。
「殿下っ! バルドゥール殿下、お下がりをっ!」
「……エクレールッ!」


 同時に、竜の顎門(アギト)から(ほのお)の奔流が迸った。周囲の空気を沸騰させながら、濁流となって浴びせられる炎。だが、バルドゥールの前に立ちはだかる一人の女騎士が、真正面からその火炎を受け止め遮る。
 確かにバルドゥールは、帝国の魔女と呼ばれた騎士の名を呼んでいた。
「エクレール、どうしてここに」
 既にもう、その者は去ったはず……否、最初からいなかったのだ。どこか母に似た、厳しくも優しいバルドゥールだけの騎士。唯一素顔で甘えて頼った、異国の聖騎士を封じて上書きした人格……それがエクレールだった。
 だが、肩越しに振り向くエクレールは、バルドゥールに小さく微笑む。
 印術師(いんじゅつし)のルーンの盾にも似た、属性攻撃を防ぐ大いなる(まも)りの力……しかし、エトリアの聖騎士と讃えられたパラディンの技を持ってしても、盾がない今はバルドゥール一人を守るのに精一杯。それでもエクレールは、業火の中で燃えながらも立ちはだかった。
「エクレール、もうよい! 余は……僕はっ!」
「殿下を決して死なせなど……守ります! 最後まで……守り、たかっ、た」
 永遠にも思えるブレスの放射に、周囲は火の海と化していた。そしてバルドゥールは、火竜の前に崩れ落ちるエクレールの姿へ絶叫する。
「エクレール!」
「殿下……申し訳、ありま、せぬ……エクレール、ここまでに、ござい、ます」
 その時、上空には既に帝国の艦隊が押し寄せていた。あっという間に騎士たちが降りてきて、バルドゥールを守るべく周囲を固める。
「レオーネ! クレーエも。余は大事ない、それよりエクレールを……ッ!」
 周囲に冒険者たちが舞い降りる中で、バルドゥールは見た。
 一人の術師が、無防備にも竜の前でエクレールへ……妻たるエトリアの聖騎士デフィールへ手を差し伸べるのを。そして、あの荒れ狂う炎の奔流の中で、彼女は死んではいなかった。
 よろけながらも夫の手を握って、エクレールは……デフィールは立ち上がる。
「あの女は……逝ったか」
「ええ。最後まであの子を……皇子殿下を守って」
「ようやくお前はお前に戻ったな、デフィール」
「そうね……頭の中の霧が晴れたような感覚よ? ……ねえ、再会のハグとかキスとかは」
「あとにしろ、あとに。それより奴を叩く。ふん、竜か……久しぶりの強敵だな」
 手に手を取って、氷雷(オーロラ)錬金術士(アルケミスト)の隣にエトリアの聖騎士が並び立つ。周囲の冒険者たちも抜剣と同時に、バルドゥールを守るように集まった。
「アルマナ、これが君の言っていた呪いの竜?」
「いえ、違うます……あの時の竜は、もっと禍々(まがまが)しい。そう、もっと巨大な黒い竜でした」
「……君は下がってて。その身体じゃ無理だよ。大丈夫、僕が守るから」
 バルドゥールの周囲でも、フォートレスの技も駆使してレオーネが守ってくれている。更にはいつものように、付き従う影の如くクレーエがフォローに回ってくれていた。
 即座に冒険者たちは、バルドゥールを中心に陣形を組み直す。
 気付けば身体が燃えるように熱くて、竜へと砲剣を突きつけバルドゥールは吠えていた。
「冒険者たちよ、余に力を貸してくれ! 帝国からの移民船団を守るため、ここで竜を討つ! 余の中へと消えたエクレールのためにも……!」
 頷きを返してくれる気配と同時に、バルドゥールは攻勢へと転じて駆け出した。その手に皇族だけの限定砲剣(げんていほうけん)"烈風(れっぷう)"が撃鉄をガチン! と高鳴らせる。
 そして、左右から冒険者たちがバルドゥールを援護するように追い越してゆく。
「デフィール、あれをやるぞ……合わせろっ!」
「もっ、ヨルン! ほんとにもー、強引な、人っ!」
 デフィールが大上段に砲剣を構えて跳躍するや、フリーズドライブを叩き付ける。
 そして次の瞬間、ヨルンの放つ氷槍(ひょうそう)の印術が意外なところへと炸裂した。なんと、今しがたドライブを放って放熱状態となった、デフィールの砲剣を氷が包んでゆく。
「強制冷却っ、いいわよヨルン! どんどん頂戴っ!」
 デフィールは夫の放つ印術で砲剣を急速に冷やし、連続でドライブを励起(れいき)させた。二発目のフリーズドライブで、流石の竜も僅かに巨体を揺すってたじろぐ。その後も三発、四発と、デフィールはヨルンと息を合わせて次々とドライブを放った。
 長年苦楽を共にしてきた、熟練の冒険者にしかできぬ荒業に竜が絶叫する。
 竜もまた怒りも(あらわ)に群がる冒険者を薙ぎ払う。一進一退の攻防へと、バルドゥールも急いだ。
「くっ、しぶといわね……流石はこの大地に君臨する竜」
「ふむ。昔を思い出すな、デフィール。エトリアでもハイ・ラガートでも奴らは手強かった」
 だが、いよいよ怒りも顕に吠え荒ぶ竜は、紅玉(ルビー)のように真っ赤な瞳を血走らせる。爪と牙が冒険者たちを蹴散らし、さしものデフィールとヨルンも尾の一撃で引き剥がされた。
 しかし、バルドゥールは怯まず退かない……既にこの一戦は、エクレールが命を賭して繋げた戦いは、彼一人の個人的なものではないから。
「帝国とタルシスの未来を切り開く! 続け、レオーネ! クレーエも!」
「いいですとも! 殿下、合わせます」
「今こそ帝国の騎士として……殿下のお力に!」
 すかさずクラックスが放つ投刃(とうじん)が、塗られた毒で竜の動きを鈍らせる。その後も次々と驟雨(しゅうう)の如く注ぐ投刃の、その援護の導きを得てバルドゥールは加速していった。
 引き連れるレオーネとクエーレもまた、砲剣の撃鉄を跳ね上げるや増速する。
「まずは我々で露払いを……クレーエ殿!」
「ああ! 奴の動きを封じる!」
 強烈なドライブの二重奏(デュエット)が鳴り響いて、炸裂した氷撃に竜が絶叫を迸らせた。そのまま動きの鈍ったところへと、バルドゥールは渾身の力で砲剣を振り上げる。
「おおおっ! 帝国の父祖よ、我が父皇帝よ! 余に……僕に力をっ!」
 力の限りに叫んで地を蹴る、バルドゥールの血潮が熱く燃え(たぎ)る。
 バルドゥールは最後の一撃を竜へと振り下ろして、砲剣の力を解き放った。
 断末魔を張り上げる竜の巨躯が、光の中へと消えてゆく。人の絆の力が竜を破った瞬間だった。気付けば上空の艦隊から、喝采と歓呼の声が周囲に満ちてバルドゥールを包む。
 そして、バルドゥールの前に今、竜が消えた光の中から宝玉が浮かび上がっていた。
「こ、これは……?」
「貴方のものよ、バルドゥール。それは、真に帝国の皇子として……次期皇帝として戦った貴方のもの。胸を張って受け取りなさい。竜の宝玉は全てを祝福すると言われてるもの」
 気付けば隣に、満面の笑みのデフィールが立っていた。そこにもう、エクレールの面影は見ることができない。だが……去っていった者のためにも、これからの明日のためにも。バルドゥールは七色に輝く光の玉を手に取り誓った。今後も帝国のために、全てを(いと)わず己は進むと。

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