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 朝に夕にと、(きり)は優しくウロビトの里を覆い尽くす。
 夜の帳が訪れると、その白く煙る空気は音を吸い込むように静寂を満たした。
 トライマーチの冒険者として復帰したエルトリウスは、久々の外界をこの里で満喫していた。永らく帝国の地下牢に繋がれていたが、その傷を癒やす静養もそろそろ終わりにしなければいけない。砲剣で戦うインペリアルというのは慣れぬ職業だが、生来の野伏(のぶせり)、レンジャーである彼の器用さは全く問題にしていなかった。
 燭台の火だけがぼんやりと浮かぶ、巫女シウアンの寝室は静謐(せいひつ)に包まれている。
「そう、じゃあバルドゥールはしっかりと帝国の皇子をやってるんだね。よかった」
「ああ、もう皇子は大丈夫だ。()の偉大なる赤竜を倒すとは、やはり並の胆力ではない」
「そっかあ……ねえ、なずなさん! わたしにもっとお話して? アーモロードやハイ・ラガート……外の世界の世界樹の物語を」
 今、エルトリウスが控える巫女の寝室では、シウアンが布団の中で寝物語をせがんでいる。そんな彼女に添い寝して、なずなは南海の世界樹を巡る物語を語り出した。
 なずなの腕もまた、帝国の工房で鍛造した新たな義手が鈍色(にびいろ)に光っている。
 エルトリウスは改めて、離れ離れだった数年間でなずながまた美しく成長したことに驚いていた。もはや、ハイ・ラガートの百邪斬(ひゃくじゃぎ)りと恐れられた狂戦士(バーサーカー)の面影は全く無い。
 恐らくエルトリウスは自然と笑みを浮かべていたのだろう。
 同じくこの部屋で控えるモノノフの若者が声をかけてきた。
「エルトリウス殿、なずな殿もああいう顔をされるのですなあ」
 狼貌(ろうぼう)の青年はイクサビトのモノノフ、ミツミネだ。今やタルシスで一番のギルドとなった、ヴィアラッテアの将である。彼もまたイナンナやキクリを連れてこの場所を訪れていた。
 その目的は、なずなやエルトリウスと同じである。
 近頃、巫女シウアンは夢を……悪夢を見て眠れぬというのだ。
 しかも、その夢の内容は不吉で、日ごとにシウアンは弱ってゆく。見兼ねたウーファンたちの願いもあって、冒険者たちが原因の究明を果たすべく集まったのだった。
 エルトリウスはミツミネに静かに首肯を返す。
「なずなさんは昔から、かわいいものに目がないのです。巫女様は本当に愛らしく美しく、また気丈でしっかりされている」
「左様、だからこそお守りせねば。夢や幻の類とて、巫女様を苛む全ては……斬り捨てる。我らイクサビトは今後も、栄えるタルシスを支え、ウロビトたちと協力して巫女様の防人(さきもり)となる覚悟でして」
 ミツミネの澄んだ瞳には、静かな決意が凛冽(りんれつ)な光を灯していた。
 頷くエルトリウスも気持ちは同じで、それはこの場に集った誰もがそうなのだ。だが、寝ずの番を覚悟でこうしてると、幼子をあやすように滔々(とうとう)と語るなずなの声が耳に心地よい。
 ともすれば自分も眠りに誘われそうだが、エルトリウスはミツミネと共に身を引き締める。
 悪夢の原因を断つべく馳せ参じた者たちが寝ては、本末転倒である。
 ――そう、本来は本末転倒なのだ。
「ミツミネ様。エルトリウス様も。なにかお夜食をお持ちしましょうか?」
「お茶もお酒もありますよぉ? でもでも、流石にあまり酔っ払われては困りますけど、ふふ」
 着物にたすきを掛けて甲斐甲斐しく働くのは、イナンナとキクリだ。二人共、腰に太刀を()いたまま、先程から酒瓶や膳を片付けている。
 それでエルトリウスは、自然とミツミネと視線を背後へと滑らせた。
「イクサビトのモノノフには、剛気な方もいらっしゃるのですね」
「い、いや、エルトリウス殿……その、ええ。まあ……アラガミ先生は特別でして」
「ふふ、とても頼もしく思えます。流石は音に聞こえた猛将」


 イナンナやキクリも、クスクスと笑っている。この場の緊張感を和らげている人物は、巨体をひっくり返して畳の上に大の字で、かすかにいびきを立てながら寝こけていた。凍土不敗(マスターヘイル)と呼ばれた(おとこ)、アラガミは先程までちびちびと晩酌をしていたのだが、既に一足先に夢の中である。
 だが、それがかえってエルトリウスたちの緊張に強張る心身を解きほぐしていた。
 巫女シウアンを苛む怪異とは……? その答へと今宵、挑まなければならない。
 そうしていると、寝付いたシウアンからそっと離れたなずなが、防具を身に着けながらこちらへやってきた。彼女は頬を桜色に染め、無表情の仏頂面も心なしか(まなじり)が下がっている。
「なずなさん、巫女様は」
「ようやく寝たみたいだ。随分疲れている……あんな小さな子が、目の下にくまを作って」
「……今夜、解き明かしてお救いしたいですね」
「ああ」
 なずなはミツミネにも一礼してエルトリウスの隣に座ると、やはり気になるのか寝所の奥で眠るシウアンへと首を巡らせる。注がれる視線は温かく、案ずる気持ちが皆と等しく滲んでいた。
 こういう顔をするようになったなずなの存在が、エルトリウスにはとても嬉しい。
 だが、やはり今もってなずなは、生来の(かたく)なな不器用さが根付いた娘だった。
「エル」
「はい。なんでしょう、なずなさん」
「子供とはかわいいものだな……なんとしても、あの子を守ってやらねば。それと」
 身をしゃんと正してエルトリウスの隣で、なずなはいつもの無表情で見上げてくる。
 次の瞬間、向かいで茶をすすっていたミツミネが突然吹き出した。
「エル、私も子供が欲しいぞ。……うん、子作りしたい」
「ブッ! ゲホ、ゲホゲホッ! ……ふう。な、なずな殿、それは」
「なずなさん、この土地での冒険が終わったら、一度東国に帰りましょうか。故郷でゆっくり、これからのことを考えましょう」
 咳き込むミツミネは顔を赤らめていたが、ようやく小さな酒宴の席を片付け戻ったイナンナは笑顔を綻ばせていた。
「なずな様なら強い御子(おこ)を産まれますわ。わたしも負けていられません。ね、ミツミネ様」
「待て待てイナンナ、まだまだ俺とて……それは、家督(かとく)を継げと老人たちはうるさいのだが」
 一騎当千のモノノフであるミツミネも、どうやら許嫁のイナンナには弱いらしい。意外に純なところがあって、頬を赤らめ俯いてしまった。
 だが、静かな夜の寝所に異変が起こったのは、そんな時だった。
「! みなさぁん、なにか……そう、なにかが巫女様に。これは、なんだかおかしいです〜!」
 キクリの声が走って、緊張感が場に満ちる。
 そしてエルトリウスは、奇っ怪な現象を目にして思わず言葉を失った。
 眠る巫女シウアンを中心に空間が歪んで黒い(よど)みが広がっていた。それは奈落の深淵にも似た、光を飲み込む深い闇。あっという間に寝所が暗黒に飲み込まれていった。
 突然宙へと放り出されたような間隔の中で、エルトリウスは我が目を疑う。
「こ、これは……まさか、巫女様の眠りを(むしば)む悪夢とは……これですか」
 目の前に今、巫女シウアンを取り込み飲み込むように巨大な世界樹が現れた。それは、先日多くの冒険者たちが倒した、恐るべき伝承の巨神となってそびえる。
 異界と化した中で上も下もなく、宙を漂うエルトリウスたちの前に……楽園への導き手と呼ばれる巨躯が現れた。太古より帝国の地に根付いた、恐るべき神威(しんい)の権化である。
「馬鹿な! 奴はあの日の決戦で……それが何故!?」
「ミツミネ様、お気をつけを。凄まじい悪意と害意を感じます。これが、巫女様を苦しめていた悪夢の元凶。されば我らモノノフ、魔を滅して邪を断つのみですわ!」
 うろたえつつもミツミネが太刀を抜き放つなり身構える。不安定な空中でも不思議と、水魚の交わりで泳ぐようにミツミネは軽快だ。そして、その背を守るようにイナンナやキクリも抜刀の煌めきを手に空中を疾走(はし)る。
 エルトリウスも砲剣へ発火用電源を投入すると、なずなと共に目の前の脅威へ向かった。
 あの時は、多くの犠牲と無数の協力を得て、なんとか少女たちが倒したが……今、この場にいるのは五人のみ。まさかこのような(わざわい)が巫女に巣食っているとは、想像だにしなかったのだ。
 だが、意気軒昂(いきけんこう)の気迫でなずなは平然と皆の先頭で振り返る。
「みんな、やろう……あの子を苦しめる妄念を、この場で倒す」
 なずなの声には一片の迷いもなく、寧ろ強敵を前にした高揚感に高鳴っている。彼女は巨大な鉄弓を手に、皆の先頭へ立って走り出した。
 勿論エルトリウスも、モノノフたちと共にその背を追う。
「イナンナ! お前はなずな殿とエルトリウス殿を援護するのだ。お守りしなくては!」
「委細承知ですわ。ミツミネ様もろとも、我が身に変えてお守りいたします」
「みなさぁん、来ますよぉ! なんて恐ろしい、おぞましい敵……ゾクゾクしちゃいますぅ」
 あっという間に周囲の空気がにらいで沸き立ち、烈火の炎が伝承の巨神から迸る。巫女を飲み込み再び姿を現した、楽園への導き手……その蘇りし邪念へと、エルトリウスたちは強力な攻撃の手をかいくぐりながら迫った。

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