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 巫女シウアンの寝所は今、異界へと姿を変えていた。シウアンそのものを飲み込み、周囲を異質な空間へと変えながら……(そび)え立つは世界樹の巨神。楽園への導き手と呼ばれる、太古の文明が生んだ妄念の権化だ。
 ミツミネは今、仲間たちと共に宙を舞う中でその威容に言葉を失う。
「ミツミネ様、皆様も! ……来ますッ!」
 イナンナの声に身を翻せば、突然の異変にもかかわらず冒険者たちは機敏な動きを見せる。まるで宙を飛ぶように馳せて、次々と襲い来る雷火をどうにか避けた。
 楽園への導き手は、恐るべき力でミツミネたちへ害意と殺意を注いできた。
 圧倒的な力は、現実の世界で冒険者たちが相対した時よりも強く感じる。
「ええい、なんたることか! これが、巫女様に取り付いていた悪夢の正体」
 ミツミネは抜刀と同時に両手に握って、手元を引き絞る。太刀の刃紋(はもん)が反射して浮かび上がらせる敵の姿は、見るもおぞましい絶叫を張り上げていた。
 あの中へと再び、巫女シウアンは取り込まれてしまった。
 その身を助けて解放せぬ限り、何度でも悪夢は蘇るだろう。
 繰り返し襲い来る業火と凍気をかいくぐりながら、ミツミネは必死で踏み込むチャンスを伺った。必殺の間合いへと恐れずに踏み込み、一太刀浴びせて斬り伏せるのみ……だが、両の手を交互にかざした楽園の導き手は、鉄壁の防御で冒険者たちを寄せ付けない。
 そうこうしている間にも、どんどんミツミネたちの体力は削られてゆく。
 焦れる気持ちばかり()いてゆく中で、冷静な声音が響き渡った。
「なるほど。両手がそれぞれ本体とは別に動いているようですね。攻防一体の動きをまずは封じねば、本体への攻撃は難しいでしょう」
 声のする先を振り返ると、そこには砲剣を構えつつ目元を細めたエルトリウスの姿があった。すでに(めしい)た目とは聞いていたが、その瞳は光を失って尚も鋭い。
 ミツミネの視線に気付いたエルトリウスは、周囲に降り注ぐ火球を避けつつ微笑む。
「この目、既に光を感じませんが……前より多くが見えます。風の流れや音の伝わりが、今の私には以前よりもはっきりと感じられるのです」
「なんと! ……それはもはや、達人の境地」
「そう大それたことはできません。しかし……なずなさん!」
 エルトリウスがドライブを励起(れいき)させつつ、唸る砲剣を振り抜く。
 強力なフレイムドライブが()ぜて(とどろ)き、ちょうどミツミネたちの前へと突出してきた巨大な左手が炎に包まれた。
 同時に、背後から風鳴りの音を引き裂いて……まるで砲弾のような矢が無数に飛来した。
 全てを穿(うが)ち貫く、重い合金製の矢は幾重にも突き立ち、あっという間に巨神の左手が崩れ去ってゆく。ミツミネが振り向くと、そこには鉄弓を身構えたなずなが立っていた。
「私たちで援護する! ミツミネ殿、皆も! 奴の本体を……前だけを見て、疾走(はし)れ!」
 身長よりも大きな鋼鉄の強弓を、なずなは義手のパワーにものを言わせて容易く引き絞る。放たれる矢の重い(やじり)が、空気を鳴かせて敵へと吸い込まれていった。
 飛び交う矢の軌跡を追って、ミツミネは全力で自身の身体を前へと押し出す。
 すぐに楽園の導き手は、残る右手をミツミネへとぶつけてきた。
 だが、なずなの放つ矢が僅かにその勢いを削いで鈍らせる。その隙に、声が走った。
「イナンナさん、ミツミネ様と前へ! ここはわたしが!」
 雌雄一対(しゆういっつい)の太刀を引き抜いたキクリが、真っ直ぐに巨大な右手へと吸い込まれてゆく。彼女は自らの身体を軸に回転して、竜巻の如く風を纏った。触れる全てを両断する切っ先が、無数の刃となって吹き荒れる。
 奥義、無双神楽(むそうかぐら)……既に羅刹の力を解放したキクリが、自らの命を削って繰り出す無敵の剣技である。イクサビトのモノノフは皆が皆、常在戦場(じょうざいせんじょう)の武人。その力は悪鬼羅刹の如き凄まじさで、自らを窮地へと追い込むほどに高まるのだ。
 瞬く間に巨神の右手は細切れとなって、無数の胞子と種を飛ばしながら消え去った。
 同時に、最後の一閃で払い抜けたキクリもまた、止まると同時に全身から血を迸らせる。自らの肉体さえも限界の先へともってゆく、痛みもまた力とする……これがモノノフの剣技。
「さあ、イナンナさん! 本体を! ミツミネ様も!」
 うずくまるキクリを追い越し、イナンナを連れてミツミネは疾駆(しっく)する。
 その先では、歌うような嘆きの声に吠え荒ぶ巨神の顔が近い。見るものを圧倒するその表情は、不思議と泣いているようでもあり、笑っているかのようにも見えた。
「いざ、勝負……参るぞ、イナンナ!」
「はいっ、ミツミネ様!」
 ミツミネが心に念じて呼び覚ます、内なる鬼が意識の上へと上書きされてゆく。
 普段は無意識の奥へと封じて眠らせた、イクサビトが生来持つ圧倒的な闘争心……危険なまでの破壊衝動。それを自ら克服して自在に操ることこそ、モノノフの持つ究極の技とも言えた。そしてミツミネは今、己の中より湧き上がる滾りと昂ぶりに身を預ける。
 心は平静に澄んで、身体は燃えるように熱い。
 凛冽(りんれつ)たる覇気に満ちて、その身体はさらなる加速で敵へと迫った。
「ミツミネ様、お先に! まずは露払い……先制しますわ!」
 鞘を左手に居合へと構えて、僅かに身を沈めたイナンナの姿が飛び去る。雲を引いて疾走する彼女の右手が、神速の抜刀術を唸らせた。抜き放たれた一撃が光と走って、一閃に巨大な顔面が絶叫を張り上げる。
 同時に羅刹の力の反作用で、イナンナもまた大きくよろけて踏み止まった。
 だが、彼女は大きく肩で息を刻みながらも、再び納刀と同時に隙を窺う。そんな彼女を容赦なく、激昂の怒号と共に豪炎と落雷が襲った。
 轟音の中へと消えた許嫁(いいなずけ)を振り向きもせず、それでもミツミネは疾走った。
 その行く先に斬るべき敵を見据えて、ミツミネは大きく跳躍と同時に剣を振り上げる。大上段へとかざした切っ先を、彼は迷わず真っ直ぐに叩きつけた。今や醜悪に顔を歪める楽園の導き手の、その巨大な顔面を中心から真っ二つに切り裂き断ち割る。
 一撃必殺の剛剣に、ミツミネがそのまま剣を振り抜くと……一拍遅れて、楽園の導き手は左右へと鋭利な切断面を残して分かれ斬れた。そのまま無数の胞子と種を飛ばして、崩壊してゆく巨躯が消え去ってゆく。
 そして、その奥から剥き出しの精髄(せいずい)が現れた。
 あれこそが楽園の導き手の中枢、巫女を捕らえて封じた場所だ。
「ならば、もう一太刀……くっ、身体が。ここまでか?」
 全力全開の一撃を放ったミツミネの身体は、既に肉も骨も悲鳴をあげて軋む。だが、それでも次へと繋げる二の太刀をと、彼は痛む身体に鞭打って立ち上がる。
 その時、遠く背後から声が響く。
「矢が尽きたか……ならば! エル、その剣を私に!」
「無茶をしますね、なずなさん。しかし、その弓ならば」
「ミツミネ殿、トドメをお預け申す! ……この一撃で時間を、稼ぐっ!」
 既に剥き出しの精髄は、徐々に再生を始めている。このままでは再び、あの厄介な両手と共に楽園の導き手が復活するだろう。既に消耗の激しい今のミツミネたちでは、再びここまで追い込むことができるかどうか……今こそ千載一遇の好機(チャンス)、この瞬間を逃しては勝機はない。
 肩越しに見やれば、なんとなずなは巨大な砲剣を弓に(つが)えて、そのまま撃ち出した。
 放たれた砲剣は、ドン! と突き刺さるや、ドライブを発動させて爆発する。
 グラリと巨体が揺れてしなった、その瞬間をミツミネは見逃さなかった。
「イナンナッ! 来いっ! ……その首、()(くび)っ!」
 既に力尽きたかに思われたイナンナが、血塗れで立ち上がった。
 彼女の瞳には今、爛々(らんらん)と輝く光が燃え盛っている。


「素っ首、頂戴しますわ……ミツミネ様!」
「応っ! ……いざ尋常にっ! 成敗っ!」
 再生しつつある剥き出しの精髄を包んで、再び楽園の導き手が巨大な首をもたげる。
 その首筋へと、闇夜を斬り裂く流星のようにイナンナが飛び込んだ。光が走って突き抜け、彼女の太刀筋が必殺の抜き打ちとなって首元へと食い込む。
 ミツミネはその一撃をなぞるように、トドメとばかりに全力で横薙ぎに払い抜けた。
 グラリ、と巨大な首が傾いたかと思うと、二人の剣で上下に分かれて頭部が落ちる。
 再び姿を表した剥き出しの精髄は、その中から巫女シウアンの姿を浮かび上がらせた。静かな寝息をたてる彼女を抱き寄せ、ミツミネはイナンナと共にゆっくりと下降を始める。
 二人の手の中に今、やすらかな眠りに満ちたシウアンの笑顔があった。
「お見事ですわ、ミツミネ様」
「お前も腕をあげたな……我が嫁ながら恐ろしい娘だ。だが、悪くない。悪くないぞ、イナンナ」
「まあ……ようやく嫁と言ってくださいましたわね、ミツミネ様」
 二人は徐々に集束してゆく異界の中心で、仲間たちと共に現実へと戻り始める。
 巫女シウアンを(むしば)む悪夢は、二度とその姿を現すことはなかった。

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