その少女らしき影は、気配を殺して音もなく進む。
少女なのか、それとも少年なのか……中性的な顔立ちで、褐色の肌に酷く細い長身だ。
名は、スーリャ。
社会の影で闇の眷属を処理する者……
「……追いついた。ターゲットを確認。今度は……逃さない」
スーリャの瞳が、目標を捉えた。
始末するべき者達は今、五人一組で迷宮内を探索している。こちらに気付く素振りは見せないが、油断は禁物だ。
スーリャは、カルト教団アイゼンクロイツから仕事を引き受け、
さらには、新たな任務も追加された。
アイゼンクロイツはこの大陸、アルカディアで先鋭化した狂信者達の集団である。
アルカディア至上主義の革新派で、古き権威の破壊と新たなる秩序を
だから、スーリャが殺すべきターゲットが一人増えたのだ。
「ニカノール・コシチェイ……古より生と死の狭間を司る一族、あのコシチェイ家の
スーリャが油断なく見詰める先では、一人のルナリアが
彼の名が、ニカノール……新たに殺すべき人間だ。
だが、相手は五人だ。
慎重を期して機会を
気になることがあって、今は行動の時ではないと直感が告げていた。
「あの妙な子供……背教者フォリスの作った死体人形はいないようだな。だが……チッ、まただ。あの男」
笑顔で先を歩くニカノールの横で、時々
普通に見れば、迷宮の左右に気を配っていると思っていいだろう。世界樹の迷宮では、進む先に示された道だけが道だとは限らない。隠された抜け道や、思いがけぬ一方通行が木々や草むらに潜んでいることがあるからだ。
だが、スーリャは注意深くアースランの男を観察する。
日に焼けた肌の、精悍な顔付きの男だ。
スーリャの隠密の技に気付いたとは思えないが、酷く彼が気になる。
間違いなく、彼がパーティの
スーリャはターゲット達の声に耳を澄ます。
「あの、どうかされましたか? ナフム様」
「ああ、キリール……なんか、さっきから妙な視線を感じるんだが。ま、気のせいだろう」
「鋭敏な感覚をお持ちなんですね、ナフム様は」
「はは、お前程じゃないけどな。あ、あと、よう……もうちっと離れて歩いてくれ! お前、妙にいい匂いがするし、その……お、俺はそういう趣味はないからさ」
「ふふ、そうですね。でも……寂しい夜にはいつでも、僕のことを思い出して欲しいのです」
ナフムと呼ばれていた竜騎兵の男は、隣を歩くブラニーの青年から少し離れる。目が悪いのか、そのブラニーは杖を突いていた。恐らく
そんな彼を突き放しつつ、そっと支える位置で進みながら……ナフムはやはり、背後を気にしている。スーリャに気付いた気配はないが、なにかを感じ取っていることは明らかだ。
スーリャは小さな
「……厄介だな。勘のいい奴」
今日は丁度良く、二人のターゲットが行動を共にしている。
二人の屍術師……コシチェイ家のニカノールと、背教者フォリスが一緒だ。都合がいいが、五人パーティというのは少し面倒だ。ターゲットを確実に殺すためにも、今は待つしかない。
観察眼を総動員して、スーリャはじっと狩人の目を凝らす。
「ターゲットの他には、例の竜騎兵と盲目の香草師……デカいセリアンの女は
スーリャの視線の先では、一行は酷くのんきに見える。
しかし、油断はできない。
先日は、死体人形の少女が一緒で不覚を取った。まさか、人知を超えたバケモノだとは思わなかったのだ。依頼人のアイゼンクロイツからは、背教者フォリスの始末だけを依頼された。彼は
そしてそれは、正確には……
スーリャは今思い出しても、腹に据えかねる怒りが込み上げる。
アルカディアの先駆者を自称する狂信者達は、ターゲットの情報を十分によこさない。汚れた始末屋として
「……首を落としても、死なない。死体は、死なない……から? 不思議……気になる」
珍しく仕事の最中に、スーリャは一瞬だけ仕事を忘れた。
異様に白い肌、包帯で覆われた隻眼……そして、常人を
まさか、背教者フォリスよりもその作品が……あの娘が一番危険だとは思わなかったのだ。
「次は……殺す。確実に。一撃で。そうすれば――はっ!? し、しまった」
珍しく物思いに耽っていたスーリャは、我に返って失策を悟った。
ほんの数秒程度だっただろう……僅かな時間しか、彼女は意識を反らしていない。だが、過去の失敗を思い返していた、その短い時間だけ気が緩んだのだ。
気付けば立ち止まったナフムが、こちらをじっと見ていた。
気取られたと確信したし、ナフムは
この距離ならば、銃弾を避ける自信がスーリャにはある。
だが、発砲を許した時点で全ては失敗に終わるのだ。
唇を噛んで再度気配を殺し、スーリャは周囲の自然に一体化する。鋭敏な聴覚は離れた距離からでも、はっきりと冒険者達の声が聴こえた。
「ん、どしたのナフム。あ、ああ……気になるんだ、ナフムも」
「おっ、なんだなんだ? ニカ、お前も気付いてたのかよ」
「そりゃあ、僕だってルナリアだからね。……妙な魔力の
「はぁ? いや、そういうんじゃなくて背後に――」
「ほら、見てここ! フォスも感じるよね、この壁! え? ああ、フォスって呼ぶよ、これから。僕のこともニカでいいからね。で、みんなも見て……この壁」
苦虫を噛み潰したような顔で、ナフムはこちらを見るのをやめた。
どうやらニカノールが、持ち前の魔力でなにかを察知したらしい。彼は
現れた壁面から文字を拾って、ニカノール達は振り返った。
五人の視線の先に、小さな石像があるのをスーリャも見た。確か、太古の昔に世界樹を巡る大戦争があった時、人形使いのルナリアたちが迷宮を封印したゴーレムの像だ。無機質な表情で石像は、先程ニカノールがなにかを感じた壁を見詰めている。
「あの石像に、なにかしかけがあるんじゃないかなあ」
「なるほど! よしニカ、私にまかせろ! はっはっは、どーれ!」
「いやあ、いくらまきりでもあの石像は動か――って、えええっ!?」
長身のセリアンの女が、よいしょー! と石像を押した。かなりの質量を持ったゴーレムの像が、あっという間に背後に倒れた。普通、もっと慎重に調べるのが冒険者だとスーリャは思うのだが……常人離れした強引な力技だった。
「わあ、まきり……ち、力持ちだね。でも、もうちょっと調べてから……あっ! み、見て、フォス! みんなも」
「……階段、みたいだな」
先程の壁面は、石像の視線を失ったからか大地へと引っ込んでいた。
そしてその先に……上層への階段が現れたのだった。
結局スーリャは、この日の暗殺を断念せざるを得なかった。