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 その日、アルカディア評議会には多くの冒険者達が集っていた。
 ニカノールはベテラン達が並ぶ中、少し落ち着かない。今日は評議会から、新たなミッションのお達しがあるのだ。それというのも、ニカノール達のギルド『ネヴァモア』のメンバーが3Fへの階段を見つけたからだ。
 世界樹の迷宮探索は、新たな局面へと進もうとしていた。
 だが、隣であくびを噛み殺す初老の男には、あまり興味がないらしい。

「へえ、それじゃああのあと……ノァンは弟子(でし)になっちまったのか。ヨスガの」

 その男の名は、コッペペ。『トライマーチ』のギルドマスターだ。一応そういうことになっているが、彼が働いているのをニカノールは見たことがなかった。どこか飄々(ひょうひょう)として、自堕落(じだらく)でいい加減、その上に助平(スケベ)である。だが、時々鋭い洞察力で助言をしたりするので、仲間達には一目置かれているようだった。
 コッペペの言葉に、ニカノールは昨夜の乱痴気騒(らんちきさわ)ぎを思い出す。

「そうなんです。ノァンはヨスガに、力の使い方を学ぶそうです。ほら、彼女は力を持て余してるから。その上、いつも全力で戦ってたら、ノァンの身体がもたないよ」
「だなぁ。難儀(なんぎ)な娘っ子だあ。……しっかし、ヨスガは男だったのか。夢がねぇ話だ」
「はは、流石のコッペペさんも見抜けなかったんだね……って、あれ? さっきコッペペ、『あのあと』って言ったけど」
「ん? ああ、二階から見てたがよう。お前さん達、もーちょっと静かに酒を飲んだり女を抱いたりしなさいよ。鍋は……んー、まあ、鍋は賑やかにこしたこたぁないがね」

 ニカノールは驚いた。
 顎髭(あごひげ)(こす)るコッペペは、昨夜の騒ぎを見ていたという。
 昨日の夜、毎度のことでニカノールはノァンと花街に繰り出していた。満月の夜は気持ちが高まるし、抑えられない衝動で身体に英気が満ちる。そして、多くの場合は () () () () () () () () 、そうした欲望は食欲を満たすことで発散されていた。
 そういう訳で、ニカノールはノァンと二人で鍋をつついていたのである。
 しかし、心配になって来てくれた仲間達と面倒事に巻き込まれた。夜の街ではニカノールなど、まだまだ一見(いっけん)さんのお坊ちゃんだ。そんな彼に親切な娼館(しょうかん)夢見(ゆめみ)夜魔亭(やまてい)で事件はおきた。悪酔いした客との乱闘騒ぎだ。そして、吹き抜けになっている酒場をコッぺぺは二階から見下ろしていたのだった。

「コッペペさん、人が悪いなあ……言ってくれれば」
「言ってくれれば、かあ? へへ、オイラがしゃしゃり出ていいことなんてあるもんか。それに」
「それに?」
「お前さん、なんのかんので上手く片付けちまったじゃねえか。ナフムとフレッドも一緒だったし、オイラの出る幕なんざないさ」

 コッペペは公衆の面前だというのに、鼻毛を抜き始めた。それをフッと息で飛ばして、ぼんやりとしまらない笑みを浮かべる。
 確かにコッぺぺの言う通り、ヨスガの仕事ぶりとコロスケの機転で大事に(いた)らなかった。そればかりか、ネヴァモアとトライマーチ、両ギルドは頼もしい仲間を得ることになったのだ。怪我の功名で、ひたすら運が良かったのだとニカノールは話した。
 だが、コッペペはへらりと笑う。

「ニカよう、運も実力の内なんだぜ? 実力がある奴にしか、幸運の女神は微笑(ほほえ)まねえ」
「そういう、ものなの?」
「そーゆーもんなのさ。まあ、今のお前さん達に実力があるとは言わねえ。けどな、ニカ。実力を身に着けていくだけの気概(きがい)、あんだろ? なら、あとは時間と経験が片付ける話さ」

 こういう時のコッペペは酷く達観している。無責任にそういうことを言うのに、不思議な説得力があってニカノールは言葉を失ってしまうのだ。
 この老人は何者なのだろう?
 そのことを聞いても、いつも記憶喪失だからとはぐらかされてしまう。
 そして、彼は自分の失われた過去にあまり頓着(とんちゃく)がないようだ。
 そうこうしていると、周囲の冒険者達が一斉に身を正した。
 皆の前に、一人の青年が現れる。

「冒険者達よ、よく集まってくれたね。私はレムス、この評議会の代表を任されている」

 レムスはアースランで、どうやら王族のようだ。その姿は適度に飾られ、仕立ての良い服には宝石や金があしらわれている。柔和(にゅうわ)で温厚そうな気性は、そのまま穏やかな笑顔となって目鼻立ちの整った表情を(いろど)っていた。


 レムスは一同を見渡し、言葉を選ぶ。

「諸君等に集まってもらったのは他でもない。そこにいるニカノールのギルド『ネヴァモア』が3Fへと昇る階段を発見した。これは、評議会の配下の者達も成し得なかった偉業である」

 自然と周囲の視線が、ニカノールに殺到した。
 一緒に見詰められるコッペペは平然としているが、奇妙な緊張感で尻がむずがゆくなる。(ささや)きと(つぶや)きが行き交う中で、ニカノールはぎこちなく笑うしかできなかった。
 軽んじるような視線、(うかが)い探るような眼差しにさらされ困惑する。
 だが、レムスは「よくやってくれたね」と微笑んでくれた。
 そして、彼の話は核心へと触れる。

「評議会はこれよりミッションを発動させることとなった。皆はそれぞれ、ギルドの力を尽くしてミッションの完遂を目指して欲しい。ミッションの内容は、世界樹の迷宮で行く手を遮るゴーレム達の排除。そして、より上層への階段の発見である」

 誰もが「おお!」「ついに!」と声をあげた。
 いやがおうにも盛り上がる周囲に、ニカノールも興奮を抑えきれない。
 だが、そんな彼の隣でとぼけた声があがった。

「ゴーレムってなあ、例の石人形だなあ? ありゃ、かなりの年代物と見たがどうだろう。オイラが思うに、ちょいと手間取りそうだが……レムスさんよぉ、もう少し情報をくれたったバチは当たらないだろうさ。な? ニカ」

 ポン、とニカノールの背を叩いて、コッペペが表情を引き締めた。
 初めて見る彼の真顔に、自然とニカノールも緊張感を高まらせる。
 そして、無責任にレムスの矢面に自分を立たせて知らんぷりなコッペペを恨んだ。
 レムスは微笑を湛えたまま、静かに頷いた。

「そちらの御老人の言葉もいちいちもっともだ。では、もう少し説明しよう。説明というより、これは歴史と伝承の話だ。諸君等が探索する世界樹の迷宮の、その成り立ちに関わる話だからね」

 レムスは一度全員を見渡し、聞き入る態度が定まったところで語り出した。
 遥か太古の昔、世界樹に宿る神秘の力を求めて戦乱が起こった。暴王(ぼうおう)と呼ばれた恐るべき君主が、兵を従え今のアイオリス周辺を支配していたのだ。近隣の村は焼かれ、田畑は荒れた。まさに、アルカディアの暗黒時代の到来だった。
 暴王がいかなる種族の王だったか、それは定かではない。
 ただ、暴王を止めるために全ての種族が協力して立ち上がった。
 今では伝説の大戦と呼ばれる、アルカディアを二分した長き戦役である。
 戦いに勝利したのは、四つの種族から選りすぐられた者達だった。アースラン、セリアン、ブラニー、そしてルナリア。特にルナリアの氏族達は、人形遣(にんぎょうつか)いと呼ばれる高名な魔法使いによって世界樹を封印した。誰も立ち入れぬ禁忌(きんき)の地として、ゴーレム達の守護のもとに迷宮を閉ざしたのだ。
 そして、長き(とき)が流れて伝説は歴史となった。
 人形遣いの一族も絶え、今はゴーレム達だけが迷宮を守っているという訳だ。
 そこまで話して、レムスは再度語りかける。
 先程よりも親しみを感じて、ニカノールもその言葉をしかと胸に刻んだ。

「私達アルカディア評議会は、四つの民の繁栄と安定のために世界樹の封印を解いた。その先に、平和をより豊かにするものが見つかることを願っている。そして、それは諸君等の手で必ずや叶えられる……私はそう信じているよ」

 かくして、本格的な迷宮探索のミッションが発動した。
 誰もが口々に勇んでは、評議会の建物を出てゆく。見送るレムスは、何人かの冒険者に囲まれて質問攻めにあっていた。
 そしてコッペペはといえば……隣で普段ののほほんとした表情に戻っている。
 だが、ニカノールは見逃さなかった。
 コッペペの口元には、まるで少年のような無邪気な笑みが浮かんでいるのだった。

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