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 ついに、第五階層『円環ノ原生林(エンカンノゲンセイリン)』への本格的な調査が始まった。
 アルカディア評議会は、正式に冒険者たちの第五層探索へ許可を出す。かなり危険度の高いエリアとみて、限られた一部のギルドのみにしか冒険は許されなかった。
 ネヴァモアとトライマーチも、新たな旅への準備に余念がない。
 ラチェルタの言葉を信じれば、恐らくこれが最後の冒険になるかもしれなかった。

「ここが円環ノ原生林かあ……確かに、凄いところだなあ」

 ニカノールは、空に広がる星の海を見上げて、感嘆(かんたん)の声を漏らした。
 仲間の報告にあったように、なにもかもが別世界だ。そして、ルナリアの屍術士(ネクロマンサー)だからこそ感じることがある……ここには、なにか違和感がある。まるで、作り込まれた箱庭のような美しさで、作為的なものを感じるのだ。
 澄んだ空気さえ、あまりにも綺麗過ぎて落ち着かない。
 それでも、今日のパーティの仲間たちを呼び止め、彼はギルドマスターとして注意を(うなが)した。

「みんな、とりあえず新たな階層の第一歩だよ。今日は無理せず、樹海磁軸(じゅかいじじく)周辺を軽く調査しよう。あと、一通り魔物の種類や生態を大雑把に……ん? あ、あれ?」

 今日のパーティは、頼れるナフムとフリーデルの兄弟、そしてナルシャーダだ。
 だが、一人足りない。
 さっきまで隣りにいた(はず)のノァンが、影も形も見当たらなかった。

「ん? ああ、ノァンな。さっきまでその辺に……ありゃ? おい、フレッド」
「妙だね。隣にいたんだけど。お花を()みにいったとか、かな? ナル、なにか聞いてないかい?」
「ふむ、ノァンか……それなら先程、ハッ! ま、待て……もう一度質問からやり直してくれ。俺様、もっと素敵に素晴らしいアンサーポーズを思いついてしまった!」

 いつもの調子だが、頼れる仲間たちに不安はない。
 さてとノァンを探して首を巡らせると……不意に、視界の(すみ)をなにかが横切った。
 遠く向こうの曲がり角から、なにかが飛び去ったように見えたのだ。
 そして、探していたノァンはすぐに皆の前に飛んできた。
 そう、比喩や形容ではなく、本当に飛んできたのだ。

「ニカーッ! みんなも! これ、面白いですっ!」


 ノァンは、空中に浮いていた。
 そして、壁を蹴ってスイスイと宙を泳いでいる。
 皆があっけに取られて、しばし絶句した。
 だが、はたと気付いてニカノールは手を伸ばす。

「と、とりあえずノァン、ちょ、ちょっと……降りれくれるか、うわっ!」

 ノァンと手を繋いだ瞬間、ニカノールも足元の感覚を失った。
 驚いたことに、ノァンと共にニカノールも空中に吸い込まれたのだ。まるで海を泳いでいるような感覚だが、水中のような周囲の感触がない。まさに、空気の中にいるので身動きが取れなかった。
 (あわ)てて手を伸ばしてきたナフムを、手で制止する。

「ま、待って! ナフム、君まで浮き上がっちゃうよ」
「お、それもそうか。で? ノァン、お前さんどうしちまったんだ?」

 ノァンは無邪気にキャッキャとニカノールに身を寄せてくる。
 どうやら、彼女はこの第五階層特有の仕掛けかなにかに触れたらしい。

「アタシ、みんなが準備してる間、待ってたです! そしたら、アリさんが」
「ア、アリさんが?」
「アリさんが行列を作ってるのが見えたです。それで、追いかけたら……へんてこな装置があったのです!」
「それか……触った? いじったんだね?」
「はいです!」

 参ったな、とニカノールは苦笑するしかない。
 圧倒的な攻撃力を誇るノァンは、パーティのアタッカーとして頼れるし、長らく共に旅をしてきた仲間だ。だが、その中身は幼子(おさなご)のようなもので、警戒心や猜疑心というものを持っていない。
 直接害のある罠の(たぐい)じゃなくて、本当によかったとニカノールは胸を撫で下ろした。
 すると、下からフリーデルとナルシャーダの分析が聴こえてくる。

「なるほど、恐らく重力制御だな。魔法でも難しい、かなり高レベルなものだ」
流石(さすが)だな、フレッド……俺様と同じ答えに辿り着くとは。なんらかの装置か術によって、今のノァンは重力を完全に遮断された状態になっていると見た。フッ!」
「で、そのノァンに触れたニカも、同じ状態になったみたいだ。手を放してみたら?」

 なるほど、とニカノールはノァンの手を放した。
 瞬間、思い出したように地面に落下する。
 なんとか不格好に着地し、ホッと胸を撫で下ろした。
 その頃にはもう、ノァンは手近な壁を蹴って飛び出している。

「こっちに、そのへんてこな機械があるです! こっちですー!」

 ああして動けば、障害物や地面の亀裂などを通過することができるだろう。ただし、水中のように泳ぐことはできず、壁を使って次の壁まで直線移動しかできない。
 それ自体が罠なのか、それともなにかしら意味のある迷宮自体の仕掛けなのか……ともあれ、ニカノールは仲間たちと急いでノァンのあとを追った。
 すぐに、ふわふわ浮かぶノァンと、謎の装置を発見する。

「これか……妙だな。機械には僕、詳しくないけどさ。結構ピカピカだよね」
「どれ、俺様にも詳しく見せてくれ」

 ナルシャーダは、魔力による感知などを同時展開しつつ、装置を調べ始める。改めて見ても、まるでつい先程完成したかのように真新しい。周囲の大自然も怪しいくらいに無味無臭だが、明らかに文明が作った被造物である装置は、より一層無機質に見えた。
 ナフムが周囲を警戒し、フリーデルは地図と共に装置のスケッチを書き起こしている。
 そして、ナルシャーダは危険がないと判断したのか、装置の中央のボタンを押した。

「おお……おお! 俺様、サンッ、シャイン! サンッ、ライズ!」

 突然、ナルシャーダが輝き出した。
 そして、全身でポーズを決めたまま、宙へふわりと浮かび上がる。
 後光を背負って法悦の表情で、彼は端的に装置の仕組みを説明してくれた。

「ニカ、みんなも聞いてくれ。そして見てくれ、讃えてくれ! この装置は、操作した者を、重力を遮断する力場(フィールド)で包んでしまうらしい。だから、その者に触れた人間もまた、力場の中に入ってしまうため浮かんでしまうのだ」
「あ、ああ。ありがとう、ナル……とりあえず、その……無駄に、(まぶ)しいんだけど」
「降りるには、再度この装置を使うのでは……どれ!」

 ナルシャーダは、壁で華麗にターンするや、高さを調節してボタンの上に立った。あとでみんなで使う装置なので、土足であがるのはよしてほしいが……彼が再びボタンを押すと、ふわりと地上に舞い降りる。
 浮いたままのノァンも「おおー!」と驚きに目を見開いた。

「ふむ、害はなさそうだな。単純に浮き沈みを制御する装置のようだ、ニカ」
「そっか。じゃあ、例えば……空中に浮けば、ああいう場所を通過できたりするかな?」

 ニカノールが指差す先に、奇妙な床が光っている。
 まるで、硝子(ガラス)で出来た川だ。
 危険なので直接歩いて渡らない方がいいだろう。ちょっと近寄って下を覗けば、遥か彼方に大地が霞んで見えた。世界樹の最上層であるこの場所は、かなり地表から見て高い位置にある。うっかり硝子を踏み抜けば、大変なことになるだろう。

「フレッド、地図を……ふむ、こことここ、それとここ。宙に浮いたら、直線移動で通過できると仮定して、メモしておこう」

 こうして、第五階層の冒険が始まった。
 ニカノールが仲間たちと今後の方針を話し合う間、ずっと……ノァンは浮いたり降りたりを繰り返して、遊んでいた。そんな彼女が、壁を蹴って頭上を行き来する。キャッキャとはしゃいだ声に、自然とニカノールも未知の迷宮への興奮を隠せないのだった。

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