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 今、世界樹の最後の道が明かされる。
 一同を代表して、両開きの重々しい扉をニカノールは押し開いた。
 見守るアルコンに、はっきりと今の決意を明言しながら。

「アルコン、ありがとう。僕は自分が不死者になってしまったのが不思議だったけど、今はよかったと思う。少し予定より早いけど……君に望まれ、願われた。世界樹の祈りが、今の僕をここに立たせた」
「……そうだ。(なんじ)には気の毒なこととも思う。だから、意外なその言葉が嬉しい」
「うん。でも、ここからは……ここに立ったからには、先へ歩みだすのは僕の意思だよ」

 ドン! と背中を叩かれた。
 左右から、ナフムとフリーデルがニヤリと笑いかけてくる。

「僕の意思? 僕たちの、だろ?」
絵草紙(えぞうし)の勇者様って訳にはいかねえが、俺とフリーデルがついてらあ。ノァンやフォスもいる、どーんと行こうぜ!」

 振り向けば、フォリスも大きく頷いていた。そして、その隣から元気よくノァンが駆け出す。ニカノールを大きく追い越した彼女は、真っ暗な部屋の中で振り返った。
 そこには、無敵に素敵ないつもの笑顔があった。

「ニカ、アタシも頑張るです! ニカとみんなとなら、アタシは十億万倍強くなれるのです!」

 フンスと鼻息も荒く、ノァンは両の拳を握って振り上げた。
 いつもと変わらない、気心の知れた仲間たちの安心感。
 だが、一瞬でその雰囲気は霧散した。
 ドヤ顔だったノァンが、急に硬直して顔を強張らせる。そのままギギギと部屋の奥へ振り向く彼女は、先程の(みなぎ)る覇気を完全に奪い取られてしまったようだ。
 身構え駆け寄るニカノールも、察知した。
 この部屋の中央、ルナリアの瞳を持ってしても見通せぬ暗闇の中に……なにか、いる。
 それは、暗黒より尚も黒く濁って、冷たい殺気の塊となって吼えた。
 生物とは思えぬ金切り声に、全身の肌が粟立(あわだ)つ。

「こ、これは……ノァン、こっちに戻って! ……これと戦うのか」

 天井の高いホールに今、巨大な影が立ち尽くしていた。自ら発する赤い光が、おぼろげながら全身を浮かび上がらせている。邪悪で醜悪なその姿は、あらゆる生物の特徴を持ち、その中から攻撃性と残虐性だけを掻き集めたかのようだ。
 まさに、死そのもの。
 破壊と殺戮の気配が、ビリビリと肌を()いてくる。
 一気に圧力に飲み込まれかけたが、とてとてと戻ってきたノァンはみんなの前に立った。

「ニ、ニカ! マスターも! なにあれ怖いです。アタシ、少しちびったかもです。これはやべー奴なのです!」
「あ、ああ……ふふ、ノァンは平気かい?」
「アタシは半分くらい平気です! でも、みんなも半分平気なら、全員合わせて二倍以上へっちゃらなのです!」


 小さな拳を引き絞り、全身の筋肉をバネへと凝縮してゆくノァン。
 気圧され萎縮していた仲間たちも、あっという間に熟練冒険者の顔を取り戻した。颯爽(さっそう)とナフムが前に立ち、その背をフリーデルがカバーする。フォリスが死霊(しりょう)を呼び出せば、全員の前に三つの影がゆらりと青く燃え始めた。
 いつも通り、なにも変わらない。
 普段の力を全て出し切れば、少なくとも悔いは残らない(はず)だ。
 それに、ニカノールは不死だからこそ知っている。生きてまた会いたい人がいる……死なないだけではなく、生きて生き抜くために再会を心に誓っていた。

「さあ、やっつけてしまおう! フォス、死霊の数をキープして。お互い使い所はいつもの呼吸で」
「ああ」
「ナフムはみんなの盾を頼むよ。君の守りが命綱だ。そしてフリーデル、道具のストック数を気にかけることはない……これは正真正銘、最後の戦いだ」
「だな! へっ、任されたぜ!」
「では、特大の魔法をお見舞いするとしよう」
「そしてノァン! えっと……うん。ガンガンやっちゃえ!」
「あいです!」

 戦いが始まった。
 だが、一瞬でそれは終わってしまう。
 闘争と呼ぶには、あまりに一方的な暴力が荒れ狂った。
 断撃。
 絶風。
 轟炎。
 (むしば)む痛みは感覚さえ奪い、闇の侵食はあっという間に五人の冒険者を吹き飛ばした。
 正直、なにをされたかわからない。
 咄嗟(とっさ)に死霊の全てを守りと回復に回したが、ギリギリで生命を繋ぐことしかできなかった。気付けばニカノールは、床に突っ伏し倒れていた。

「な、なにが……あれ? ……ナフム、フリーデル! フォス……ノァン!」

 みな、震えながら立ち上がる。
 だが、その表情が一変していた。
 ノァンに至っては、あまりの恐ろしさに泣き出しそうである。
 鎧袖一触(がいしゅういっしょく)とはこのことで、敵の攻撃があまりにも強過ぎたのだ。それこそ、人知を超えた一撃という言葉でも物足りない、圧倒的な力。理解や抵抗さえも拒む威容に、ニカノールの全身が震える。
 まるで、原初の頃より刻まれた恐怖を思い出したかのようだ。

「くっそ……こんなんありかよ。フリーデル? おい、フリーデル! 起きろよ……墓穴(はかあな)掘るならもうちょい先だぜ?」
「……だね。俺が反撃の糸口を見つける。見つけてみせる。そこに」

 フォリスが再び死霊を呼ぶ中、ナフムとフリーデルが互いを(かば)い合って立つ。
 満身創痍(まんしんそうい)の仲間たちの中で、ニカノールも歯を食いしばって身を起こした。
 だが、見下ろす不気味な眼光は、単眼(ひとつめ)に映る全てへ痛みと苦しみを与え続ける。光を吸い込む黒き稲妻が、無数に乱立して迫った。互いに競い合うように、暗黒の(イカズチ)が飛び交う。
 皆、必死だった。
 これが、試練……人の歩みが超えねばならない、古き時代より封印されたもの。
 アルコンを恨みたくもなるのだが、自然とニカノールはネガティブな気持ちを押し殺した。

「そうだ、諦めちゃ駄目だよ……不死者でも、諦めた瞬間に心が死ぬ。僕が死んだら……悲しむ人がいるっ!」

 血に濡れた手をかざして、集中力を研ぎ澄ます。
 瞬時に死霊が現れ、ニカノールの術で炎となって()ぜた。
 荒れ狂う業火が赤々と燃えて、巨大なホールの全容を浮かび上がらせる。ニカノールには、敵の姿がはっきりと見えた。黒い巨躯(きょく)に黒い翼、黒い鉤爪(かぎづめ)……この世の闇を凝縮させたような、見るもおぞましい悪魔。
 そう、太古の聖典にその名を残す、悪魔にしか見えなかった。
 必死で防御に徹するナフムも、大規模な術式を連続励起(れんぞくれいき)させるフリーデルも、一瞬動きが止まる。あまりにも、強大な姿と、その力。
 敵は、全身を切り刻んでくるかのような絶叫を張り上げた。
 その口から、燃えるように冷たい吐息が放たれ、全てが白く凍ってゆく。

「くっ……このままじゃ……」

 全滅という言葉が脳裏を過ぎった。
 その瞬間を確定させるかのように、周囲に濃密な瘴気(しょうき)が満ちてゆく。
 状況を打開するため、ニカノールは脳味噌をフル回転させた。そして、一つの結論に達する。
 (すなわ)ち、勝てないと判断した。
 今は、勝てない。
 ただ、負けて負け続けても、負けたままでは終われないとも思った。

「みんなっ! 僕は……絶対にみんなを死なせない! 僕と違って、死ぬだけでは済まされないからね! ……頼むよ、死霊たち。最後の力を、僕に――」

 部屋の空気が沸騰して、魔素(まそ)の奔流がそこかしこで膨れ上がった。
 そしてニカノールは、見た。
 自分と同じ決断を、自分より早く実践する少女の背中を。
 青白い全身の皮膚に、無数の縫い傷を浮かべたノァンが絶叫していた。
 それが、ニカノールが死の(ふち)で見た最後の光景となった。

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