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 かくして、冒険者たちの最後の旅が始まった。
 ネヴァモアとトライマーチ、二つのギルドの元に多くの仲間たちが集まる。それは(すで)に、ギルドの垣根を超えて広がっていった。今ではアイオリス中の冒険者が、最後の迷宮である星へのきざはし『赤方偏移ノ回廊(セキホウヘンイノカイロウ)』に挑んでいた。
 だが、現実は等しく全てを打ちのめす。

「ふむ、まずいことになった」

 いつものジェネッタの宿、その中庭。
 ブラニーの青年が腕組み(うな)る。横たわる丸太に腰掛け、目の前には敷物の上に無数の薬品が広げられていた。これらは全て、彼が管理を任されているものである。
 少年にも見えるのは、ブラニー特有の容姿が原因だ。
 彼の名は、チェスニー。
 ネヴァモアの薬品や物資の管理を任されている男である。

「消耗が恐ろしく早い。仕入れと製薬とが、全く追いつかないレベルだ」

 今日もアイオリスは好天で、青い空は高く雲ひとつ無い。
 だが、チェスニーの心は憂鬱(ゆううつ)だった。
 日頃から余裕を持って備蓄(びちく)を貯め込み、要所要所で十二分に投入してきた。彼は世界樹の迷宮に(おもむ)くことは(まれ)だが、前線で戦う仲間たちへの物資補給を欠かしたことはない。
 戦いとは、常にそれを背後で支える兵站(へいたん)の強さが問われる。
 そういう意味ではチェスニーは、ギルドマスターのニカノールから任されていた仕事を完全にこなしていた。……今の今まで、つい先日までは。
 そうこうしていると、同じブラニーの青年がまた一人。

「チェスニーさん、今戻りました」
「ああ、お疲れ様。キリール、どうだった?」
「すみません、駄目でした。行列ができてて、並んでみたんですか」
「アイオリスの大市(おおいち)も、しばらくはまともな供給ができない、か」

 (つえ)を頼りに、盲目のブラニーがこちらへやってくる。
 こちらは少女然としており、ともすれば幼女に見えなくもない。だが、彼がその身に淫靡(いんび)な毒を秘めていることを、チェスニーや一部の仲間たちは知っていた。
 同じハーバリストとしても真逆の技を使うが、正確や信条はそれ以上に遠い。

「少し、店員さんとお話をしてみたんですが……どうにか融通してもらえないかと」
「待て、キリール。君はどうしていつもそう、まったく……貞操観念(ていそうかんねん)というものがないのかい?」
「いえ、ない訳では。ただ、用法用量を守って使うにこしたことはないと思いますし。それに、結局あれだけしてさしあげたのに、情報意外はなにも手にはいりませんでしたね」

 いざとなったら身体で解決、それがキリールの処世術(しょせいじゅつ)だ。
 責めるつもりはないし嫌悪感とまではいかないが、時々チェスニーは不安になる。老若男女(ろうにゃくなんにょ)を問わず、彼は見境がないからだ。分別があるかどうかも、少し怪しい。
 だが、ギルド内では随一の癒やし手であり、優れた嗅覚にはチェスニーも敬意を払っている。
 そして、そんな彼をもってしても、薬品やその材料が手に入らなかった。
 原因は火を見るより明らかだ。

「やはり、か。キリール、我々でも物資の消耗が恐ろしく早い。つまり」
「つまり、それだけあの迷宮での戦闘が激しいってことですね」
「そうだ。まさか、ニカノールたちでもあれだけ手こずるとは思わなかった。しかも、まだフロア一つ制覇していないんだ。地図だって大半が空白でなんだからね」

 そう、迷宮の探索は全くと言っていい程、進んでいなかった。
 あの世界樹の迷宮を踏破し、原初の闇から星を救った冒険者たちでもだ。
 そこに焦りを見せないあたり、ニカノールたちベテランの冒険者はまだいい。だが、バノウニやアーケンといった採集担当のチームや、ギルドに加わって間もない面々には動揺が広がっていた。
 今まで積み上げてきた自信が、根底から覆された。

「まず、単純に魔物が強いんです。見たこともない種で、その力は今までの比ではありません」
「新たな種は新たな素材を運ぶ。だが、それも戦いに勝利できればの話だ」
「うちやネヴァモアはまだいいい方なんですよ。あちこちで中小のギルドが活動不能なまでに追い詰められています」
「最後にして最強の迷宮、か……アルコンとやらも随分と、厄介事(やっかいごと)を押し付けてくれるな。星の海を歩いて渡れとは、こういう意味だったのか」

 思わずチェスニーも毒づきたくなる。
 だが、引き受けたからにはやりとげねばならない。そして、仲間たちがその意思を持って進む限り、チェスニーもまた背中を押して援護するだけだ。

「さて、どうしたものか」
「そうですねぇ、毒も薬も素材がないことには」
「……まあ、その両者は本質的に同じだが、だからこそ共有の材料がないと困る」
「ですね。攻撃補助系のアイテムも、かなり……毒や麻痺のお香が、在庫切れです」

 薬とはすなわち、毒だ。
 病魔を殺し、細菌を殺し、あらゆる健康の敵を殺す毒。
 チェスニーやキリールのレベルになれば、ほぼ全ての病原菌や外傷は駆逐できる。意外と、傷を癒やすのは簡単なのだ。
 だが、強過ぎるハーブの香りは、そのまま傷ごと冒険者本人も殺してしまう。
 越妙な調合の知識と技術で、痛みの元凶だけを殺す毒を飲ませなければいけないのだ。
 二人で考え込んでいるが、なかなか妙案は浮かんでこない。
 そんな時、快活な少女の声が飛び込んできた。

「ふっふっふー! そんなこともあろうかとっ! このあたしが一計を案じておきましたっ!」

 異国のメディックにも似た白衣で、少女は平らな胸を張って現れた。
 ババーン! と意気揚々な登場に、チェスニーは思わず「はあ」と溜息を(こぼ)す。

「ああ、それでキリール。今後の仕入れだけど」
「ちょ、ちょっとー! チェスニーさんっ、なんで無視するんですか! 同じブラニーとして寂しいじゃないですかあ」
「どこにブラニーがいるんだい? まったく」
「ここに、あたしが、いますっ! 超絶美少女ハーバリスト、ブラニーのチコリちゃんがいますー!」

 チコリと名乗った少女が、(くちびる)(とが)らせる。
 彼女はどう見てもアースラン、普通の人間だ。
 勿論(もちろん)、中身が普通でないことは承知しているが、見た目だけは愛くるしい普通の少女である。だが、チコリは何故(なぜ)かずっと自分をブラニーだと言い張っているのだった。
 そのことは前から少し気になってたが、詳しく聞いたことはない。
 冒険者は誰もが、それぞれに背負ったもの、抱えたものを秘めている。そして、余計な詮索をする知りたがり屋はいい顔をされないからだ。

「チェスニーさんっ、キリールさんも! ちょっとこっち、来てください!」
「ああ、わかったわかった。わかったから、そんなに引っ張るんじゃない」

 なにやらチコリは、ぐいぐいとチェスニーの腕を引っ張り立たせる。にこやかに笑いつつ、キリールも杖をついてそのあとに続いた。
 チコリは中庭を抜け、宿の裏手へと回る。
 裏庭はジェネッタたち宿の従業員が、プライベートな洗濯物を干すスペースだ。
 だが、初めてその場に足を踏み入れて、チェスニーは驚いた。

「こ、これは……チコリ、君がか?」
「はいっ! あたしは調合の腕はまだまだですが、薬草の扱いには自信があります。……父さんと母さんが、沢山、たっくさん仕込んでくれましたから!」


 そこには、狭い土地を効率的に使った薬草畑があった。鼻を利かせるキリールも、その香りを拾って驚きに目を見開く。
 十分な量とは言えないが、今は手に入り難いものばかりがバランス良く植えられていた。

「あたしは、家族に迎えてくれた人がいるから……ブラニーでいたいんです。それに、そっちの方がもっと薬学や美味(おい)しいハーブなんかの知識を得るにも好都合ですから!」
「そうか。うん、ありがたく使わせてもらうよ」
「あとあと、毒草の類もバッチリですっ」
「いいね。あとは我々で、どれだけ薬品として増やせるか……早速作業にとりかかろう」

 こうしている今も、仲間たちは未知の迷宮で冒険を繰り広げている。あまりにも強い魔物の数々に、打ちのめされているかもしれない。
 だが、チェスニーは知っている。
 アイオリスに名を馳せた二つのギルド、ネヴァモアとトライマーチには……簡単に()を上げるような冒険者など、一人もいないのだと。

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