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 静けさに満ちた死の国が今、絶叫に震撼する。
 瘴気に(よど)んだ空気を沸騰させ、恐るべき敵が姿を現した。その巨躯(きょく)は腐臭と共に、あらゆる負の感情を迸らせている。
 それは、竜。
 かつて竜であった巨大な死骸だった。
 そして、生きていた時の力が何倍にも増幅されている。

「こ、これは……ドラゴン? いや、ドラゴンゾンビ!」

 思わずニカノールは、驚愕(きょうがく)の気持ちをそのまま言葉に叫ぶ。
 かつてまだ生きていた頃、実家の書庫で見たことがある。古き魔術書に記された、禁忌(きんき)の術……摂理の代行者である絶対生物、ドラゴンを使役する方法だ。
 命ある竜は全て、神にも等しい力を持っている。
 それを人間が制御することなどできず、試みれば逆鱗に触れて消滅させられるだろう。
 では、その命が尽きた遺骸ならば?
 生と死を操るコシチェイ家には、その秘術が残っていたのだ。

「ニカニカ、ニカッ! あれ、なんですか!? アタシと……以前のアタシとちょっと似てるです!」
「ノァン、下がって! 君の力でも恐らく、パワー負けしてしまう。あれは、ドラゴンゾンビ。竜の死骸が何らかの要因によって、生前以上の力を持たされた怪物だよ」

 そう、竜は本来気高く聡明な生き物でもある。
 それは時として、乙女の祈りに応えたり、英雄に力を貸すこともあるのだ。だが、生物である以上は長い寿命も尽きるし、時には人間の力で倒されることもあるという。
 そうして死んだ竜の甲殻や鱗、牙や爪、角は希少素材として流通する。
 一方で、禁断の秘術を用いればこうして不死の化け物を生み出すことも可能なのだ。

「むう、これは……恐るべき憎悪、怨念! 竜がこうまでも()してしまうとは!」


 ジズベルトも驚きに表情を強張らせている。
 無理もない、普通の竜でさえ出会えることは(まれ)である。そして、もし遭遇したら幸運ではなく不幸だろう。竜と対面して生還するなど、奇跡を強請(ねだ)るようなものだからだ。
 だが、今のニカノールたちは奇跡に背を向けた状態に等しい。
 ドラゴンゾンビは、うつろなその瞳に暗い炎を燃やして迫ってくる。
 すぐにニカノールは死霊を放って、まずはその力を推し量ろうとした。
 しかし、それは無駄に終わる。

「死霊が、一撃で!? なんて力だ」

 ドラゴンゾンビは、おぞましい咆哮と共に爪を振るった。(すで)に腐って流動体と化した肉が、白い骨をちらつかせながら死霊を叩き潰す。
 冒険者として多くの経験を積んだニカノールは、かなり高レベルの死霊を呼び出せるようになっていた。だが、その成長をあざ笑うかのように、ドラゴンゾンビは鎧袖一触(がいしゅういっしょく)で死霊を消滅させたのである。これでは術で仲間を守ることも、死霊に攻撃を命じる(すき)もない。

「ニカ様、援護しますっ」
「ワーシャ! くっ、頼むよ。みんなも少し距離を取って! 今までの敵とはレベルが違う!」

 ヨスガが守ってくれているので、ワシリーサは大丈夫だ。もともと魔導師(ウォーロック)として魔法で戦う彼女は、パーティで一番安全な後方にいつも立ってもらっている。
 今もワシリーサは、必死にかざした杖に光を集めていた。
 だが、その姿が急激に(かす)んで闇に消えた。
 あまりにも強いドラゴンゾンビの瘴気が、周囲を暗黒に塗り潰してゆく。
 あっという間にニカノールたちは、一寸先も見えぬ闇に包まれた。

「視界が……これはまずいな。ひとまず退きたいけど、そうもいかないか」

 既に魔素の奔流がそこかしこで渦巻き、それは猛毒となって心身を蝕んでくる。
 この状況でも戦えないことはないが、消耗戦になれば圧倒的に不利だ。なにしろ相手はドラゴンゾンビ、ニカノールやノァンを超える究極の不死者なのだから。
 改めて死霊を召喚しなおせば、さらなる疲労がニカノールを襲う。
 そこに声だけの親友が「アタシにいい考えがあるです!」と小さく叫んできた。

「ノァン? そっちにいるのかい?」
「はいです! 真っ暗でも、アタシの耳と鼻とは相手の場所がわかるです。びちゃびちゃって臭いのが、あっちに動いてるです」
「そうか、ノァンの聴覚と嗅覚。でも、君だけを戦わせられないよ」
「大丈夫です! アタシが先回りして足止めするので、ニカはオシショーたちと攻撃をお願いするです!」

 確かに、現状ではドラゴンゾンビの動きを捉えることは難しい。ノァンのように、死体人形故の突出した感覚を用いなければ、居場所さえ正確にはわからないのだ。
 そして、ニカノールはパーティのリーダーとして決断を迫らせる。
 自分でも弱気や臆病は自覚している彼だが、責任から逃げたことは一度もなかった。

「よし、ノァン。頼むよ……五分、いや三分でいい。その間にこっちで一気に攻撃する準備を整えるから」
「任されたです! ではでは、ウリャリャリャリャーッ!」

 ノァンの声が遠ざかり、闇の向こうで衝撃音が響き渡った。
 湿った打撃が、二度三度と大地を揺るがす。
 その間に、ニカノールは死霊を最大まで召喚して仲間たちに呼びかけた。

「ワーシャ、炎の魔法を頼むよ。ありったけの魔力で、一番でっかいのをね」
「わかりましたわ、ニカ様。ワーシャ、頑張りますっ」

 ワシリーサの声がする方向で、ぼんやりと光が熱を帯びる。彼女自身が自分の精神力を研ぎ澄まし、魔力増幅の術で魔法を強化しているのが感じられた。
 同時に、格闘士(セスタス)の二人も阿吽の呼吸で動き出す。

「ジズベルト様、ワーシャ様の魔法と同時に攻めましょう。私が一撃入れて崩しますので」
「ふむ、では私の乾坤一擲(けんこんいってき)の秘奥義をお見せするとしましょう。しかし、ヨスガ殿」
「まあ、脚の一本もくれてやるつもりでいきますので……失敗すれば、どのみち私たちは生きては帰れません」
「しからば、生還を託されましょうぞ。この、拳に」

 そして、ニカノールは三匹の死霊を全て解き放つ。
 同時に、ノァンの気配が感じられる場所で爆散を命じた。現世への未練を燃やす死霊が全て、爆発して周囲の瘴気を燃焼させる。
 まるでそれは、落ちてきた太陽が()ぜるかのような閃光だった。
 あっという間に魔素の闇が晴れて、そこにドラゴンゾンビが顕になる。
 ノァンは傷だらけだったが、ニカノールを振り返るや離脱した。
 入れ替わりに、ワシリーサの放った炎が壁を形成する。ドラゴンゾンビは、紅蓮の業火が迫る中で初めて身悶え苦痛に呻いていた。

「では、参りましょう」

 すっと静かに、滑る影のようにヨスガが馳せる。
 彼は巨体の側面から背後に回って、ドラゴンゾンビの体重を支える後ろ足を蹴り抜いた。鈍い音が響いて、液体化した肉片が飛び散る。
 悲痛な絶叫を迸らせ、僅かにドラゴンゾンビがたじろぎ下がる。
 ほんの一瞬、その刹那……死せる竜の暴力が影を潜めた。
 その間隙に筋肉が躍動する。

「ノァン、よく見ておくのです。力と技とを律して使いこなす、これぞ武の境地!」

 よろけながらも長い首を巡らし、ドラゴンゾンビは腐った顔を突き出した。その喉奥に恐るべき猛毒のブレスがせり上がってくる。
 だが、動じずジズベルトは眼前に躍り出るや、ドシン! と震脚。
 迷宮そのものを揺るがすかのような振動と同時に、彼は必殺の右拳を突き出した。
 真っ直ぐドラゴンゾンビの正中線、額の中心を穿(うが)つ一撃。
 インパクトから一拍遅れて、ドラゴンゾンビの全身から腐った筋肉が全て弾け飛んだ。そして、白骨だけになった巨躯はガラガラと音を立てて崩れる。

「やったです! 流石(さすが)はオシショーなのです!」
「安らかに眠れ……恐らく、リリの秘術を求めるアンデッドキングの残留思念が、暴王の時代にここで倒された竜の(むくろ)に宿ってしまった。そんなところですな」

 危機は倒された。
 まるで霧が晴れるように、迷宮は静けさを取り戻してゆく。死者の国はようやく、平穏な常闇へと戻った。ニカノールも安堵の溜息をついて、脚を引きずるヨスガに駆け寄る。
 奇跡にも等しい勝利を拾って、これでリリとソロルも安心だと、誰もが胸を撫で下ろすのだった。

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