またしても、世界樹の迷宮で
ネヴァモアとトライマーチ、二つのギルドは死者の国にて、恐るべき怪物を討伐したのである。伝説の竜の、死せる
その功労者の一人であるヨスガは、珍しくジェネッタの宿にいた。
自慢の脚線美も今は、骨折でギブスに包まれている。
「しかし、運がいいぜ……お前さん。ドラゴンゾンビと戦って、脚の一本で済んじまうたぁな」
ドスの効いた言葉が、不思議と少女の声で響く。
ベッドの上のヨスガは今、ブラニーの少女エランテと話しているのだ。正確には、覚めぬ眠りにまどろむエランテの同居人、クァイとである。
クァイは夢魔の
ウィットに富み、風流を愛するナイスミドルらしいが、その正体を詮索する必要は誰も感じていなかった。彼がエランテを操り、
「クァイ様、笑い事ではありませんよ。正直、死ぬかと思いました」
「まあ、ジズベルトの旦那がいてよかったじゃねえか」
「ええ、まさしく轟破の拳ですね。助かりました」
「お前さんも頑張ったじゃねえか。名誉の負傷ってやつだなあ」
先程からクァイは、眠れる少女になにかを書かせている。
まじないのような古い文字が、ヨスガのギブスに墨で刻まれていた。聞けば、古来より骨折にはこうする作法があるらしい。
そういうものなのかと、ヨスガも折れて釣られた脚を見やる。
店のカウンターに立てないことは勿論、これでは迷宮の冒険も無理だ。メルファは笑って許してくれたが、夢見の夜魔亭に
そうこうしていると、借りている部屋が急ににぎやかになり始めた。
「やっほー、ヨスガー! お見舞いにきたよー!」
「おっ、なんだ? クァイのおっちゃんも一緒じゃんかよ」
「こんにちは、お加減いかがですか? ほらっ、チェルもマキも、ちゃんとご挨拶して」
かしまし三人娘の登場だ。
ラチェルタとマキシア、そしてレヴィールが仲良く連れ立ってやってきた。ヨスガがこの部屋に
三人は早速、クァイがやってるおまじないに気付いて瞳を輝かせた。
「なになに? こうすると早く治るの?」
「よっしゃ! オレも一筆書いてやるぜ!」
まあ待て待てと、クァイが笑う。あどけない少女が絶対にしない、ニヤリとした渋みのある笑みである。だが、閉じた
時々彼は、ヨスガの客となって酒を飲む。
宿主であるエランテを気遣いつつ、ちびちびと晩酌を楽しむのだ。
女も男も抱かず、酒だけの常連客というのは実は、結構多い。
ヨスガには、酒すら飲まない
その人物が、珍しく顔を出してくれた。
「ありゃ? なんだ、フォスじゃねえか。どした、入ってこいよ!」
まるで自分の部屋のように振る舞って、マキシアが振り向く。
ドアのところに、小さな影が立っていた。相変わらず暗い表情をしているが、これが彼の普段の素顔なのである。
今日はいつも一緒のノァンがいないようである。
自然とヨスガは、フォリスと目が合って微笑んだ。
彼もまた、少しほっとしたように小さく頷く。
「こんにちは、フォス様。ふふ、少しお見苦しい姿ですが」
「いや……ノァンから聞いた。酷いのか?」
「いえ、綺麗に折れてるそうで」
「そうか」
フォリスは、ちらりとラチェルタたちを見て首を傾げた。
ラチェルタは今、マキシアと一緒にノリノリで筆を走らせている。ヨスガの脚はもう、ギブスというより一種の前衛芸術と化していた。
でも、なんだかとても嬉しい。
ラチェルタは絵も交えて、楽しそうに励ましの言葉を並べてくれた。
マキシアも、なんだかむず痒くなるような決め文句を書き込んでくれている。
そして気付けば、クァイも頬を崩しながら三人娘に語りかけていた。
「おう、そうだ。レヴィ嬢ちゃん、花を花瓶にいけてやんな」
「え、ええ、そうですね。フォスさん、花を」
「ささ、チェルもマキもお手伝いだ。俺もこう見えて忙しいからな」
これはやられたと、ヨスガは思った。
だが、今の自分はベッドから動けぬ身。クァイの気遣いというか、心憎い演出が少女たちを連れて出てゆく。明るい声に手を振れば、自然とヨスガはフォリスと二人きりになった。
思えば、この奇妙な青年と二人だけになるのは初めてかもしれない。
彼はいつも、店のカウンターでミルクを飲みながら、ヨスガとなんでもない話をしていた。聞けば、女を抱けない身の上らしい。
そのフォリスが凄絶な過去を背負っていると知ったのは、つい最近だ。
そして、その罪と罰とが精算されたことも知っていた。
「……ふむ、クァイの術は人間のとは少し違うからな。興味深い」
「え、ええ」
フォリスはまじまじとギブスを見やり、どれとテーブルの筆を取る。まだ空いてるスペースにさらさらとなにかを綴りつつ、彼はぶっきらぼうに呟いた。
「ノァンが世話になったな。あいつの無茶に、みんなを突き合わせたようだ」
「いえいえ、無茶を通せば道理は引っ込むものです。無事全員で生還できましたし」
「そうか」
「ええ」
おおよそ覇気や生気というものとは縁のない、酷く頼りない横顔。適度に整った顔立ちは、華奢な矮躯も相まって中性的だ。だが、それを言うならヨスガなどはまるで女のような顔をしている。らしい。
生まれも育ちも、人はなかなか選べるものではない。
必定、持って生まれた顔で人は生きていくしかないのだ。
それを思い知ってから、ヨスガは夜の街に居場所を見つけて今にいたる。一時は男娼だったこともあるが、今は腕一本ならぬ脚一本で稼いでいる。夢見の夜魔亭の用心棒兼バーテンダーという仕事は、自分でも気に入っていた。
「骨は、折れた箇所は以前より強くなる、らしい」
「よく、そう言われてますね」
「とにかく、早く治るといいな。その、俺は、冷えたミルクが好きだからな」
ぼそぼそと喋りつつ、フォリスは筆を置いた。そして、そっとヨスガの枕元に歩み寄ってくる。
ちょっと、ドキドキした。
自分にもまだ、うぶな気持ちがあるものかと驚きもした。
そして、フォリスはなにかを言いかけては口を噤み、外へと視線を逃しつつ言葉を選ぶ。
「その、礼を言う。早く良くなってくれ」
「はい。では、少し頑張って養生しないといけませんね」
「……うん、そうしてくれ」
「ええ、そうしてみましょう」
脚一本、安いものだと思えた。ヨスガは、密かに慕っている人物から感謝されたのだ。それに、同じ冒険者の仲間としてこれからも一緒にいられる。少しだけ恋愛事情の違うヨスガの、小さな喜びがそこにはあった。
恐らくもう、フォリスは恋愛などしないだろう。
ようやく想いにケジメをつけて、彼は一生分の愛を使い切ってしまったのだから。
それでも、友人や仲間としてでも、ヨスガはフォリスをこれからも見守りたいと思うのだった。