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 冒険の日々は終わった。
 だが、冒険者たちの旅は終わらない。
 そして今、新たな地平を目指して旅立つ者たちがいる。
 ある者はそれを、墓場への旅路だという。
 またある者は、幸福なゴールだともいう。
 ワシリーサにとっては、約束された未来に他ならない。

「おいおい、スゥの奴はどこいっちまったんだ?」
「宿の方は、もう出たんだな? まいったぜ。おい、兄弟!」
「わかってるさ、ナフム。ノァンにおやつを出して時間を稼ぐよ」

 ワシリーサは今、アイオリスでも一番の教会、大聖堂へと来ていた。
 今日はタキシードを着込んんで、周囲の仲間たち同様に正装である。
 何故(なぜ)なら、とてもめでたい結婚式が行われるからだ。
 だが、肝心の花嫁がまだ姿を現していなかった。そのことで、式場は先ほどからにわかに慌ただしい。
 ちらりと見やれば、ニカノールが果物を抱えてわたわたとしている。
 ワシリーサはそっと恋人に近付き、トントンと指でつついて振り向かせる。

「や、やあ、ワーシャ。スゥを見なかったかい?」
「いえ、それがどこにも。でも、ふふ……ちょっと探してみますね」
「う、うん。どうしたのかなあ、このままじゃ披露宴(ひろうえん)の前に全部ノァンに食べられちゃうよ」
「大丈夫ですわ、ニカ様。ワーシャには少し心当たりがありますもの」

 見上げるニカノールの顔は色白で、いつにもましてなんだか頼りない。
 けど、いつも一生懸命なひたむきさに満ちてて、やっぱりワシリーサは気持ちが強くなる。(はぐく)んできた想いが、より確かになるのを感じてしまうのだ。
 今日という日が、親友の結婚式だからだろうか。
 そっと手を伸べ、ワシリーサはニカノールの曲がったタイを直した。

「これで、よしっ。ニカ様、ノァン様をよろしくお願いしますわ」
「あ、ああ、任せてよ。ノァンの相手をするのは自信があるからね」
「ふふ、ではちょっと行ってきますね」

 今日は花嫁が二人。
 そのどちらもが、同時に花婿でもある。
 その片方、ノァンはニカノールにとって大親友で、それ以上に見えることも何度もあった。二人は同じ不死者、生ける死体にして常闇(とこやみ)の住人なのだ。
 だが、ワシリーサは知っている。
 まるで兄妹のように仲がよくて、無邪気で生真面目で、そして一途で純真で。
 だから多分、自分は愛する前提だっただけの日々に恋を芽生えさせたのだ。
 きっと、もう一人の花嫁も同じだと思う。
 着飾った仲間たちで賑わう部屋を出て、ワシリーサは庭園へと降り立った。

「いい天気ですね。さて」

 季節の花が咲いて、あたたかな風に香る。
 職人たちが手入れした庭園には今、春の光が満ちていた。
 当然だが、あたりを見回しても人影はない。
 だが、ワシリーサにはわかる。
 花嫁が手練(てだれ)の暗殺者だからこそ、影そのものとなって(ひそ)んでいる場所が感じられるのだ。直感に基づく当てずっぽうでも、確かに親愛なる友人の気配が拾えていた。
 静かに大樹の側に立って、わずかに身を屈める。
 そうして、覗き込むようにして語り掛けた。

「スゥ様? 皆様がお待ちかねです。さ、参りましょう?」

 その声に、確かに驚く気配があった。
 そして、日陰の薄暗がりから染み出るように少女が姿を現す。
 中性的な美貌は今、純白のウェディングドレスで乙女の表情を見せていた。胸元の開けたドレスなので、褐色(かっしょく)の肌とのコントラストが眩しい。
 モノクロームの花嫁は、おずおずとスカートの裾をつまみながら俯いていた。

「……どうして、わかった? 完全に、隠れてた。消えたくて」
「ふふ、何故でしょう。すぐにわかりました、感じたんです」

 日々、いつもスーリャと一緒の時間が多かった。男装の麗人となって、スーリャは忙しいニカノールの代わりにワシリーサを守ってくれていたのである。そしてそれは、ノァンが知恵熱を出して一生懸命考えた気遣いだった。
 ショッピングやピクニック、ちょっとした散歩……いつも一緒だった。
 ワシリーサは、使用人や警護の人間じゃない、気心知れた友人を初めて持てたのだ。

「スゥ様、とても綺麗。さ、ノァン様が待ってますわ」
「……恐く、なったんだ」
「まあ。それは困りましたね」

 スーリャはかつて、屍術師(ネクロマンサー)フォリスを殺害すべく襲ってきた敵だった。そして、自分を造ってくれたフォリスを守るために、ノァンもまた(こぶし)で立ち向かったのである。
 激闘の中で、そして冒険の日々でいつしか二人の関係性は真逆のものになっていった。
 成長したノァンによって、スーリャもまた闇の中から引っ張り出されたのである。
 そんな二人の、今日は結婚式。
 だが、スーリャは恐いと再度呟いて華奢(きゃしゃ)な自分の肩を抱いた。
 ワシリーサは笑顔で隣に並んで、そっと寄り添う。

「ワーシャ、私は……こんなとこまで来てまだ、迷ってる。こんな私が、本当に幸せになってしまっていいんだろうか」
「ええ、勿論(もちろん)
「そ、即答なのか? でも、私は」
「スゥ様はスゥ様です。その血も気質も、怯える弱さも含めて全部、ぜーんぶっ! ワーシャの好きなスゥ様ですの!」

 目を丸くするスーリャに、ワシリーサは言葉を選んで語り掛ける。
 不死者の頂点、不死身のコシチェイに嫁ぐためだけに育てられた自分でも、同じなのだと。完璧な花嫁として教育されてきたワシリーサでも、不安は尽きない。
 そして、このアイオリスでニカノールに出会って、その意味を知った。

「スゥ様、完璧な花嫁なんて存在しませんわ。完璧な夫婦もまた、(しか)りです」
「け、けど、私はあまりにも、その」
「ノァン様はなんでも一生懸命で、純真で無垢な方です。だからこそ、その隣にスゥ様が必要だとわたしは思います」
「ワーシャ……」
「さ、二人でノァン様の元へ参りましょう。自分が幸せになることも、好きな人を幸せにすることも、誰かが許したり(とが)めるものではありませんわ」

 そっと肘を差し出し、スーリャを(うなが)す。
 長身の花嫁は、少し迷う素振りを見せたが……そっとワシリーサの腕に腕を絡めてきた。
 今まではずっと、スーリャがワシリーサをエスコートしてくれていた。
 けど、今日は逆である。
 最初で最後の、ワシリーサが友を送り出す日なのだ。


「スゥ様、ノァン様もずっとお待ちですよ? それに」
「そ、それに?」
「マキリ様が用意してくださった、山都(やまと)の花嫁衣装がとてもきらびやかで」

 ようやくスーリャの表情が、少し(やわ)らいだ。
 常に真顔のポーカーフェイス、そんな彼女の笑顔をワシリーサはよく知ってる。そして、ノァンにしか見せない表情の存在を察していた。
 自分がニカノールに対して、きっとそうだから。
 こうして、スーリャとノァンの結婚式が盛大に行われた。改めて皆の前で、二人は愛を誓い合って未来を共有した。
 (ちな)みにブーケトスというものをスーリャが全く知らなかったので……放られたブーケは空の彼方へ光と消えたのだった。

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