雲海の波間に今、
暗い夜の空に広がる、大自然の神秘だ。
少女は、その壮大さに圧倒され、見入っていた。
名は、ジルベルト・セルペッローニ。少年のように髪を短く切りそろえて尚、
彼女が息を飲んで、呼吸も忘れて、そして思った通りに呟いた。
呟いたつもりだった言葉が、不意に隣で零れ出た。
「凄いです! お空の下にカミナリが光ってるのです!」
酷くあどけない声だった。
それでジルベルトは、横へと首を巡らせる。
自分と同じポーズで、もう一人の少女が
ここは、闇夜を高速移動する空中都市……マギニア。今まさに、新天地を目指して嵐を超えている真っ最中である。その展望室で、ジルベルトは不思議な少女に出会った。
無邪気過ぎるその横顔に、小さく微笑みジルベルトは声をかけてみる。
「君も冒険者かい? あ、私はブリジ――ん、んっ! うん、ジルベルト。よろしくな」
胸に秘した名前を飲み込み、右手を差し出す。
ちょっと
少女はじっとジルベルトを見詰めて、その手を凝視して、そして握手を交わしてくれた。端正な美貌が真顔のままで、ブンブンと繋げた手を大きく上下に揺さぶる。
そう、とても美しい顔立ちの少女だった。
綺麗過ぎて、どこか不気味な違和感を感じるくらいである。
でも、自分と同世代の冒険者がいるとわかって、内心ジルベルトはホッとしていた。
「わたしはまひろです。よろしくなのです。まひろは、はいっ! 冒険者なのです!」
「そっか、歳は? 私は今年で17歳になる」

恐らくまひろは年上かなと思ったが、それも自信がない。
すらりと長身で、女性らしい起伏にはメリハリがあって優美ですらある。それなのに、まひろの言動はどうにもちぐはぐで、無垢な幼子のようにさえ思えるのだ。
まひろは少し考える仕草をしてから、握手の手を放しつつ答えてくれた。
「16歳です。16歳ってことになってるです」
「あ、うん……変なこと聞いてゴメン。そっか」
「そです。兄様が、聞かれたらそう言えって教えてくれたのです」
「兄様、かあ」
まひろには兄がいる。
そうと知ったら、とたんにジルベルトは親近感が湧いた。今までの違和感も、見るからに怪しい言動も急に警戒心を通り過ぎてゆく。
兄がいて訳ありなのは自分も同じだったから。
そして、再び窓へと額を擦り付けるまひろに倣って、ジルベルトも外へ目を細める。
分厚い雲の向こうが、わずかに紫色に輝いていた。
夜明けが近いと思った、その時だった。
「そこに誰かあるか? この時間は、展望室は閉鎖されている
よく通る女性の声に、ビクリ! とジルベルトは振り返る。
そこには、華美な鎧をドレスのように着こなした人影があった。ガシャリ、と鳴る金属の音すら、彼女を飾る音楽のように響く。
「ペルセフォネ王女殿下!」
「そうかしこまるな、ふむ……まあ、私が入り込めたのだ。冒険者が入ってくるのも道理である」
そう言って、麗人はクスリと笑った。
この人が空中都市マギニアを納める王家の長、ペルセフォネ王女だ。乗船の折に一度だけ、遠目に姿を見かけたことがあった。それをジルベルトは覚えていたのだ。
そのペルセフォネだが、わざわざ身を屈めて手を差し出してくる。
「さ、立ち
「へっ? いや、えと……まひろ? あれ、ついさっきまでここに」
気付けば、まひろは
幻想的な、まるで妖精のような乙女の姿がどこにもいない。まるで、最初からいなかったかのようでジルベルトは目を丸くしてしまった。
だが、そんな様子を見てペルセフォネは屈託なく笑う。
「ふふ、さては
「いや、そんな筈は……でも、自信、ないです。そういうのって、あるんでしょうか」
ペルセフォネの手を取って、ジルベルトは立ち上がった。
間近に姫君の気品と美貌を見上げて、自然と鼓動が高鳴る。
そして、消えてしまったまひろへの違和感の正体に気付いた。
「あ……そうか。綺麗過ぎるんだ。整い過ぎてて、逆にそれが」
「うん? なんの話かな、小さな王子様」
「い、いえっ!
「いい、気にするな。そら、見給え……朝日だ」
丁度、マギニアが雲の海原へと潜り始めた。
そして、雷鳴と豪雨の中、嵐を貫いて飛ぶ。
その先に、光指す大空が広がっていた。
あっという間に、巨大な空中都市は晴れ渡る大洋の上に降りていった。そして、その先に小さな島がある。それはみるみる大きくなって、眼下に緑を広げていった。
「到着したようだな。
――その土地の名は、レムリア。
絶海に浮かぶ神秘の孤島だ。
未知なるフロンティアは、嵐を超えたジルベルトたちを出迎えているかのようだった。
同時に、危険が満ちた大冒険へと誘ってくるように思える。
「このレムリアに眠りし秘宝の探索、それが君たちの使命だ。いいね?」
「は、はいっ!」
「そう緊張することはないよ。君みたいな子も乗り込んでると知れて、少し安心と、そう……期待が膨らむ」
聞けば、今回マギニアに乗り込んだ人種は様々だ。
一流の冒険者も少なくないが、地上を追われた犯罪者やゴロツキ、果ては一攫千金を求める
ペルセフォネは、そんな中でジルベルトに期待していると言ってくれたのだ。
そして、明るくなった展望室に厳つい声が響く。
「姫、どこにおわしますか! 姫殿下! おお、そちらでしたか!」
鎧を着込んだ屈強な騎士が現れた。
壮年の白髪頭には、大きな古傷が歴戦の勇士であることを物語っている。
どうやら、ペルセフォネの護衛を務める軍人のようだ。
「ミュラー、私はここだ。少し息抜きに、な。だが、もう時間か」
「ハッ! 冒険者たちは既に、都市階層の広場に集まっております」
「では、すぐに行こう。さ、君も街の広場に上がりなさい」
それだけ言って、最後にポンとジルベルトの頭を撫でると、ペルセフォネはミュラーと共に去っていった。
同時に背後からすぐ耳元へぼやくような声がささやかれる。
「いやあ、べっぴんさんだネェ。あれがここのお姫様かい」
「わわっ! びっくりした……師匠、気配を消して背後に立たないでくださいよ」
「いいから、いいから。いい加減に慣れなさいヨ。さ、広場に行くかい」
師匠と呼ばれたウロビトの男は、希薄な存在感を引きずるように歩き出す。その背を追えば、すぐにジルベルトは心身に緊張感が満ちてゆくのを感じた。
階段を上がって広場に出れば、冒険者たちの熱狂に自然と心がそよいでゆくのだった。