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 異臭、悪臭、激臭。
 ジルベルトは七色の目眩(めまい)に抗いながら走った。目がシパシパして、涙が止まらない。でも、現実にはガン泣きしている大きな幼女を連れての激走だった。
 やがて、迷宮を入り口の方に少し戻った地点に水場が見えてくる。
 小動物や鳥たちが逃げ惑う中、先に飛び込んだリベルタの背中を追った。

「まひろ! ほら、鎧も服もとりあえず脱いで! ああもう、泣かないで。ね?」

 なんだか、突然でっかい妹ができてしまったような雰囲気だ。
 そして、ふと思う……あにさま、故郷の兄も幼い自分をこういう風に世話してくれたことがあるだろうか。物心付いた頃から身体が弱くて、今も一日の大半をベッドの上で過ごしている兄。
 なんだか懐かしくなって、思わず涙がこぼれかけた。
 その郷愁(きょうしゅう)を振り払うように、まひろと一緒に泉へ飛び込む。
 そこでは既に、真紅の鎧を脱ぎ捨てたリベルタが浮いていた。

「あー、マジないわー……昔、叔母様(おばさま)が持ってきた南国のフルーツよりやべー臭いだわ」

 思わずジルベルトは、見えない疑問符を頭上に浮かべる。
 そこには、可憐な帝国騎士の姿はなかった。
 ぷかぷかと泉を漂うリベルタは、真顔を通り越してフラットな無表情に凍っていた。そして、やおら立ち上がるとワシワシと翡翠色の髪を指でかき乱す。

「もー、最悪じゃんかよー……あ」
「えと、うん。リベルタは平気?」

 ジルベルトが着衣を脱ぎつつ語りかけると、リベルタが固まった。
 そのまま彼女は瞬時に先程の笑顔を取り戻す。だが、はっきり違和感が伝わるくらいに微笑もどこか硬い。それでもリベルタは、自分の鎧からポーチを拾い上げた。

「お、おほほほ……ジルベルト様もお石鹸をお使いになられやがって?」
「あ、いや、その、リベルタ。む、無理しなくてもいいと思うんだけど」
「いやですわだぜ、無理なんて全然………………はぁ」

 諦めたかのように、リベルタは深い溜め息を零した。
 そして、ポーチから石鹸を取り出すと、わしわしと泡立て始めた。用意がいいなと思ったジルベルトだが、よく考えたら年頃の乙女は化粧品等の小物をある程度持ち歩いてるのが普通かもしれない。
 そう思っていると、リベルタが水色の石鹸を差し出してくる。

「ま、その、ちょっと、さ……あたしの家、わりと厳しいご家庭だったから」
「あ、ありがと。じゃあ」
「猫被ってたの。ていうか、癖になってるかも……ま、でもいいんだ。ここじゃ、あたしもしがない冒険者なんだしさ」
「うん、そだね。改めてよろしく、リベルタ。私のことはジルって呼んで」
「あたし、リベルタ。リベルタ・フォン・グリントハイム。よろしくね、ジル!」

 家名を聞いて、やっぱり貴族の騎士様だと思った。けど、別にジルベルトは詮索をしなかったし、リベルタも男装の件に探りを入れてはこなかった。
 二人で他愛もないことを話しながら、ようやく汚れと臭いに別れを告げる。
 リベルタが突然、絶句して震えながら取り乱したのは、そんな時だった。

「あっ……あぁん!? って、なっ、なな、な……なんじゃこらあああああ!」
「えっ? どうしたの、リベルタ。あっ、魔物? それともまだ、トラップかなにかが」

 キャラ崩壊も極まった様子のリベルタが指差す先へと、ジルベルトも振り返る。
 そこには、この世ならざる幻想的な光景が広がっていた。
 まひろだ。
 彼女は今、下着も全部脱いで真っ白な髪を手で()いている。その柔らかな曲線美は、同世代とは思えぬほどに女性特有の豊かに満ちて、ともすれば母性を感じるくらいに優美だった。
 それなのに、まひろの股間には本来ありえないものがぶら下がってる。
 そう、彼女は彼だったのだ。
 彼でもあった、と言うべきだろうか。

「ふー、ビックリしたです。……ほへ? たっ、大変です! リベルタが過呼吸にっ!」
「あ、待ってまひろ。それってまひろが原因だから」
「大丈夫ですか、リベルタッ!」
「……やめたげて、ちょっと落ち着こう、ね?」

 なんとかまひろをなだめつつ、そっとジルベルトは自分の胸に両手を当てる。落ち着きを取り戻したリベルタも、気付けば同じポーズだった。
 自然と、へらりとした笑みが交わされる。
 まひろのたわわな肢体の前では、二人はどんぐりの背比べだった。

「と、とにかく、すぐに師匠たちに合流しよう」
「だね。っと、まひろ、石鹸使う? あーもぉ、隠して! ぶらぶらさせんなって!」

 皆、抱えた事情や背負った背景を持っている。こういう時、無駄な詮索は控えるのが冒険者の習いだ。だが、良家のお嬢様という日常を飛び出したリベルタに親近感を覚える一方で、常識の埒外にある謎の少女まひろに胸がざわめく。
 ジルベルトはでも、奇縁も(えにし)と思って岸辺へと上がった。

「タオルの(たぐい)は、あっ! 師匠の荷物に入ってる。ま、そのうち追いついて――」

 ふと、誰かに呼ばれた気がした。
 言葉や声ではなかったが、わずかに空気が震えたのだ。
 剥き出しの肌が拾った、それは鼓膜でも感じぬ音だったのだろう。
 反射的に振り返ったジルベルトは、目の前の茂みへと一歩踏み出す。
 そして、始めて気付く……鬱蒼(うっそう)と茂る草木の中に、誰かが倒れていた。

「……待って、落ち着こう。落ち着くんだ、ジルベルト」

 下着だけでもとりあえず絞ってはいて、呼吸を落ち着かせる。
 そこには、死体と思しきものが横たわっていた。
 だが、妙だ。
 師の教えを思い出し、ジルベルトは洞察力をフル動員する。

「この(つた)や草、何百年ってレベルじゃないかな。でも、白骨化も腐敗もしていない」

 勿論、(くだん)の人物は血色が悪く、まるで象牙の人形のようだ。
 触れてみて、体温も低いことを確認する。
 それは、色素の薄い髪の青年だった。男だと思うが、ちょっと自信がない。女性的な顔立ちにも見えるし、端正で整っているのにまるで印象を与えてこない……無貌の表情である。
 さてどうしたものかと腕組み思案を始めた、その時だった。

「あちゃー、面倒なことになったネェ」


 不意に背後で声がして、思わずジルベルトは飛び退く。
 いつの間にか、ビルギッタを連れたカラブローネが立っていた。

「師匠、だから気配を消して背後に立たないでくださいよー」
「慣れなさいって。で、だ」

 幼少期からの先生は、小さく「ふむ」と唸ってポンと掌を打った。

「よし、埋めよう」
「師匠っ! だ、駄目ですって、それに妙じゃないですか。この、死体? 明らかに」
「そう、明らかにおかしい。異常だヨォ。……面倒事になるぜ? ジルよう」
「……それでも、見捨てるのはちょっと。埋葬だって、もっと手順があるだろうし、それに」
「それに?」
「人の死って、もう少し(おごそ)かだったらいいなって。例え冒険者でも、可能な限りは」

 やれやれと肩を竦めたカラブローネの苦笑が、なんだかとても優しかった。それで彼は、参った降参とばかりに手を上げる。
 早速ジルベルトは、上がってきたまひろやリベルタと急いで着替え始めた。
 突然の殺意が一同を襲ったのは、まさにそんな時だった。

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