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 その小迷宮の名は『桜花天空楼(オウカテンクウロウ)』……珍しく、外の世界に類似のないダンジョンとのことだった。
 だが、ヒロにとってはいつでも緊張と自制の連続であることに変わりはない。
 なによりも今は、普段と違って夜の(とばり)が闇を広げている。

「視界はきかないのに、周囲の圧が凄い。夜は魔物の時間なんだ」

 ひとりごちて銃の安全装置を解除する。
 同時に、ヴァインの打ち上げた照明弾が周囲を眩しく照らした。小さな太陽が燐光を放ちながらゆっくりと落ちてくる。そのわずかな時間で、ヒロはなんとか魔物たちの位置を確認し、仲間たちとの距離も把握する。
 特に、ウカノの気配に注意を払う。
 そうこうしていると、アルサスの号令と共に戦闘が始まった。
 あっという間にウカノは、徒手空拳で敵陣に飛び込んでゆく。
 その背を襲う敵をヒロは丁寧に撃ち抜いていった。

「おっ、やるようになったじゃねえか、ヒロ」

 再び周囲が暗くなると同時に、ヴァインが弾薬を再装填して笑いかけてくる。ヒロには必死の大冒険、決死の激戦だったが……名うての傭兵家業にはまだ余裕があった。
 そして、彼は突然ヒロへと銃を向けてくる。

「まあ、ちと詰めが甘かったな」

 発砲音に思わず目を閉じ、そして一瞬の静寂。
 痛みもなく、背後でドサリと音がして思わずヒロは振り返った。
 そこには、巨大な()の魔物が藻掻きながら体液にまみれていた。援護に徹するあまり、どうやら自分に脅威が迫っていたことに気付けなかったらしい。
 まだまだだと苦笑しつつ、あとから込み上げる恐怖に身震いする。

「す、すみません、ヴァインさん」
「なーに、筋は悪くねえからよ。お前さんにはもっと伸びしろがある。いい冒険者になれるんじゃねえか?」
「ヴァインさんみたいな達人に言われると、本気にしちゃいますよ? オレ」
「まあ、俺はしがない傭兵家業だからな。一兵卒としては、迷宮ではお互い様って感じだな。どれ」

 ヴァインは周囲を見渡し、安全を確認して素材の回収を始めた。夜目がきくらしく、魔物の死骸を集めて使える部位をざっくり雑にナイフで切り出す。
 必要ないかもしれなかったが、ヒロはその背を守って銃を構える。
 セレマンやアルサスと共に、突出していたウカノが戻ってくるなり身を乗り出してきた。

「ヒロ! 怪我はないですか?」
「ん、ありがとうウカノ。そっちも大丈夫みたいだね。よかった」
「セレマンさんも一緒でしたから。それより、カリスさんなんですが」

 敵の不意打ちを警戒していたロブが、ぴくりと耳を立てて振り向いた。
 そんな彼にも聞こえるように、ウカノがひくひくと鼻を鳴らして話し出す。

「ちょっと奥の方から、カリスさんの匂いがします。使ってる香水の匂いが微かに」
「はぁ? カリスが香水だあ? そりゃ、イクサビトの鼻を疑う訳じゃないけどよ。カリスが香水……ありえない」

 ロブが失笑に肩を竦めた。
 瞬間、ウカノの眼差しが厳しい目つきになる。
 ああっ、ウカノちゃんの目が鋭く! ヒロは知っていた。かわいい妹分がごく(まれ)に見せる、ほのかな不機嫌のサインである。

「カリスさんだって女の子ですよ? 身だしなみくらい。っていうか、最近はちゃんとお化粧も頑張ってましたし」
「え、あいつが化粧なんかするのか?」
「女子のたしなみです。すっぴんで出歩いてる年頃の女性なんて、ほとんどいないですよ」
「マジかよ……あのカリスが」

 ロブが驚きに舌を巻くと、ウカノもまた普段の笑顔に戻った。
 そしてなぜかドヤ顔で「私は常にすっぴんですが」と胸を張るセレマンを見て、ヒロも苦笑いがこぼれる。この人間離れしたメイドの不可思議な美貌を前にしては、常識は不要である。
 そうこうしていると、あらかた素材を撮り終えたヴァインが立ち上がる。

「さて、その先か……行ってみっかね」

 ヴァインが先頭に立って歩き出した。
 打合せ通り、ヒロはウカノをメインに仲間たちの背中をフォローする。セレマンに加えてロブがいるので、暗がりの中でも奇襲を受けることはなさそうだ。
 それに、だんだんと目が闇になれてくると、迷宮の雰囲気がつかめてくる。
 先日ジルベルトたちが攻略した『桜ノ立橋(サクラノタテハシ)』に非常によくにている。
 これで魔物さえいなければ、絶好の夜桜スポットだと思えた。

「そういえば昔、ウカノを連れて夜桜を見て回ったっけ」


 なにかと部屋に閉じこもり気味だったが、夜の街は嫌いじゃない。ヒロの育った都会では、夜は世界そのものが変わって見えた。
 ギラついたネオンの光や、ゲームセンターの歓声。
 夜空の月は太陽よりも柔らかくて、桜の季節には様々な場所へとウカノと散歩をしたものだ。そんな懐かしい過去を思い出していたら、ふとヒロの見やる先で影が動いた。
 とっさに立ち止まったヴァインが、手で一同を制しつつ銃を構える。
 だが、向こうもこちらを見つけたようで、無防備に近寄ってくる。

「あれ? ターヴュランスとストラトスフィアの皆さん! どうしたんデスか?」

 カリスだ。
 拍子抜けするほどあっさりと、彼女の姿を発見できた。小迷宮とはいえ複雑に入り組んでいて、動く浮遊床を細かく制御しての探索行だった。その(なか)ばで、ついにヒロたちはカリスに追いついたのだった。
 ついつい、彼女からただよう夜の空気にヒロは鼻孔(びこう)を働かせる。
 だが、ウカノがいうような香水の香りは感じられない。
 派手に鼻につくような使い方をしていないのかもしれない。

「カリス! お前、一人でなにやってんだ! ……どれだけ心配したと思ってんだよ」
「ロブ……ごめんなさい。でも、でもでもっ」
「もうお前は立派な冒険者、一人前の相棒だろ? なにもこんな無茶をする必用は」
「……でも、このあいだ……ロブ、言ったデス。男らしくなった、って」

 また一瞬、ウカノがクワッ! と目元を厳しくしかけたが、そっとヒロはその肩に手を置く。対照的にセレマンは、いつものクールな無表情をフラットに凍らせていた。ヒロのいた世界でいう、チベットスナギツネのような顔になっている。
 女性陣があきれ果てるくらいに、ロブの言動は不用意だったようだ。
 オレも気をつけようと、ヒロは小さく胸の内に呟く。

「この小迷宮に、美しく魅惑的な女性の魔物が出ると聞いたデス! ……女らしさというものを身につけないと、ロブに……その」
「あーもぉ、頼れるって意味で言ったんだ! お、男らしいはちょっと、まあ、言葉があれだったな。……か、かか、かわいいよ、カリスは。だから、心配させんなって」

 どうやら一件落着のようで、アルサスだけが笑顔で胸を撫でおろしている。ウカノやセレマンも、ようやく普段の表情に戻ってくれた。
 そして、ロブとカリスは嬉し恥ずかしといった様子で、どちらからともなく手を繋いで去ってゆく。最後に振り返ってお礼を述べる姿は、以前より少しだけ甘い雰囲気だった。
 ヒロもホッとしていると、突然ガシリ! とヴァインが肩を組んできた。

「よーし、謎の美人さんとやらに会いに行こうじゃねえか。……こいつは見ものだぜ」
「そんな、ヴァインさん。だらしない顔になってますよ?」
「いいじゃねえか、社会勉強ってやつだよ。な、アルサスもよ!」

 戸惑うアルサスの肩も引き寄せて、ヴァインは嬉しそうにニヤニヤ笑っていた。
 この決断がまさか、ヒロにとって忘れ得ぬ大冒険に繋がるとは、この時は思いもよらないのだった。

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