破竹の勢いで迷宮を攻略してゆく『タービュランス』と『ストラトスフィア』……しかし、その冒険が足踏みにいたる事態が発生した。
マギニアの王女、ペルセフォネが病に倒れた。
海の一族の冒険女王エンリーカとの会談も一時棚上げ、というか
激戦が続いた中での、停滞のひととき……だが、それはそれで素材集めや鍛錬に時間を費やし、休める時に休むのが冒険者というものだった。
「でさー、涼しい風が気持ちよくて休憩してたら寝ちゃって。起きたら、
「ひああ、やめてぇ……虫の話はやめて、それ本当に怖いから」
「わはは、ジルにも苦手なもんがあるんだねえ。うんうんかわいいかわいい」
今夜はみんなでパジャマパーティ、男子禁制の花園に話題が咲き誇る。トークのお題は『迷宮の怖い話』だった。なお、テーブルの中央にはセレマンが無駄に豪勢に作ったアフタヌーンティーならぬ、ミッドナイトティーが鎮座している。ケーキにマフィン、サンドイッチ、そしてなぜかもつ煮込み。
ちょっと年頃の少女たちにはカロリー過多な気もするが、ネカネの淹れてくれるお茶はとても
ジルベルトは、背筋を這いのぼる虫の気配にブルリと震えて、紅茶の香りでそれを追い払う。
「私はそうだなあ。なんでもない壁から……手だけが突き出てて」
「隠し通路じゃなかったんですか?」
「それがね、ウカノ。地図を見てもそこには通り道がないんだ。……でも、手が」
「ひっ! そ、それって」
「うん、近付いて確認したら……壁の
ジルベルトはでも、その時の衝撃を今でもはっきりと覚えている。
なにもない壁から伸びる、
そうこうしていると、リベルタがお茶をおかわりしつつ次へと話を振った。
「じゃあさ、ユーティスは? なんか怖い話、あんじゃん?」
「私ですか」
真夜中の女子会に、全く違和感なく溶け込んでいるユーティスがいた。この謎の青年は人間ではないらしく、人畜無害なジルベルトの弟みたいなものとして扱われていた。
そのユーティスだが、周囲に合わせてやや体格が小さく細く変化している。
そういう不可解なことも含めて、すでに彼は仲間たちにほどよく
「あまり細かな記憶がないのですが……そうですね。一番恐ろしかったのは、
「うわ、えぐっ! それ、どうやって生き残ったの……いや、いい! 話さなくていい! ちょっとやべーじゃんね!」
「リベルタ、人類というものは強い生物です。いざとなれば人間たちは蛇でも
「いやだから、言わなくていいつーの!」
ジルベルトには少しピンとこないが、騎士学校で戦術論なども学んでいるリベルタには卒倒ものの恐怖体験らしい。
こんな静かで穏やかな夜は久しぶりだ。
ここ最近は忙しかったから、夜更かしなんて贅沢である。
ジルベルトも多少は心得があったし、リベルタなど砕けた口調と態度ながらアフタヌーンティのマナーは完璧である。まひろだけがあぐあぐとサンドイッチを頬張っていた。
「わたしはやっぱり、この間の大いなる背甲獣ですね。あの時はもう、必死で」
ウカノはパジャマの上から胸を押さえる。
その奥に、小さく赤いペンダントが輝いていた。ヒロが拾ったなんでもない貴石の
そしてまだこの時、この場の誰もがその真の価値を理解していなかった。

「んでー? ネカネママは?」
「んー、怖い思い……ああ、うん。……リス」
「リス? なにそれ」
「迷宮で最も恐ろしい動物だよ? 見つけたら速攻で逃げるか倒す」
「えー、なにそれ。ネカネママはリスが怖いんだ。なんか意外っていうか、かわいいじゃん」
「……リベルタにもいつかわかるよ。奴らは、悪魔か邪鬼か、その両方かだから」
ちょっと意味がわからないが、ジルベルトはとりあえずリスには注意しようと思った。
そして、最後にまひろに話題を振る。
だが、マフィンに手を付け始めたまひろは、不思議な顔で小首を傾げるのだった。
「ほへ? 怖い話、ですか? ……怖いって、なんですか?」
ああそうだったと、ジルベルトは思い出す。まひろは人造英雄、生まれてまだ数年のむちぷり幼女なのだった。当然のように、使い潰して使い捨てるために恐怖心を元から取り除かれている。
それでも彼女は、食べる手を止めると腕組みウーンと唸り出した。
「怖いはわからないです。でも、兄様を追いかけてくる人は怖いなのかもしれないのです!」
「あー、いわゆる各国の追っ手かー」
「でも、兄様との旅は楽しかったです。今はマギニアで、もっと、もーっと! 楽しいのです!」
多分ジルベルトもそうだし、みんな同じだったら嬉しいかもしれない。
このマギニアでの日々は、毎日が忙しくて冒険も危険で、同じ分だけ喜びに満ち溢れている。友と触れ合い仲間になれば、どんな迷宮も怖くはなかった。
恐ろしいという気持ちは常にあるが、正しく恐れれば注意力が研ぎ澄まされる。
適度な緊張感で進む先には、常に未知と神秘が満ち溢れていた。
「あー、なんかそういえば……怖いとはちょっと違うんだけどさ」
不意にリベルタが、とある男の名を出す。
それは幾度か出会って、ジルベルトも特別な違和感を感じていた人物だった。
「あの、ブロートって奴、いるじゃん? ……なんかさ、イケメンなんだけど、不気味? っていうか、うーん、言語化しにくいというか」
「ああ、あの人もレムリアの秘宝を追ってるんだよね」
「冒険者ってさ、オリバーさんやマルコさんみたいな、一種の探求心や好奇心を隠せない人種じゃん? ブロートって人、妙に落ち着き過ぎてるというか」
ネカネが神妙な面持ちで頷いた。
エトリアの冒険者一家に生まれ育った彼女の言葉は、ジルベルトも第一印象で感じたものと同じだった。
「あの人の落ち着きは……
「それだーっ! なんか、達観してるようで、その実なにも悟ってないっていうか」
「とにかく、少し注意した方がいいとは思う。それと、まひろ」
ぺいっ、とネカネがまひろの頭をなでるように叩いた。
「食べ過ぎ。みんなの分がなくなっちゃう」
「はわわ、ごめんなさいです! 美味しくてつい」
「お茶も飲みなね? ミルクと砂糖いれたげるから」
やっぱりママだな、ママみを感じる……その場の誰もがそう思ったようだが、ジルベルトは敢えて口には出さずに紅茶を楽しむ。
その夜はゆっくり、静かに少女たちに憩いのひとときをもたらし更けてゆくのだった。