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 潮の流れが落ち着いて『海嶺ノ水林(カイレイノスイリン)』は別の顔を見せ始めていた。
 そして、いよいよ最終フロアの地図も埋まってゆく。不自然な空白地帯はあれども、今までは手の届かなかった宝箱にも調査が進んでいた。
 カラブローネは、今まで渦巻く海流の奥に揺れていたその箱を開封する。
 背を守ってくれてるのはヴァインで、他のメンバーも散って探索効率を上げる選択をした。危険はあれども、今日のメンバーはエイダードにザッシュ、そして例の姫巫女様だ。
 シェイレーヌはザッシュが監視も兼ねて護衛しているので大丈夫だろう。
 エイダードは言わずもがな、である。

「っと、巻物だねえ。こりゃ……例の報告に会った皆伝(かいでん)ノ書ってやつみたいだヨ」

 振り向けばヴァインが、特に興味もなさそうに「へえ」と銃を構えたまま微動だにしない。戦力の分散は凄腕の傭兵を過敏に尖らせていた。頼もしい反面、やはりどこかこの青年の影が灰色に思えて切ない。
 カラブローネも、戦争で変わってしまった人間や同族の者を知っている。
 無数の地獄をくぐり抜ける中で、今のヴァインが完成してしまったのだろう。

「まあ、いいけどねえ? ふむふむ、こりゃ冒険者ギルドに持ち込むとして、だ。ヴァイン、お前さんはガンナー以外になにかなりたい職業はあるかい?」

 カラブローネの言葉に、ヴァインは一瞬考え込むように上を向いて、そして再び周囲を警戒しながら呟いた。

「……パン屋」
「パン屋だあ? おいおいお前さん、大丈夫かい? 悪いもんでも食べたかねえ」
「や、まひろがパンが好きなんで……カタギの暮しも最近悪くないなと思って」
「ははーん、ヴァイン。お前さん、まだ傭兵気取りでいるのかい? 救えないねえ」


 皆伝ノ書を大事に荷物にしまって、カラブローネは手を伸ばす。不意を突かれたからか、ヴァインは驚いた様子で襟首を掴まれた。
 驚きにを目を丸めるヴァインの、その虚ろな瞳の奥を睨んで、そして言葉を選ぶ。
 ここ最近はあのデコボコ兄妹(きょうだい)もいい兆候が見えている。だから、今ならはっきり言ってやってもいいだろうと思った。カラブローネは自分らしからぬおせっかいに苦笑を噛み潰す。

「バニシング・トルーパーってな、そんなにいい暮しかい? その血まみれの手で、それでもまひろちゃんを育てると決めたのがお前さんだ。違うかい?」
「え、ええ、まあ……でも、俺には人を殺すことしかできない」
「それとねえ、冒険者ってだけで立派なカタギよん? そりゃ、(すね)に傷持つ無頼漢(ぶらいかん)ばかりのギルドもあるけどねえ。過去は問わない、未知と神秘に挑む人間の最前線、それが冒険者ってもんさあ」

 手を離して、ぽかんとしたヴァインの肩をポンと叩く。

「しっかりお兄ちゃんやんなよぉ? パンぐらい、ちょっと調べりゃ誰でも焼ける。お前さんはヒロに銃も教えたし、パーティでは欠かせぬ戦力で、お仲間じゃないのヨ。ん?」
「仲間……ああ、そうか。そうだった、ですよね。……すんません」
「さてと、らしくない説教をしちまったが合流しようかね? っと、噂をすればだネ」

 通路の向こうから、ザッシュを連れてシェイレーヌがやってくる。
 そのジト目が得意気に笑っていた。そして、どうやら彼女の護衛でヘトヘトのようで、ザッシュは珍しく疲れてみえた。凄腕の情報屋、ベテランの死神でも姫巫女様には手を焼かされたらしい。
 シェイレーヌはフフンと鼻を鳴らして、いくばくかの書物を差し出してきた。

(わらわ)たちの方で回収できた文献はこれぞ! 恐らく、これで全部じゃろうて」
「はいはい、お疲れさん。ちょっと見てもいいかナ?」
「もちろんじゃ! 最終的には全部エンリーカに提出するが、閲覧は許されようぞ!」
「……で、姫巫女ちゃんはなにしてんのかな?」

 シェイレーヌはなぜか、珍妙なポーズですまし顔だ。
 どうやらあれは、彼女自身が美しいと感じるポージングらしい。

「なんじゃ、今日は絵を描かんのかや?」
「描かないよん? つか、どれどれ……ふむ、これくらいなら丸暗記もアリじゃないかなあ」
「……描かんのかや……しょぼん」

 ザッシュが顔を背けつつ、肩を震わせている。
 ヴァインも以前なら信じられないような笑顔を見せた。
 シェイレーヌはもうすでに、二つのギルドに完全に打ち解けてしまっていた。
 ドロテアに頼んでいた監視の方の話は、もういいかなと思いつつ……カラブローネは新たに入手した文献に目を細める。

「ふむ、古代レムリア文明の秘密を守るもの、それが東西南北の霊堂(れいどう)ねえ。その中心に……世界樹だあ? おいおい、この土地にもあるのかい、世界樹が」

 ――世界樹。
 それは常に先をゆく冒険者たちの、目指す果てである。世界に七本のみ存在し、その中に世界樹の迷宮と呼ばれる不思議なダンジョンを内包している。その最奥には世界の秘密、失われた文明、太古の秘宝が眠ると言われている。
 冒険者を魅了してやまない好奇心と探求心の根源、それが世界樹だ。
 カラブローネは自然と、例の繁栄をもたらすレムリアの秘宝とやらを思い出した。世界樹を中心に栄えた文明ならば、そこに秘宝があるのは道理である。

「で、こっちは海の一族のお話ね。……ははーん、どうりで連中はやっきになるわけだねえ。繋がったヨ」

 もう片方の文献には、海の一族と古代レムリア文明の因縁が描かれていた。どうやら大昔、海の一族の始祖たちはレムリアに襲われたらしい。そしてここにもまた、例の繁栄をもたらす秘宝の描写がある。
 果たしてそれは、至高の財宝か、それとも破滅の呪物か。
 一抹の不安が脳裏をよぎる中、カラブローネはシェイレーヌに文献を全て手渡す。

「も、もういいのかや?」
「まあ、あとは進むだけだからねえ。この迷宮の先に恐らく、また霊堂があると思うしサ」
「ならば気を引き締めるがよいぞ。確か、妾の住んでいたアーモロードのこの迷宮には――」

 シェイレーヌが言いかけた言葉に、ぼんやりとした声がかぶさった。
 戻ってきたエイダードは普段通りの呑気な雰囲気だが、その目だけが異常事態を訴えかけてくる。この男は寡黙で情に厚いが常在戦場(じょうざいせんじょう)のハイランダーだ。そんな彼の瞳が、戦いの予感に燃えていた。

「まずいことになった、カラブローネ。地図のここ、この大部屋の前で……とても恐ろしい気配を感じた。かなりの大物が最後の部屋を守ってる」

 すぐにザッシュが広げた地図を覗き込んで、その一点を指さす。カラブローネも首を巡らせれば、そこはかつて海流が激しく逆巻いて交通を妨害していた通路の奥だった。
 そこだけが空白地帯で、それ以外は全て行き止まりだ。

「なるほど、ここにこの迷宮の主が陣取ってるわけだねえ」
「全員で挑むにしても、少し準備が心もとない。今日は調査が目的だったからな」

 エイダードの冷静さが語る通りだった。
 無事に文献は全て回収できたようだし、深まりながらも謎が輪郭をかたどり始めた。古代レムリア文明は、謎の秘宝という諸刃(もろは)の剣を手に、世界樹に守られ繁栄した超巨大国家だったようである。

「よし、戻ろうかねえ。ヴァイン、糸出してちょーだい。まずはミュラーに報告だヨ」

 即断即決だった。
 カラブローネは長年の経験で、こうした迷宮には(ぬし)とでもいうべき強力な魔物が巣食っていることが多い。万全の用意がなくば、死は免れない。用意周到に万全を期してさえ、勝利は難しいというのが常だった。
 パーティのリーダーとして、カラブローネは躊躇(ちゅうちょ)なく撤退を選択したのだった。

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