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 完全に打ち解けて意気投合したトゥリフィリとサキは、あっという間に都庁の上層部へと進んでいた。リタイアした組を追い越し、時に手間取る組を助けつつ、進む。
 耳元でインカムがノイズと共に喋り出したのは、そんな時だった。

「あれ? なんだろ……随分ノイズが交じるな。もしもーし? こちらトゥリフィリです、けど」
『あー、あー、聴こえt――るね? オッホン、本日は晴天n――ん? 感度が悪いねえ』
「なんだろ、電波障害っぽいけど。あのー」
『――の名は、そうだねえ。カジカって呼んでもらえるかなあ? おじさんたちは――ラクモ機関の、オペレーター部門、みたいな――』

 脚を止めたサキは、ポケットからインカムを取り出した。
 どうやら装着していなかったらしい。そして、片耳に手を当てているトゥリフィリを見て「ああ、なるほど」と、黒い髪をかきあげる。どうやら耳に装着するものだと、今になってわかったらしい。
 苦笑しつつトゥリフィリは、途切れがちな声へと耳を澄ました。
 カジカと名乗ったオペレーターの男性は、歳は四十代くらいだろうか? どこか飄々(ひょうひょう)として緊張感に欠く声で、不思議と雑音混じりでもトゥリフィリを安心させてくる。話し方は早すぎず、遅すぎず、のんびりしてるように聴こえて、要点だけが整理された言葉だった。

『今すぐ戻っ――試験は、中止――ないから、危ないからね。すぐに――』
「えっ? 中止? 選抜試験がですか?」

 その時だった。
 不意に建物全体がビリビリと震える。
 そして、天井をサキが(にら)むと同時に、トゥリフィリの全身が自由を失った。
 響いた音、それは咆哮だ。
 今まで相手にしてきたマモノとは別物の殺気が感じられた。そして、建物全体を揺るがす絶叫に身体が竦む。まるで、遺伝子レベルでトゥリフィリの肉体が恐怖しているかのような錯覚。
 苦心してインカムを装着しようとしていたサキは、その努力をやめてしまった。
 短い沈黙のあとで、トゥリフィリがどうにか声を絞り出す。
 自分の声とは思えぬくらいに、発した言葉は掠れていた。

「あ、あの、カジカさん……いっ、いい、今のは?」
『原因は不明、だねえ。ただ――みたいだ、あれは――ナツメ総長も、撤退命令を――』
「もしもし! えっと……とりあえず、戻るんですよね? いいんですよね?」

 その時だった、サキがぐいと顔を近付けてくる。
 鼻と鼻とが振れそうな距離で、彼女はトゥリフィリのインカムへと落ち着いた声を響かせる。吐息が肌をくすぐる密着の中で、ドキリとしてトゥリフィリは動揺を忘れてしまった。

「キリコです。もしもし? この気配、ただならぬ敵意を感じます。先行している組が危険では? 特に不都合がなければ、私は最上階まで(おもむ)き、現状の確認と先行組の救出を行いたいのですが」
『――ああ、それね、それ。んー、でも――キリコちゃんになにかあると、羽々宮(はばみや)のこわーいオバサンに怒られちゃうん――え? あ、はいはい。えっと――メ総長の許可は出たけど』

 慌ててトゥリフィリも、徐々に弱まり消え行く通信へと喋る。

「ぼくも行きます、サキさんを、じゃない! えっと、キリコさんを援護します、から。二人なら安全も二倍だし、なにかあったら逃げます。だから」
『ほいほい、んじゃまあ……悪いけど頼め――でも、危なくなったらすぐに――いいね? 一応、こっちでも保険をかけて今――特殊な機材というか、まあ――スーパーロボッ――』

 最後にはもう、インカムはなにも言わず砂嵐の音を響かせるだけだった。
 その時には既に、間近に迫っていたサキの美貌は離れている。彼女は先程より何倍も鋭い気配に身構えて、天井の向こう側を再度見上げた。
 ピリピリとした緊張感の中で、トゥリフィリも確かに感じた。
 先ほどとは全てが変わってしまった。
 なにかが、起きた。
 そして、異変の根源に強い敵意と害意が密集している。

「では、あの、トゥリフィリさん。……ご一緒していただけるんですか? 本当に」
「あ、うん。サキさんだけに危ない橋は渡らせられないよ。ほら、チームワークだよっ、チームワーク。ねっ?」
「はい! 嬉しいです、こんな穏やかな気持ちで戦えるなんて。仲間とはいいものですね」
「はは、大げさだなあサキさんは」
「いいえ、決して誇張した表現ではありません。では、行きましょう! 身体が軽い……いつもより私、ずっと力を出せています」

 すぐに二人は走り出した。
 既にエレベーターは止まっており、ランプに明かりは消えている。
 階段へと回り込み、残りの階層を全て一息に駆け上がる。
 鍛え抜かれたトゥリフィリでさえ、徐々に筋肉に乳酸が蓄積してゆくのが感じられた。日頃からロードワーク等を欠かさず、ダイエットを兼ねた適度な運動を重ねてきた。贅肉(ぜいにく)の全くない身体は、華奢な細身の中に瞬発力と持久力とを閉じ込めてきた。
 それでも、確実に疲労が蓄積し始めている。
 そして、先を走るサキにそれが全く感じられない。

「トゥリフィリさん、最上階です! 屋上は……あの扉ですね!」
「気をつけて、サキさん! なんか、さっきより嫌な気配が強いんだ」

 チン! と鍔鳴りの音が小さく響いた。
 サキが左手で腰に構える剣は、抜かれたのが見えなかった。
 だが、行く手を遮る合金製の扉に光の筋が入り、サキはそのままドアを蹴破る。一緒になって飛び出したトゥリフィリは、異様な光景に絶句した。
 そこは既に異界……そして、大惨事だ。
 血の臭いが立ち込める中で、空を覆う無数の鳴き声と羽撃(はばた)き。
 辛うじて絞り出した声が上ずり、理性が現実を拒否しようとしてくる。
 そして、トゥリフィリは初めて見た。
 サキが緊張に顔を強張らせている。
 彼女の形良いおとがいから、玉の汗が滴っていた。

「これは……サキさん! なにこれ、酷い……なにがあったの!?」
「落ち着いてください、トゥリフィリさん。これはもしや――」
「あ、待って! あそこに生きてる人が! ――ッ、危ないっ!」

 屋上には無数の死体が散らかっていた。
 そして……それを見下ろす空の闇に、月はない。月の光を遮るのは、巨大な翼の影だ。数千とも数万とも数え切れぬ、異形の翼が夜空を覆っていた。
 屋上にもそこかしこで、巨大なマモノが死体を貪っている。
 生き残りは二人だけで、その片方も負傷していた。それを見た瞬間にはもう、トゥリフィリは飛び出していた。怯えて(すく)む自分の身体は、同じ試験を受けていた少年少女を見て、自由を取り戻す。
 即座に抜き放った銃が鉄火を歌って、弾丸が敵意に吸い込まれる。
 トゥリフィリの攻撃に振り向く、その姿は――

「竜? ドラゴン、なの? そんな……ありえないよ、こんなの!」

 伝説や神話が物語る、圧倒的な破壊の権化(ごんげ)
 悪魔の化身として歌われる、絶対的な強者。
 その名は、竜……ドラゴン。
 翼を広げて尾を(ひるがえ)し、トゥリフィリに振り向いた生物は……正しくドラゴンとしか形容できぬバケモノだった。その前で最後の生存者たちが声をあげる。

「あ、ああ……え、お、くっ! おいアンタ! この()を頼む、俺を――こ、こんな時こそ冷静だ、平常心っ! ええ、私を(かば)って彼女は負傷したんです。手を貸してください」
「あは、キャラ崩壊してるよ、君……ふふ、痛いなあ。でも、助けた甲斐があった、かも? この傷の痛みは……君よりずっと、痛い、から」

 ひょろりとした優男(やさおとこ)の手の中で、ゴスロリにツインテールの少女が血に濡れている。その出血量が足元に赤く広がっていた。
 迷わずトゥリフィリはドラゴンを牽制しつつ、二人の脱出を(うなが)す。
 ガクガクに震えながらも、少女を抱えて優男が走り出した。
 次の瞬間には、吠え(すさ)ぶドラゴンがトゥリフィリを襲う。
 咄嗟(とっさ)にジャンプしたトゥリフィリの足元で、コンクリートがクレーターを穿(うが)たれ瓦礫(がれき)を巻き上げた。圧倒的な力の前に、必至でトゥリフィリは銃爪(ひきがね)を引く。
 ドラゴンの鱗と甲殻は、無情にも銃弾の反射を歌うだけだった。

「くっ、弾が通らない!? 圧力負けしてる! もっと口径の大きな銃が――危ない!」

 必至の抵抗をあざ笑うように、逃げてくる二人の背後でドラゴンが牙を向く。
 なにも考えずに飛び出したトゥリフィリは、その時に見た。
 自分を庇って前に出た、黒髪の少女を。
 剣気一閃(けんきいっせん)、竜の前身に無数の光が走る。
 そして、絶叫とともに血を吹き出して、凶悪なドラゴンはその場に沈んだ。
 刃を、ヒュン! と振って血糊(ちのり)を落とし、サキが振り返る。

「トゥリフィリさん、大丈夫ですか? その方たちをお願いします!」
「ナイスだよ、サキさん! ありがとっ!」
「……トゥリフィリさんが飛び出さなかったら、私……(すく)んで動けませんでした」

 そう言ってサキは小さく笑った。
 この人でもそういうことがあるのかと、トゥリフィリは驚く。そして、無理に笑ってサキに頷いた。

「よし、そこの二人! こっちに!」
「あ、ああ! ありがとうございます。フッ、私の名はノリト、って、おわあああ!? しっ、死ぬううううう!? なんじゃこらああああああ!」
「あは、やば……なんか、意識が……わたし、死ぬのかなあ」

 ノリトと名乗った優男の腕の中で、少女は目を閉じた。
 そして、脱出を援護するトゥリフィリが突然の風圧に引剥される。吹き飛ばされながらもコンクリートの地面を這い上がって、突然の激震に彼女はなんとか立ち上がった。
 そして、目の前の光景に絶句する。
 そこには、一際巨大な赤いドラゴンがそびえていた。
 ついさっきまで、その場所に立っていたサキの背中が見当たらない。
 燃え盛る恒星(クエーサー)のようなドラゴンの赤い目が、鋭い眼光でトゥリフィリを縛り上げた。
 そして、鋭い牙が並ぶ口から、なにかがぶら下がっている。
 それを見た瞬間、ようやく合流できたノリトたちと一緒にトゥリフィリは絶叫した。
 言葉にならない叫びが、恐怖に怯えるままに吐き出される。
 突然現れた巨大な赤いドラゴンの口に……セーラ服姿のサキが、その首から下が揺れていた。それ以外、なにも知覚できずにトゥリフィリはその場に固まってしまったのだった。

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