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 マモノの群に満ちて、ドラゴンが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する新宿都庁舎……そこは(すで)に異界、そして迷宮(ダンジョン)だった。シイナやノリトのサポートもあって、トゥリフィリはゆっくりとだが前に進む。
 慎重に進むトゥリフィリの道は、常にナガミツが切り開いてくれた。
 自分を(かえりみ)ぬかのような戦いは、トゥリフィリの胸に奇妙な疼痛(とうつう)をもたらす。
 機械である自分を理解し、機械だからこそできる捨て身に近い戦い。そうしてトゥリフィリとカジカのリスクを自分に集めるナガミツは、疲れを知らず傷つく自分にも無関心に見えた。

「ねね、ナガミツちゃん。ちょっとペース、落とそ? 疲れたでしょ」
「問題ない。俺の全機能は十全に発揮されている。……次はこっちだ。未確認の区画がある。要救助者だって」
「……もしかして、少し焦ってる?」
「そういう感情はない、が……どちらかといえば肯定だ」

 意外と素直な返事に驚けば、ナガミツは進む先で振り返る。
 相変わらず端正な無表情は、にこりともせずじっとトゥリフィリを見詰めてくる。彼女の背後ではカジカが疲れも(あらわ)だった。

「若いっていいねえ……ごめん、ちょーっとペース落としてくれるかなあ? おじさんもぉ、疲れちゃって。はは、ずっと座っての仕事ばっかりだったからねえ」
「いい? ナガミツちゃん」
「肯定だ」

 この短い期間で、それなりにトゥリフィリはわかったことがある。
 まず、ナガミツが無感情なマシーンではないということ。
 非常に不器用で表現が稚拙(ちせつ)だが、ナガミツはちゃんと感情があって、時々それを表に出している。ただの機械ではなく、人の隣に寄り添うべき存在……共に歩くモノとして造られたから、当然だ。
 非常にわかりにくいが、ナガミツもなにかを思い、なにかを感じている。
 それを他者へ伝えることが下手で、そのことに不満を持ってはくれないが。

「ナガミツちゃん、少し休んで」
「了解。……だが、班長」
「んー?」
「少し気配が……やべぇのが、いる気がする」
「やべーの?」
「ああ」

 ナガミツは鋭い視線を闇の向こうへと投じる。
 一騎当千の斬竜刀(ざんりゅうとう)は、兵器としても洗練された強力な戦術単位だ。人間サイズに詰め込んだ力は、ムラクモ機関がS級能力者と呼ぶ存在と同等か、それ以上である。正確無比な拳は、あらゆる敵を砕いて潰す。己の全身が武器で、それを完全に使いこなしている。
 武術や体術にも多少の知識があるトゥリフィリが見ても、洗練された動きだった。
 無駄も隙もなく、最速にして最短の最適解を敵へと叩きつけてゆくのだ。
 そのナガミツが、脚を止めつつも警戒心を解かない。
 そして……これから向かう先で(よど)んだ闇に、真っ赤な光が二つ灯る。
 それは、血走る竜の燃え滾る双眸だった。

「っ、新手っ! カジカさんは後ろへ! ナガミツちゃんも無理はしないで」
「無理なんかしてねえ。俺には……無理なんかねぇよ」

 キュイン、と小さく鳴る空気が渦を巻く
 暗闇の中から飛び出してきた巨大な竜へとナガミツは跳躍と同時に拳を引き絞った。
 トゥリフィリも拳銃を構えて、ナガミツの背を援護する。
 だが、現れたドラゴンは初めて見るタイプだ。
 巨大な翼に、大地を掴む両脚。立派な角が生えた頭部は、鋭い牙の並んだ真っ赤な口が舌を踊らせている。青い鱗の飛竜は、トゥリフィリたちのいる高い天井のホールで羽撃(はばた)いた。
 風圧が襲う中で、すかさずナガミツが地を蹴る。
 吹き抜けに舞う竜へと、跳躍した拳が振り抜かれた。
 だが、着地を援護して弾丸を打ち込むトゥリフィリは、違和感を感じた。カジカは気付かなかったようだが、確かに見た。あのナガミツが、嫌そうな顔をしたのだ。

「あれ、ナガミツちゃん……調子悪いのかな」
「ん、どしたの? とりあえず補助プログラム走らせて援護するけど」
「あ、カジカさん。彼、今」

 電撃のブレスを放つ竜から逃げつつ、ナガミツは再度飛んで蹴りを放つ。
 だが、無数のマモノを(ほふ)り、ドラゴンさえも蹴り抜いてきた一撃が空振りで空気をかき混ぜる。今度はナガミツは、露骨に顔を歪めて舌打ちをした。
 折角イケメンな作りの顔なのに、酷くガラが悪い。

「くそっ、なんだ? 思うように叩けねえ。これは――ッ! おい班長、避けろ!」

 青い竜は急降下と共に、カジカを背にかばうトゥリフィリの前に舞い降りた。その翼が空気を引き裂き、音の速さで風を叩きつけてくる。鋭利な刃と化した真空の断層が、物凄いスピードでトゥリフィリに迫った。
 だが、その時……不意に目の前に、巨大な壁が隆起した。
 上の階から飛び降りた人間の背中だと知った時には、雄叫びが周囲の空気を沸騰させる。

「下がってな、お嬢ちゃん。ちょいと荒れるぜ……ぬおおおおおっ!」

 筋骨隆々たる大男が、見事に鍛えられた上半身の筋肉を躍動させる。繰り出された左の拳は、一撃で飛来する真空波を掻き消した。
 同時に、半歩踏み込む男の足元で床が陥没する。
 小さなクレーターを作ったその中心で、男は迫る竜の横っ面へ右の正拳突きを叩きつけた。短い悲鳴が響いて、竜の巨体が壁までスッ飛んでゆく。
 ゆらりと身を起こした巨漢の男は、ニヤリと口元を歪めた。

「お前さんが13班のトゥリフィリちゃんかい? そして……あれが斬竜刀か」

 年の頃は三十代後半から四十代半ばくらいだろうか? (いか)つい表情の男は、拳を手の中でバキボキと奏でながら、無造作に先程の竜へと歩み寄ってゆく。
 完全に気圧された竜は、迫る恐怖に怯えながらも、発狂したように吼え(すさ)んだ。
 だが、男の声は自然と低く腹の底へと響いてくる。
 トゥリフィリが見る背中は、黙って無言で周囲から安心感と信頼を集めていた。
 男は唸るような声で叫んで、走り出す。

「ナガレ、お嬢ちゃんたちをフォローだ! そして……ついてこい、斬竜刀っ!」
「っ! そうだ……俺はっ、竜を断ち切る刀。己を刃として、竜を斬る……斬竜刀なんだ」

 巨体が嘘のように、男は俊敏なフットワークで竜の尾を避け、牙をかいくぐる。そして、渾身の一撃を叩きつけた。青い光がキラキラと宙を舞う、それは砕けて割れた鱗だ。
 そして、男は後に続いてくるナガミツへと場を譲るように、ステップアウトしつつ身構えた。完璧に戦場を支配し、その中で仲間を把握、広い視野で俯瞰(ふかん)して守っている。それがすぐに分かる程度には、トゥリフィリも親譲りの観察眼を輝かせていた。

「ボウズ、お前ぇは強い! 強いが、教科書通りにやってっから応用がきかねえ! さっきのは空中戦で、踏み込む脚のふんばりがないのに気付けてなかったな!」
「うっ、それは! だが、俺は!」
「新米なんだ、未熟で稚拙(ちせつ)な拳は恥ずかしくねぇ。だがな、ボウズ! 手前ぇの拳になにが握られてるか考えろ! そいつを確かめて、叩きつけろ!」

 弱々しく竜が空中へ逃げる。その頭を抑えて飛び上がったナガミツは、オーバーハンドの一撃を脳天へとねじ込んだ。鈍い音と共に、肉と骨とが砕けて交じる響き。はっきりとトゥリフィリの耳にも、生命が潰える音が聴こえた。
 着地したナガミツは、自分の拳をじっと見詰めて、開いたり閉じたりしている。
 そんな彼の背後で、大男は笑って背中をバシバシ叩いていた。

「ようし、13班! 上出来だ。俺はガトウ! ムラクモ10班、通称ガトウ隊を仕切らせてもらってる。そして、そいつが相棒のナガレだ」

 顎をしゃくるガトウに促され、振り向いたトゥリフィリは初めて気付いた。
 カジカごとトゥリフィリを守るように、一人の男が銃を構えている。視線に気付いた彼は「よぉ」と小さく口元に笑みを浮かべた。
 全く気配に気付けなかった……ガトウもそうだが、ナガレも相当の手練だ。
 ガトウは13班の三人を見渡し、カジカと挨拶を交わす。どうやら顔見知りのようで、飲みに行こうとか、かみさんと子供は元気かとか、緊張感のない言葉が行き交った。
 家族の話題が出て、初めてカジカは弱ったような顔を少し見せた。
 だが、ガトウは(みなぎ)る覇気のままに先へ進み出す。

「ようし、13班! こっから先は俺が前に立つ。あのクソでけぇ帝竜(ていりゅう)を潰して、この都庁を取り戻さなきゃならねえからな」
「帝竜……?」
「なんだ、キリノから聞いていないか? 特別強力な個体で、超常の異能力をもって自分のテリトリーを迷宮に作り替えちまうバケモンだ。そいつを倒さねえと、始まらねえぜ」

 簡単に説明しつつ、脇を固めるナガレと共にガトウは歩きだす。その背を追うトゥリフィリは、ナガミツが不機嫌そうにしているのが気になった。ナガミツは自分の仕事が奪われた子供のようにふてくされているが、それだけではない。
 どうやらナガミツは、先程の戦闘でガトウからなにかを学んだようだ。
 そのことが奇妙な感情を励起(れいき)させたが、上手く処理できないらしい。
 だから、トゥリフィリはあとで教えてあげようと思った。
 助かったらありがとう、教えられたら学んで……やっぱりありがとうだよ、と。

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