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 一つの戦いが終わった。
 帝竜(ていりゅう)ウォークライが陣取っていた逆サ都庁(サカサトチョウ)は、巨大なドラゴンの力から解き放たれた。重力異常は嘘のように消え去り、大地を覆い尽くしていたフロワロも枯れてゆく。
 相変わらず空は暗雲が垂れこめる中、赤い花びらが舞い散っていた。
 人類の最初の、小さな、確かな勝利。
 トゥリフィリはその立役者(たてやくしゃ)である二人を探して走った。
 ようやく開放された都庁は、今後は生存者達の拠点として運用されることになった。ほぼ無傷で奪還できた上に、行政の中枢として堅牢な作りの建屋になっていることも大きい。また、大量の避難民を受け入れるだけのキャパを持ち、有事に備えてある程度の上下水道や発電施設が整っているからである。
 そんな訳で、トゥリフィリは避難民でごった返す都庁の廊下を歩く。

「っと、いたいた! ……なにやってんだろ。えっとー」

 ふと脚を止めたのは、目的の二人を見つけたから。
 だが、ナガミツとキリコはようやく安堵の声が行き交う人々から離れて……廊下の隅に(うずくま)っている。
 カジカの話では、二人共致命的なダメージはないという話だった。
 両足を投げ出し壁によりかかって、そのままずるずるとずり落ちそうなナガミツ。その隣には、膝を抱えて呆然と天井を見上げるキリコの姿があった。
 不思議とトゥリフィリは、声が掛けられない。
 二人の間に奇妙な緊張感が張り詰めていて、割って入れる雰囲気ではなかった。
 そうこうしていると、背後でけだるげな声が響く。

「やあ、トゥリフィリ。お疲れだねえ」

 振り向くとそこには、少し眠そうな目をしたエグランティエが立っていた。相変わらずジャンパーをなだらかな肩からゆるゆると滑り落としている。
 少し(そで)を余らせながら、彼女はやや疲れたように前髪をかきあげた。
 トゥリフィリは自然と、別働隊だった仲間に笑顔を向けた。

「エジーもお疲れ様。無事でよかったよ……うちは、13班は全員、無事だった、けど」
「シイナやノリトも随分頑張ってくれたからねえ。とはいえ……犠牲がつきものだって言っちまうには、どうにもやるせないことばかりだよ」

 戦いには勝利した。
 だが、戦術的な勝利でしかない。
 そして、今の人類にはこうした小さな勝利を積み重ねていくしかできない。
 都庁が奪還されるのと同時に、合流した自衛隊から多くの情報がもたらされた。どうやら世界中のいたるところでドラゴンは暴れ、あらゆる国家や地域がフロワロに沈んだ。あのアメリカさえも、抵抗を続けているが風前の灯火だという。
 そして、この小さな勝利でさえ、必要経費であるかのように多くの人命を飲み込んだ。
 トゥリフィリと共に戦い、走って、未来を望んで手を伸べた人もその中にいる。

「エジー、ナガレさんは」
「ああ。なんどかシェルターで会ったきりだけどねえ。でも、いい人だった。そして、良し悪しに関係なく戦えば人が死んでゆく」
「うん……」

 トゥリフィリは静かに、去っていった人達へと想いを馳せた。
 エグランティエは黙って、背の低いトゥリフィリの頭を胸に抱いてくれる。
 突然のドラゴン襲来と、フロワロによる都市機能の壊滅。マモノが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し、既に人類の生存圏はこの星のどこいもない。平和だった地域も、戦乱のさなかにあった地域も、等しくドラゴンと言う名の災害で全てを奪われようとしていた。
 でも、だからこそ、トゥリフィリは忘れない。
 失い(こぼ)れて消える中、その全てに手を伸べ押しとどめようとした人達のことを。
 自分も今、そうした人達と同じく、ただ見ていられないから戦っているのだ。

「ありがと、エジー」
「ん、いいさトゥリフィリ。……ちょいと長いね。んー……フィー、って呼んでもいいかい?」
「あ、うん。パパとママも時々そう呼ぶかな。名前、長いから」
「トゥリフィリってのは、白詰草(しろつめくさ)のことだね。幸運を運ぶ四葉のクローバー、かもしれない」
「白詰草……ああ! それでカジカさんはぼくのこと」

 戦闘中はそこまで気が回らなかった。
 だが、カジカが自分をそう呼んだ意味を、ようやくトゥリフィリは理解した。
 同時に背後で「せーかいっ」と、気の抜けたゆるーい声が響く。
 エグランティエと二人で声のする方へ視線を滑らせれば、ひょろりと()せた男が両手に沢山の食料品を抱えていた。カンパンや合成食の類、それと缶詰にペットボトルの飲み物。それを落とさぬようにヒョコヒョコと歩いて、カジカが二人の前にやってくる。

「おつかれちゃん。これね、13班のみんなに支給品。備蓄は心もとないけど、非常食ってのは備蓄するために備蓄してる訳じゃんないからねえ。ささ、勇者よー、好きなのを選ぶがよーい」
「あ、どうも……あの、カジカさん」
「んー? ああ、白詰草ちゃんも気になる? あの二人」

 先程から、ナガミツもキリコも壁にもたれて動かない。
 まるで放心して脱力したみたいに、表情のない顔で天井を(あお)いでいる。
 それを見やって、カジカは大量の食料をトゥリフィリにどばどばと渡してきた。

「二人に持ってってあげなさいよ。おじさんはちょっと、一人で泣いてくるからサ」
「カジカさん?」
「いや、正直少しだけ参っちゃってるのよ。でも……すぐ動き出さなきゃねえ、ムラクモ機関は。だから、今だけ。白詰草ちゃんもゆっくり休んどいてね、お願いだよん?」

 それだけ言うと、カジカは行ってしまった。
 その背中が、いつも以上に頼りなく見える。
 そしてもう、トゥリフィリは知ってしまった。
 あの猫背の気弱な背中は、頼る全てを裏切らない、裏切れない大人の哀愁(あいしゅう)を背負っているのだと。そんなことを考えていると、エグランティエに背中を押される。

「ほら、行ってやんな。班長だからじゃなくて、そうだねえ……市民の代表として優しくしてやんな。機械だろうが巫女様だろうが、腹も減れば気持ちも擦り切れる。そういう時、お前さんの笑顔はとてもいいものさ。ねえ、フィー」
「そ、そうかなあ……でも、そういうことにしとく。よしっ!」

 意を決してトゥリフィリは歩き出した。
 その手に沢山の食べ物を抱え、ありったけの笑顔を総動員して。
 だが、二人の前に立つと、二組の(うつ)ろな双眸(そうぼう)がじっと見上げてきた。
 疲労の色も(あらわ)で、ふとトゥリフィリは意外に思って口から言葉が零れた。

「君でも疲れるんだ? ナガミツちゃん」
「疲れねーよ、班長」
「そう? ぐったりしてるけど」
「バッテリー残量が尽きかけてるだけだ。消化のいいモンなら、食料の摂取でカロリー変換できる。それより、こいつだろ、こいつ」

 相変わらずぶっきらぼうで、少しガラが悪い。だが、初めて会った時の精工で緻密な機械感は薄らいでいた。彼もこの数日の短時間で、多くのことを経験したからだろうか。
 ナガミツは隣のセーラー服姿へと手を伸ばし、黒い長髪の頭をわしりと掴む。

羽々斬(ハバキリ)巫女(みこ)ったってよ……とんだ () () () () じゃねえか」
「ちょっと、ナガミツちゃん! ご、ごめんね、えっと……サキさん、なの?」

 だが、ぐったりしていた少女はナガミツの手を振り払うと立ち上がる。
 彼女はじっとトゥリフィリを見詰めて、不意に視線を逸らすと……そのまま立ち去るように歩き出す。慌ててトゥリフィリは細い手首を掴んだ。
 振り向く少女はやはり、あの時死んだキリコに……サキという名を秘めて戦う少女にそっくりだった。

「なに? 私はキリコ、(じゃ)(はら)い魔を滅する剣……竜をも斬り裂く刀だ」
「え、えと……あの」
「……俺は、姉さんとは違う。姉さんはもういない」
「あ、お姉さん? それで……妹さん? あ、ちょっと、待ってよ! ねえ!」

 最後にキリコは「じゃあな、贋作(がんさく)」とナガミツに言い捨て、去っていった。
 その背を見送るトゥリフィリは、頭をバリボリかいて面倒くさそうに立ち上がったナガミツに見下される。すぐ間近で見詰めてくる彼は、トゥリフィリの手の中から何個か食料を取る。

「とりあえず、班長。お疲れ様だな。第一フェイズをクリアした。以後、ナツメ総長の別命あるまで待機。同時に俺は、損傷箇所の点検を行う。……じゃあ、また。また次の戦いで、班長」

 ナガミツもそっけない言葉を残して行ってしまった。だが、気付けばトゥリフィリはナガミツを追いかけて小走りに並ぶ。相変わらず不機嫌そうな無表情だが、ナガミツの横顔は心なしか(いきどお)りと無念、そして後悔が浮かんでいるようにトゥリフィリには見えた。

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