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 トゥリフィリを取り巻く、怪異。
 それは(すで)に、彼女が恐れる不確定な存在ではなかった。霊魂、亡霊、怨念……そうした(はかな)いイメージは一切ない。
 ただの肉と成り果てた、人の死体。
 竜災害(りゅうさいがい)で生命を落とした者達の、ただただ腐ってゆくままの姿があった。
 それがかえって、トゥリフィリを冷静にさせる。

「幽霊じゃない、けど……ゾンビ、かな。ただ、怖くない……もう、恐れない」

 恐れて(すく)んではいられない。
 トゥリフィリは自分を奮い立たせる。
 胸の奥に消えてしまった声が、背を押して支えてくれる気がした。
 周囲には、無数に亡者の群れが十重二十重(とえはたえ)……皆、ボロボロになった衣服を着ている。自衛隊や警官の姿もあり、犬や猫といった動物も見受けられる。マモノも多数入り混じり、徐々に包囲網を狭めてきた。

「……寝てたのに、ごめんね。起こしちゃったよね……なら、せめて、成仏してもらえるかなっ!」

 トゥリフィリの両腕が、胸の前で交差する。
 両腰にぶら下げた拳銃を掴むなり、真逆の左右へと弾丸が放たれた。
 正確に頭部を、見もせずに撃ち抜いてゆく。
 手向(たむ)ける花もなく、(いた)む言葉もない。
 ただただ銃声とマズルフラッシュで、次々と死体を処理してゆくトゥリフィリ。彼女にはこれといった信仰はない。だが、こうして死して尚も辱められてる一人一人に、それぞれの信仰があった(はず)なのだ。
 神や仏、普段の暮らし、両親への愛、友への信頼、仲間の(きず)……それを信じる時、人は内なる教えに祈る。その、唯一にして絶対の自由が踏み(にじ)られていた。

「ごめん、ごめん……先に行かせて……ナガミツちゃんとキリちゃんと、進ませて!」

 徐々に包囲の輪が狭まる。
 機動力のあるマモノは、既に二度三度とトゥリフィリへと襲いかかっていた。
 その爪と牙をかいくぐりながら、撃つ。
 人差し指に気持ちを込めて、想いを強く奮い立たせて、撃つ。
 だが、徐々に疲れを感じて脚が重くなってきた、そんな時だった。

「えっ、何? って、こいつ、(かた)っ!?」

 輪唱を奏でる雌雄一対(すで)の拳銃が、一つの目標へと弾丸を浴びせた。
 だが、その敵は(わず)かなダメージだけでそれを弾き返す。
 普通であれば致命傷の至近距離で、ありえない程の防御力。それはまるで、七色に光る水晶(クリスタル)だ。その不思議な輝きは、何故かトゥリフィリに閃きをもたらす。

「種の癖にっ! ……種? えっ、これがフロワロの種なの? なんで!」。

 再度弾丸を弾くと、奇妙な水晶体は滑るように移動する。
 確かにそう感じた。
 種、それもフロワロの種子だと思ったのだ。
 その瞬間、頼れる声と同時に風が逆巻く。局地的な竜巻が敵ごと、例の奇妙な水晶のモンスターを巻き込んだ。

「大丈夫かい? フィー」
「エジー!」

 仲間のサムライ、エグランティエがチン! と鍔鳴(つばな)りに剣を納める。
 彼女の放った真空の刃が、旋風(つむじ)を巻いてマモノを切り裂いた。
 そして、助けに来てくれたのは彼女だけじゃない。
 気付けば背後に、ナイフを逆手に握った男が立っていた。巨漢ではないが、見事にシェイプされた筋肉美はキジトラである。

「キジトラ先輩も? あれ、どうして」
「フン! 知れたことよ……キリノが突然、フィーと連絡が取れなくなったと騒いでな。たまたま追加の装備を持ってきた俺様とエジーがやってきたのだ」

 エグランティエも「そゆことだねえ」と居合(いあい)に剣を構える。
 この乱戦に飛び込んできた二人は、嫌に落ち着いていた。そして、周囲をくまなく(にら)んで敵意を牽制する。
 そんな二人の言葉が、改めてトゥリフィリに異常を伝えてきた。

「しかし、妙だな……先程から、俺様の方向感覚が狂っている。この地はまさに、異界……そっちはどうだ、エジー」
「同じさね。……まるで、鏡合わせの世界に迷い込んだようだ。フィー達を追って飛び込んだが、戻れるかどうか」
「カカッ! 戻れぬならば進むのみ! 進んで進み抜き、進み(つら)く!」
「だねえ」

 二人は同時に、トゥリフィリの元から駆け出した。

「班長、先に行ってナガミツとキリ坊を探せ! ……面倒な迷宮(ラビリンス)に迷い込んだようだ」
「わたし達で道を切り開くよ。さあさ、走った走った!」

 言われるままに、拳銃のマガジンを交換しながら走る。
 襲い来るマモノと亡者達が、あっという間に仲間の餌食(えじき)になった。
 身体能力に優れ、刀を武器とするサムライ……その突出した攻撃力で、エグランティエが有象無象(うぞうむぞう)千切(ちぎ)ってゆく。その横で討ち漏らしを片付けるのは、トリックスターのキジトラだ。
 トゥリフィリとは違って、彼はナイフ一本で縦横無尽に飛び回る。
 さながら現代に蘇った(シノビ)の技だ。

「二人共、ごめんっ! あとでなんか、おごるね。行ってくる!」

 湿った音を立てて敵が崩れる。
 その奥からさらに、濡れた足音で迫ってくる。
 トゥリフィリは二人が切り開く道の先へと、月光に照らされ走った。
 包囲を抜けて、そのまま建物の屋根から屋根へとジャンプし、階段を駆け下りる。迷宮と化した四谷は今、無数の墓石が乱立する死者の国。その薄ら寒い空気を、トゥリフィリは全力で駆け抜けた。

「あっ、ナガミツちゃん! キリちゃんも!」

 ようやく、薄い霧が立ち込めてきた中で二人を見つけた。
 あんなに近くで、ついさっきはぐれたのに……おかしい。もう、何百メートルも走ったような気がする。
 そして、もっと奇妙なのは……ぼやけて(けむ)る中で、二人は固まっている。
 ナガミツもキリコも、霧の中の一点を見据(みす)えて立ち尽くしていた。

「ね、ねえっ! ナガミツちゃん。キリちゃんも!」
「あっ、トゥリねえ! ……あそこに、いるんだ」
「おう、遅かったな。で、キリよう……俺のセンサーも、捉えてるぜ」

 何を、と言いかけた言葉をトゥリフィリは飲み込んだ。
 そう、確かにその男はそこにいた。
 いない筈の、その男がたしかに立っているのだ。

「そんな……嘘。どうして…… () () () () ()

 そこには、かつて池袋の山手線天球儀(やまのてせんてんきゅうぎ)で散った、ガトウの姿があった。その不敵な笑み、間違いない……それは、腐った死体でもなく、しっかりと自分の脚で立っている。
 ガトウは静かに巨大な満月を指差すと、うっすらと透けてそのまま風に消えていった。

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