第四迷宮『
探索司令部は、強力な魔物の存在を綿密に調査し、冒険者たちであれば危険はないと判断したのだ。
そして今、ジルベルトたちはついに新たな迷宮の先へと踏み出した。
勿論、今日も修行中のカリスと一緒である。
「カバさんです!」
「カバだねえ」
「河の馬と書いて
「河豚だとフグになっちゃうよ、リベルタ」
そう、河馬だ。
巨大な河馬が、のっそりと動いている。まだこちらに気付いてはいないようだし、あの歩みではジルベルトたちに襲いかかってくることもないだろう。
迷宮には時々、こうした目に見える脅威が存在する。
自らの縄張りを主張し、本能的に冒険者に牙を剥く強力な個体……それらは全て、洞察力を発揮して観察すれば、動きに法則性が見い出せる。
だから、熟練冒険者は戦闘を回避するし、戦闘を強いられる時も万全を期する。
勿論、どの魔物も貴重な素材を持っているので、敢えて戦う者たちもあとをたたない。
夢中でスケッチするリベルタの横で、ジルベルトも瞳を凝らして対象を観察する。
「……多分、一定の範囲に近づかなければ、襲ってこないタイプかな」
「むむっ! 我らが気配、身よりほとばしる強き覇気に気付かれた様子っ!」
「オッケ、ドロテア。移動しよう。あの鈍さなら、振り切れる。リベルタもみんなも、いい?」
「はいです!」
一同は揃って、のそのそと迫る脅威から駆け足で遠ざかる。
あれは多分、今のジルベルトたちでは敵わない。
戦って勝てないこともないだろうが、それで全てを消耗して一日が終わってしまう。特別なクエストやミッションでもない限り、ここは戦闘を避けるのがベストな選択だった。
そういう判断も必要だと、ジルベルトはいつも師カラブローネから学んでいたのだ。
そして、ちょっと心配でちらりとまひろを見る。
彼女はなんだか元気がなかったみたいだが、今は普段の明るい笑顔を取り戻していた。
「ん、大丈夫みたいだね」
「どしたですか? ジル」
「いや、最近ちょっと元気ないなーって思ってたけど。うん、いつものまひろだ。それに、急に飛び出して河馬に襲いかかったりもしないし、安心したんだ」
「はいです! カバさんはやっつける必要もないと考えたです。少し考えれば、まひろの頭でもわかることだったのです!」
まひろは生い立ちが原因で、本能的に英雄としての衝動に支配されている。
だが、最近は理性的でよく頭を使うし、危険な行動に突っ走ることも減った。
そして、今日はまた一段とニコニコ笑顔で、まるで太陽のように笑っている。
しかし……この時まだ、ジルベルトは気付いていなかった。
みるみる成長してはいるが、基本的にまひろは五歳児なのだと。
「英雄は一人じゃないのです! イエダードが言ってたです。わたしはだから、一人で突っ走る必要はないのです!」
腕組みうんうんと、大きく頷くまひろ。
その姿になにを見出したのか、カリスが瞳を輝かせていた。
そして、悲劇の幕が上がる。
「流石デス、まひろ先輩!」
「……先輩? カリス、どしたですか? わたしが、先輩」
「はいデス! やっぱり皆さんは頼りになる大先輩デス! まひろ先輩!」
あ、それヤバイ……そういう顔でリベルタが
ドロテアも空気を察したのか、恐る恐るまひろを見詰めていた。
そしてジルベルトはといえば、もう既に警戒心から剣を抜いていた。
「おおーっ! そうです、わたしはまひろ先輩なのです!」
「はいデス! あ、それでまひろ先輩……皆さんも。今日は、オオヤマネコという魔物と戦ってみたいだけデス。手強い相手らしく、腕試しにちょうどいいデス!」
「オオヤマネコ……まひろ先輩に任せるのです! ちょっと持ってくるのです!」
やられた。
成長したもんだと、呑気に構えていられなくなった。
無邪気な幼子のように瞳をうるませ、ニッコニコでまひろが猛ダッシュ。その背中がグングン小さくなって、扉の向こうに消えてゆく。止める間もなかった。
すぐ調子に乗る、本当にお子様なところがあって、今日もそれが始まったのだ。
「あっ、やっぱり! ごめんリベルタ、地図お願い! ウカノとドロテアは周囲を警戒して! カリス……う、うん、君は悪くない。戦闘の準備、しとこっか」
カリスを責める訳にはいかないし、実際にジルベルトも大先輩と呼ばれれば気恥ずかしい中に喜びが感じられた。こんな未熟な自分でも、いつかは師匠や仲間たちのような一流の冒険者になれるかもしれない。
少し前まではジルベルトたちだって、眼の前のカリスと似たようなものだったのだから。
そうこうしていると、マッハでまひろが戻ってきた。
息一つ乱さず、マントを翻す少女は今……ものすごく巨大なネコを両手で抱えている。
「見つけてきたです! これが多分、オオヤマネコなのです」
まひろに抱かれて、オオヤマネコはどうやらゴキゲン斜めのようだ。ただ、野生の本能で危機感を察して、今は黙ってまひろに運ばれてきたようである。大自然で生きる魔物たちには、決して勝てない勝負はしないという鉄則がある。
だが、拘束を解かれて自由になれば、必死の抵抗を見せることもあった。
「ちょっと待って、まひろ! そーっと! そーっと下ろして!」
「やべ、めちゃくちゃ怒ってるよこれ……って、カ、カリス?」
「いざいざデスッ! これがオオヤマネコ……今こそ成長を見せるデス!」
まひろは、まるで子猫をあしらうように地面にオオヤマネコを下ろす。体長はゆうに1mを超える、獰猛な肉食獣の唸り声が低く響いた。
そして、混乱が広がってゆく。
謎の強者、恐るべき膂力の持ち主まひろに突然捕まって、オオヤマネコは激昂していた。
「気をつけてくださいっ! イクサビトの里でも、オオヤマネコは要注意の恐ろしい魔物ですっ」
「あー、帝国の騎士学校でも習った。普通に強いよ、これ……吸わせてはくれなさそうだしなあ」
瞬間、オオヤマネコが躍動と同時に視界から消える。
恐るべき瞬発力で、慌ててジルベルトは盾を身構えた。
そして、響き渡る金属音。
驚いたことに、眼の前に突出したカリスが、その盾でオオヤマネコの爪を弾いていたのだ。そう、この少女はジルベルトたちと別行動していた数日の間も、欠かさず己を磨いてきたに違いない。
感嘆に値する成長を目に、ならばとジルベルトも気を引き締める。
「ありがとうっ、カリス! ナイスディフェンス! 次はこっちの番だねっ」
「つー訳だから、まひろ大先輩はもっと働けよー? 連れてきたのお前じゃんね」
「わかったです、リベルタ! うおー、わたしも負けないですー!」
確かにウカノの言う通り、オオヤマネコは強敵だった。すばしっこくて、その名の通り凶暴さが何倍にも肉体を大きく見せてくる。機敏な動きは野生そのもので、幾度となく爪が陽光に輝いて迫った。
だが、今日のカリスは鉄壁の防御で、ジルベルトたちをしっかりアシストしていた。
やがてまひろが盾で体当りして足を止め、そこにウカノの蹴りが突き刺さる。
トドメのドライブが轟音を響かせ、問題のオオヤマネコはその場に崩れ落ちた。
ホッとしたのも束の間、すぐにジルベルトはまひろに歩み寄る。
その背中は、カリスの小さなつぶやきを拾っていた。
「やれたデス……ワタシにも戦えた。これできっと、カレもワタシを認めてくれるデス」
一瞬、ジルベルトは思い出す。カリスのことで、余計なことをするなと言ってきたナイトシーカーがいた。その殺気は本物で、かなりの手練れだったと思う。
それはそれとして、ジルベルトは大型犬のようにじゃれついてくるまひろに、ポスポスと折檻チョップを連発して言って聞かせるのだった。