渋谷を根城とし、長らく
だが、失ったものは戻ってはこない。
多くの命を飲み込み、渋谷は人の踏み込めぬ魔境と化したままだ。SKYはついに渋谷の放棄を決意、全員で都庁に移住してくることになったのである。
一つの勝利は、確実に竜災害の驚異を押し返し始めた。
同時に、決して奪い返せぬ喪失を見せつけてくる。
そんな中でも、トゥリフィリとムラクモ13班の仲間達は前を向いていた。
今日は、そんなとある日の休日だった。
「えうー、これは
トゥリフィリは今、都庁内に新たに作られたラウンジに来ていた。周囲では、避難民達が一時の憩いで辛さを忘れている。少量ながらお酒も飲めるし、コーヒーに紅茶、軽食やスイーツも評判だ。
そして、このラウンジの
パーテーションや廃材で区切っただけの避難所で、都民達は今もプライバシーのない生活を強いられている。トイレ以外で一人になれる時間がないのだ。そこで作られたのが、完全予約制のゲストルームである。
一人になれる、一人で泣ける……そういう部屋だ。
二人きりにもなれるし、そこでは誰もがただの自分でいていいのである。
予約がいっぱいと聞いていたが、ナガミツがトゥリフィリを招待してくれたのだ。その意味を考えると、なんだが頭の中も胸の内も熱く
「よ、よし……入るしか……ッ!?」
「おんやあ? フィー、どしたの? いらっしゃーい、ほら! 入って入って!」
螺旋階段を上った先のドアが、突然開いた。
そこには、シイナが顔を出している。普段からゴスロリの女装に身を包んでいる彼女は、今日に限って地味なジャージを着ていた。いつもツインテールに結っている金髪も、頭の上で大きくオダンゴにまとめられている。
見るも珍しい、完全オフの美少年がムフフと笑っていた。
「えっ、あれ? シ、シイナ? どうして……あ、いや、ゴメン! お邪魔だったかも! ……そういえば、なんか、最近……ナガミツちゃんと、仲、いいよね」
「んー? あ、なんかそれって勘違い? かな? みんな来てるし、フィーもおいでよぉ」
「ほへ? み、みんな?」
てっきり、二人切りだと思っていた。
そして今、ナガミツはシイナと……そんなことを思ってしまった。
どうやらトゥリフィリは、自分だけ先走った想像力を働かせていたらしい。そして、それを見透かしたのかシイナは
そして、ゲストルームにおずおずと入ると……確かにナガミツはいた。
ナガミツとその仲間、友人達が狩場を広げているのだった。
「モルトヴィヴァーチェ! さあ、
「でかした、ノリト! クククッ、では教育してやろう……行くぞ、ナガミツ、キリ坊ッ!」
「待てって、キジトラ! あーもぉ、ファンゴなんか剥ぎ取ってる場合じゃねえぜ」
「……あ、えっと……ご、ごめん! 誰か、
四人の少年少女が、携帯ゲーム機を突き合わせて輪になっている。
あれは確か、回収班をキジトラ達が手伝って集めたものだ。避難民の子供を中心に配られ、ゲームソフトも多種多様なものが拾われてきている。秋葉原や新宿等、大型量販店等の廃墟から探し当てたのだ。
トゥリフィリはすぐ、
なにを空想していたのか、なにを期待していたのか……その実、なにもなかった。多分、これからもなにもない。それはわからないけど、今日は本当になにもなさそうだ。
「ニシシ、フィーってば……がっかりした?」
「え、あ、いやあ……なんか、変に納得しちゃっただけ」
「そ、よかった。ねね、こっち来て。お茶もお菓子もあるから」
シイナに言われるまま、奥のソファに腰掛ける。
なんというか、室内の調度品はどれも上質で、それでいて少し落ち着かなさが浸透してくる。家具も立派なものだが、全体的に室内の色合いが甘ったるいのだ。
恋人が
しかし、ナガミツは床にあぐらをかいて友人達とゲームに夢中なのだった。
招待してくれたのに、まだトゥリフィリの到着にすら気付いてくれない。
少しむっとしたが、同時に子供じみた無邪気さに頬が
「おーい、ナガミっちゃん? フィーも来たよん? ほらほら、ファミコンやめて」
「あ? いや、ファミコンってお前……っと、悪ぃ! 俺はちょっと抜ける」
シイナの呼びかけに、すぐナガミツは立ち上がって振り向いた。
いつも通り、
「フィー、その、悪かったな。ちょっと最近忙しかったからよ。……少し、こういう時間、欲しいっつーか、なんつーか」
「そ、そう、なんだ。……ふふ、そっかそっか」
「あ、なんか俺、変だったか? この部屋、優先して回してもらえっから、でも一人じゃ、二人きりなだけじゃ広すぎるしよ。みんなと、もっと、遊びたく、なったんだ」
意外な言葉だった。
初めて会った頃の、あの冷たさが今は感じられない。
確かにナガミツは
だが、今は違う。
目の前の少年は、本当に同世代のただの男の子に見えるのだ。
それは、トゥリフィリの中のナガミツが変わったから。
同時に、ナガミツによって中からトゥリフィリが変わったからかもしれない。
「えっと、よくわかんねえけどよ! くつろごうぜ。遊んで休んで、その……なんか少し、騒ぎてえ気分だって思って。キジトラの奴がすぐ、部屋を取ってくれて」
チラリと見やれば、キリコとノリトを相手にキジトラは夢中で遊んでいる。
気を遣わせた様子すらなくて、そこまでが彼の気配りなんだとトゥリフィリは感じた。変に意識して、あとはお二人で、なんて出ていかれても困るから。
そうこうしていると、シイナがお茶を用意してくれる。
キジトラ達もゲームを切り上げ、皆でテーブルを囲んだ。
「ククク、ナガミツよ……激戦のあとで慰労会とは、なかなかやるではないか」
「まあ、そんなとこだ。んじゃ、ピザでも取るか? 食堂からデリバリーできるって」
「ピザ! ピザ……ピザ! ナガミツ、ノリトもキジトラ先輩も! ピザ!」
「フッ、どうしたんですキリコ。……は? 食べたことが、ない? ピザを?」
なんだか賑やかになってきた。
その柔らかな雰囲気は、緊張の連続だった戦いを少し遠ざけてくれる。忘れることはできなくても、今はもっと違うことを考えていられるのだ。
でも、ナガミツのことを考えると心臓が鼓動を高鳴らせる。
それもなるべく意識しないようにしても、少しだけ気持ちが軽やかにはしゃいでゆく。
ドアがノックされたのは、まさにそんな時だった。
「失礼します、皆サン」
現れたのは、透き通る緑の髪をツインテールに結った少女だ。その姿を見た瞬間、ノリトがその場にジャンピング土下座で平伏してしまう。
彼女の名は、
先日の渋谷で、スリーピーホロウを引き寄せていた歌声の正体である。一昔前に大流行した、ボーカロイドと呼ばれる音楽編集ソフト……つい最近、人型家電として実際に機械の肉体を得たのが今の姿である。
信仰に近い敬愛を抱いているノリトが、ひたすらに恐縮している。
その彼に、先日助けてもらった礼を述べてから、ミクは表情を固くした。
「13班の皆さん、すぐに司令室に来てください。キリノ総長代理がお呼びデス」
唐突に休日が終わってしまった。
だが、そのことに不満を漏らす仲間は一人もいない。誰もがすぐ、表情を引き締め遊具を片付け始めた。
キジトラ達がそぞろに出てゆく中、追いかけようとしたトゥリフィリは……不意にその手を、ナガミツに掴まれ引き止められるのだった。