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 残す帝竜(ていりゅう)は、ただ一匹のみ。
 ついにムラクモ機関は、都民の救助と拠点防衛をこなしながら、竜災害に対して攻勢に出ようとしていた。無論、彼我(ひが)の戦力差は歴然だ。跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するドラゴンやマモノに対して、戦える人間は数える程しかいない。
 だが、数える程だが確かに存在するのだ。
 その一人であるトゥリフィリは今、凍てつく空気の中を歩いていた。
 いつもの格好に迷彩柄のコートを羽織(はお)り、首のマフラーで口元を覆う。

「うう、寒い……ぼく、ちょっと(くじ)けそう」

 ここはお台場、目の前には東京湾が広がっている。だが、若者達で賑わった臨海都市の面影はない。全てが凍りついた(あお)の世界は、どこまでも静寂を満たして広がっている。
 これもまた、超常の力を操る帝竜の仕業だ。
 カジカが名付けたコードネームは、ゼロ=ブルー。
 文字通り、絶対零度の力を操るドラゴンである。
 今、全てが凍りついたお台場は死都と化していた。
 だが、そんな中でもトゥリフィリの前を元気よく歩く少女がいる。すらりと長身でグラマラスだが、中身は七歳児くらいの女の子だ。名は、エリヤ。イギリスの錬金術師アゼルが生み出した人工生命体、ホムンクルスである。

「うう、エリヤは元気だねえ……」
「うん! エリヤ、全然寒くないよ? えっへん!」

 いつも通りの薄着で、たわわな双丘(そうきゅう)を揺らしてエリヤは胸を張る。
 そのむき出しの肌を見るだけで、トゥリフィリはどんどん体感温度が下がる気がした。
 エリヤは周囲の景色が珍しいのが、無邪気な子供の好奇心で目を輝かせていた。

「凄いね、フィー! 沢山のお店がある!」
「ショッピングモールそのものが、一つのダンジョンになっちゃってるからね。あ、エリヤ、あんまし先に行かないでね。迷子になっちゃうから」
「はーい!」
「むちぷり幼女は素直ないい子、と……ねね、シイナ。……シイナ? おーい、大丈夫?」

 振り向くとそこには、トゥリフィリ以上に寒そうにしている少女が歩いている。その足取りは重く、女装した少年だと気付かれぬ程に着ぶくれしていた。普段のオシャレな彼からは想像できぬ程に、徹底した防寒対策……まるで歩くマトリョーシカだ。
 普段の輪郭を何倍にも膨らませたシイナは、ガタガタ歯の根が合わぬ声を返してくる。

「わたし、ダメ……寒いの、ダメ……」
「ちょっとちょっと、シイナ。カタコトになってるって」
「あの、お台場が、この、有様……あ、うん……なんだか、もう……眠く、なって――」
「あーもぉ、寝ちゃダメ! いくらS級能力者でも、寝たら死んじゃうから!」

 パンパンに全身を膨らませたシイナが、ポテポテと力なく歩く。
 先を進んでいたエリヤは、すぐに飛んできて彼の腕にしがみついた。

「シイナママ、元気だしてっ! エリヤが温めたげるね? んとねー、日本の伝統儀式にオシクラマンジューってのがあるんだよ? 都庁でみんなと遊んだもん!」
「エリヤは元気ないい子だねー、いっつも避難民の子供達と遊んであげてるもんね。……遊んでもらってる、が正しいかなあ。ね、フィー。それより、えっとお」

 最近何故か、エリヤはシイナのことをママと呼ぶ。先日、ちょっと聞いてみたところ『だって、マスターはパパだもん!』とのことである。そして、以前はあれだけ下着泥棒や覗き見、果ては痴漢やセクハラを連発していたアゼルが……最近凄く大人しい。
 女性にとって無害になったアゼルは、ただの仕事ができるショタジジイだった。
 それと関係があるのかなと、トゥリフィリも首を捻る。
 シイナはフラットな表情で感情を凍らせたまま、面倒臭そうに話し出した。

「まあ、ほら。色々あるんだって。その……アゼル君、見た目だけはかわいいし」
「あっ、そういう……え、えっと、シイナ、まさか」
「フレッサさんも、アゼル君には手を焼いててさ。でも、アゼル君って……ちょっかいは出すけど、絶対に男女の仲に持ち込もうとしないんだよねー」
「確かに。なんか、無駄な誠意さえ感じる。女の敵だけど」

 そう言ってトゥリフィリが苦笑すると、うんうんとシイナは頷いた。
 エリヤだけが話を理解できなくて、腕組みうんうん(うな)り出す。
 むちぷり幼女が見えない煙を頭から吹き始めたので、続きは歩きながら話すことにした。トゥリフィリが頼むとすぐ、エリヤは笑顔で前方の警戒を受け持ってくれる。

「まあ、そんな感じで……ちょっと、つまみ食い? わたしも結構気を使ってるからさ、都庁では節操をですね」
「……そうなの?」
「そうだよー? 極限状態で避難生活を強いられてる中、痴情のもつれは極力避けないと。下手すりゃ刃傷沙汰(にんじょうざた)だし。わたしも、普段の半分以下のペースで」
「つまみ食い、してたんだ」
「そりゃ、うん、だって、ほら。色々と溜まるものが溜まるし。フィーは?」
「や、ぼくは健全な女子高生レベルで、それなりに。あ、でも――」

 そっと、首に巻かれたマフラーを握る。
 着ているコートもそうだが、物資回収班がかき集めた冬物の防寒具だ。そしてなんと、選んでくれたのはナガミツである。
 今、ナガミツは最終決戦に備えてのメンテナンス中だ。
 キリコもまた、万全を期するためにフレッサが検査中である。
 二人は共に斬竜刀(ざんりゅうとう)、人類の切り札足り得る存在である。トゥリフィリ達S級能力者の中でも、対竜戦闘に特化した戦力として頼ってきた。時々、頼り過ぎてきたのだ。だから、見えない疲労も貯まればストレスも蓄積する。
 そんな訳で、今日は二人はオヤスミなのだった。

「フィーさあ、ナガミっちゃんとは、どう?」
「どう、って」
「見てたよー? ムフフ……『フィー、人間は風邪(かぜ)ってのを引くらしいからな。ほら、見繕(みつくろ)ってきたからよ』だって。んもー、フィーも隅におけないんだからぁん」
「……全然似てないよ、ナガミツちゃんの真似(まね)

 妙にわざとらしい声真似だったが、シイナの言ってることは事実である。
 ナガミツはわざわざ、自分でトゥリフィリの冬支度をやってくれたのだ。彼のセンスには、なにも言うまい。徹底して防寒機能しか考えていないコートは、ミリタリー風でトゥリフィリの趣味じゃない。そして、真っ赤なマフラーはこれは、絶対にキジトラあたりが燃えるロマンとかを吹き込んだせいだろう。
 だが、トゥリフィリが寒くないように彼は大真面目で選んでくれたのだ。
 彼の手がマフラーを巻いてくれた時、見上げるトゥリフィリが嬉しかったのも事実である。

「ねえねえ、フィーさ……もうすぐ決戦なんだし、ね?」
「ね、って言われても」
「なんかさ、ナガミっちゃんも迷ってるというか、あれは自分の感情に不慣れだから、戸惑ってるんだよ。かわいいよね、ムフフ。で、フィーは……やっぱり、怖い?」
「わー、あれが実物大のガンダムかあ。はじめてみたなあー」
「おいこら、話を逸らす、なっ、とぉ!?」

 ずるりと滑って、シイナが転んだ。
 ふわふわのモコモコを着込んでいるので、そのままバウンドして弾みそうだったが、無様に転がって手足をばたつかせている。
 やれやれとトゥリフィリは、手を貸してやった。

「ふー、ありがと。わたし、寒いのダメでさあ」
「ノリトとかキジトラ先輩に代わってもらえばよかったのに」
「フィー、あのね……あそこに、実物大のガンダム? っての、あるじゃん?」
「うん」
「確か、この近くにガンダムのアレコレを売るでっかいショップがある訳で。で、想像してみ?」
「うっ……あかんやつだね、ダメなやつだ。あの二人に見せちゃいけない案件だった」
「でしょ」

 よいしょ、とじじむさいことを言いながらシイナが立ち上がる。
 彼が言う通り、トゥリフィリは最近少し悩んでいた。とてもささやかで、頭が痛む類の悩みではない。ただ、時折ときめく自分に驚くし、戸惑っているのだ。
 かつて自分をムラクモ機関の備品だと言った少年は、トゥリフィリのなんなのか。
 仲間なのか部下なのか、それとも……多くの人が望むように、救世主(メシア)なのか。
 それを確かめ伝えるためにも、生き延びなければいけない。生きて再びナガミツに会うため、トゥリフィリはシイナと共にエリヤのあとを追いかけ始めるのだった。

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