異界と化した東京タワーは、まだまだ先へと
その周囲は
虚空の闇の中、ゆっくりと空中の人竜ミヅチが振り返る。
「あら、トゥリフィリ……やっぱり辿り着いたわね。とても優秀だわ」
そこにもう、美貌の女総長の姿はなかった。
かつてムラクモ機関を率いた女性は、魔性に
まさしく、人を捨てた竜の
「ナツメさんっ! 本当にもう、ナツメさんは」
「そんな名前は捨てたわ……人間の弱さと共にね」
「……どうして」
「どうして? ふふ……ドラゴンの研究を進める中で、以前からの疑念は確信に変わったわ。どの竜検体も、私に真実を語ってくれたのよ」
そして、
ドラゴン、すなわち竜と記憶される究極生物。それは、決して空想から生まれた怪物ではない。確かに実在した驚異故に、人々は物語の中で恐怖を語り継いできたのだ。
摂理の代行者として、全てを喰らう暴力の
「そんなドラゴンが、ふふ……遺伝子構造の中に、人間のDNA情報を持っていたのよ」
「えっ……それって」
「人間だけじゃないわ。この世のあらゆる動物、植物、そしてあらゆる物質の化学式を内包していた。さらには、まだ見ぬ謎の生物、未知の物質まで記録されている」
――ドラゴンとは、なにか?
竜災害をもたらした謎の驚異、人類文明を脅かす外敵……だが、それ以上の意味があるというのか? それを探す中で、ナツメは堕落したのだ。
竜が持つ神秘の力に、魅了された……そこには、彼女が求めていた全てがあったのだ。
「なんでもできるということはね、トゥリフィリ……なにもできないのと同じよ。あらゆる能力に秀でた私には、
ゆっくりと、トゥリフィリの前に人竜ミヅチが近付いてくる。
しかし、トゥリフィリは動けない。
まるで根が生えたように脚が動かず、痺れるように手が強ばる。動かなければやられる、必殺の距離で醜悪な笑みが歪んで見えた。
人竜ミヅチの目には、濁った闇が混沌となって渦巻いている。
「素晴らしい力! これが、S級能力者をも凌ぐ……私を見下した連中をも凌駕する、力! ……ねえ、トゥリフィリ。優れた才能を持つ
「なっ、なにを」
「竜の力は、神にも等しい……
「――けないで」
「あら、なにかしら?」
「ふざけないでっ!」
トゥリフィリは精一杯、目の前の人竜ミヅチを睨み返した。
震える声が上ずって、上手く言葉が紡げない。
それでもトゥリフィリは、かつてナツメだった者へと叫んだ。
「神様がいるかどうかは、知らないっ! わからない! でも、それを信じる人がいる……そういう人たちを守るのが、ぼくの仕事なんだっ!」
「仕事……とても退屈な、くだらない概念だわ」
「竜の正体や、その意味はわからないよ。でも……竜は神様なんかじゃない! ただ力を持ってるだけじゃ、神様になんてなれない!」
ピクリ、と人竜ナツメが頬を震わせた。
その視線が、
蛇に睨まれた蛙に等しい状況だったが、トゥリフィリは精一杯の声を張り上げる。
「竜だって神様だって、ううん……どんな存在だって、平和に暮らす人たちを
「……言いたいことはそれだけかしら? そう、つまらない娘」
「ナツメさん、いや……人竜ミヅチッ! ぼくは最後まで、諦めない。一人じゃないから、諦めてなんかやらない!」
「これだけの才能がありながら……私、貴女のことは買ってたのに。残念ね」
ドサリ、と背後になにかが落ちてきた。
肩越しに振り返って、思わずトゥリフィリは絶叫を迸らせる。
「――ッ!? 嘘……ナガミツちゃん! キリちゃんっ!」
そこには、血塗れで倒れる二人の仲間がいた。
仲間だったと、過去形でしか語れない姿に絶句する。
次の瞬間には、トゥリフィリは金縛りも忘れて二人へと駆け寄った。
ナガミツもキリコも、息をしていない。心の臓は鼓動を忘れ、冷たくなっていた。そんな二人を抱き寄せれば、背後に殺意が迫る。
「お別れね、トゥリフィリ。二人と同じあの世に行きなさい……フフフ、アハハハハハ!」
鋭く尖る尻尾が、
思わず、ナガミツとキリコを強く抱き締め、目を
だが、その時……不意に懐かしい声が降ってきた。
「フィーよぉ……諦めちまうのかい? お前さん、そんな聞き分けのいい女じゃないだろ。なあ」
同時に、人竜ミヅチが下がった。
薄れる殺気との間に、
それは、人の身に竜の力を招いた、もう一人の男。
竜へと堕したミヅチの前に、タケハヤは人類として立っていた。
その背に広がる蒼い翼が、ビリビリと帯電して光っている。
「お前はっ! ……死に損ないがあ!」
「そうさ、死に損なったぜ……手前ぇに一発、お見舞いするためにな!」
「その姿、まさかドラゴンクロニクルを?」
「ああ……長くは持たねえ。けどな! ダチを、仲間を守れるなら……一秒でも! 一瞬でも! 長く! 手前ぇと戦ってやる! かかってこいよ……戦ってやるって言ってんだよ!」
そして、人間の常識を超えた戦いが始まった。
突風に晒されながら、トゥリフィリは二人を見上げる。そこには、二匹の竜となって互いの尾を
防戦一方の人竜ミヅチは、悔しげに奥歯を噛みながら怒りを叫ぶ。
だが、タケハヤの圧倒的な闘志が、この場の空気を支配していた。
気付けばトゥリフィリは、自分を呼ぶ声で振り向く。
「無事かい? シロツメクサちゃん」
「あ……カジカ、さん。ナガミツちゃんが……キリちゃんも」
「無茶したみたいだねえ。どれ、おじさんが見てみよう。こういう時に備えて、ムラクモ機関が研究してきたナノマシン制御技術がある。まあ、
そこには、いつもと変わらぬカジカの姿があった。
普段通りの仲間の顔に、思わずトゥリフィリは涙が溢れそうになった。
だが、決して瞼を決壊させることはない……まだ泣いては、駄目だ。
「カジカさんっ! 蘇生をお願いします。その間に、ぼくはタケハヤさんを」
「あいよ。彼ももう、長くは……でも、その貴重な時間を使わせてもらうよん?」
トゥリフィリは銃を抜いた。
一度だけちらりと、ナガミツを見て、キリコを見て、誰にともなく頷く。そうして彼女は、人知を超えた戦いの中へと飛び込んでいった。