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 トゥリフィリを救ったのは、金髪の美少女。
 可憐なゴシックロリータの乙女にしか見えない、シイナだった。彼女の拳は今、人竜(じんりゅう)ミズチの触手を受け止めている。僅かに滲む血が、袖口から滴り落ちていた。
 あのタケハヤでさえ、互角に戦うのが精一杯だった。
 人を捨て竜へと()したその一撃を、シイナは受け止めていた。

「イチチ……やっほー? フィー、追いついたよん」
「シ、シイナ!」

 そのままシイナは強引にさばいて、ミズチの尾を弾き返す。
 いつも通り適当に構えて、シイナは両の拳を握っていた。
 ちっぽけな女装少年を見下ろし、ミズチが(くちびる)をニイイと釣り上げる。

「あら……駄目じゃない、シイナ。私の前に立ち塞がるなんて」
「そぉかなあ?」
「そうよ、駄目。許せない……あらゆる生命の頂点に君臨する私を! 生命としての価値を持たない貴方(あなた)が! それは、全知全能の人竜ミズチに対する冒涜(ぼうとく)よ!」

 そして、トゥリフィリは初めて聞かされる。
 ゆるゆると宙に浮かぶミズチが、侮蔑(ぶべつ)の視線でシイナをねぶりながら語り始めた。

「シイナ……その名の意味は、(しいな)。実らぬ稲穂(いなほ)……貴方は次代へ遺伝子を残せぬ、生命として欠陥品の失敗作だわ」

 シイナは背にトゥリフィリを(かば)いながら、黙って動かない。
 冷たい風にツインテールを揺らして、彼は無言でミズチを見上げ続けていた。

「生殖能力を持たない(ゆえ)、親に捨てられた子。その力が、S級能力者の運動能力がなければ、全くの無価値な存在。さあ、どきなさい……戦う意味さえない、欠陥品さん」
「……ほんで?」
「――ッ! 下がりなさいな! 殺せば一瞬、その刹那すら惜しい程に貴方は無価値なのよ! そんな貴方が……私の邪魔をする。許せない!」
「ほうほう! そいで? もう、いいかにゃー? ……じゃあ、行くよっ!」

 瞬間、タン! とシイナが地を蹴った。
 高々と飛翔する彼に向かって、ミズチから爆炎が放たれる。
 だが、トゥリフィリは目を疑った。
 シイナは三角跳びの要領で、捻れて伸びる東京タワーの鉄骨を蹴る。その反動で、燃え(たぎ)る業火の奔流(ほんりゅう)を避けた。
 驚きに目を見張るミズチの、驚愕(きょうがく)の表情。
 トゥリフィリも驚きを禁じえない、S級能力者から見ても常軌を逸した(はや)さだった。

「なっ、馬鹿な! この私の反応速度を! 竜の反射神経を!」
「あーもぉ、うっさい! せーのっ、パンチッ!」

 無造作に振りかぶった拳を、ハンマーのようにシイナは振り下ろす。その一撃が、ミズチの顔面を捉えた。信じられないことに、ミズチは避けようとする素振りすら見せることができなかった。
 トゥリフィリの目にも今、まるでコマ送りの途中をスッ飛ばしたように見えている。
 吹き飛ぶミズチの尾の一本を、シイナは鷲掴(わしづか)みにするや叫んだ。

「ノリト君っ! もうちょい、ちょうだい! もっとゲイン、アゲアゲでっ!」

 シイナの声が吸い込まれる先を、トゥリフィリは振り返る。
 そこには、ブルブル震えながらも光学キーボードを叩く少年の姿があった。ノリトは今、カジカの作業の一部を片手でサポートしつつ、もう片方の手でせわしなく指を踊らせている。
 ハッカー特有の援護は、仲間の身体能力を飛躍的に向上させる。
 高度なプログラミング技術とクラッキング能力の前では、人間は全て制御可能なコードの(かたまり)だ。神経という名の回路を全身に張り巡らせ、電気信号で動く人形に過ぎない。その人形にある意思は操れないが、意思が動かす肉体に干渉するのが情報技能Sランクの力なのだ。

「シッ、シシ、シイナ! やめたまえ、これ以上は!」
「んー、いーから、いーからっ! 速攻できめちゃるもんね……おりゃあああっ!」

 掴んだミズチの尾を、強引にシイナが引っ張る。
 見えない力で羽撃(はばた)くミズチが、まるで風船のように軽々と引き寄せ得られた。
 問答無用でシイナは、表情を凍らせたミズチに回し蹴りを見舞う。バキバキと骨の砕ける音が、はっきりと聴こえた。脇腹に痛打がめり込み、ミズチは紅白の鉄骨へと叩きつけられる。
 そして、カジカの言葉でトゥリフィリもようやく異変に気付いた。

「ノリト君さあ……も少し上げても大丈夫かな。ほら、あの子は強いから」
「で、でも、カジカさんっ!」
「彼が一秒でも、一瞬でも長く時間を稼ごうとしてくれてるからねえ。あ、ほら、ちょっと反応が……蘇生、いけるかもしれないな、こりゃ」
「あ、そっちにリソース回します! あとは……しゃーないっ、シイナ! 二人が起きる前に片付けちまえっ!」

 再びノリトがエンターキーを押下(おうか)する。
 一瞬ゆらりと揺れたシイナは、まるで分身したかのように残像を刻んで走り出した。そのまま、どうにか立ち上がったミズチへと吸い込まれてゆく。
 ミズチが恐怖に顔を(ゆが)めるのを、トゥリフィリははっきりと見た。
 そして、理解した……今、ノリトの力でシイナは普段の何倍もの身体能力を得ている。しかもそれは、シイナの肉体的な限界を超えた、いうなれば全身強化のオーバードーズだ。

「シイナッ、もうやめて! 身体がもたないよっ!」
「んー、平気、平気! フィーさぁ……女の涙は最終兵器、ちゃんとナガミっちゃんのためにとっとかなきゃ」

 慌ててトゥリフィリは(ほお)(ぬぐ)う。
 シイナは、ミズチが苦し紛れに繰り出した手刀を避ける。鋭い爪が彼のエプロンドレスを引き裂いた。だが、そのままシイナは腕を掴んで肘関節を破壊し、そのまま強引に中空の大地へと叩きつけた。
 クレーターが穿(うが)たれた中央で、ミズチが悲鳴を噛み殺した。
 ミズチを投げた反動で浮き上がるシイナが、トドメの拳を真下へ突き落とす。
 血飛沫(ちしぶき)が上がって、一瞬の静寂が訪れた。
 勝負はあったかに見えたが、耳障りな哄笑(こうしょう)が響き渡る。

「フフフ……アハハ! そう、そういうこと……そうよね、シイナ。貴方は使い捨てていい生命だもの。自ら捨て駒になって……お似合いね。なにも生めない、誰とも(はぐく)めない……そういう生命は、捨て身になるしかないもの」
「あーもぉ、うっさい! もいっちょ、喰らっ――!?」
「さっきの手応え……骨が砕けて腱が裂ける音。自分の力が、自分自身を食い潰す痛みはどうかしら? 人の身で私の領域に土足で踏み込んだ……その代償を血で(あがな)いなさい!」

 先程の血は、ミズチのものではなかった。
 限界を超えたシイナの、強化しすぎた筋力が自分自身を破壊し始めた、その流血だったのだ。それでも彼女は、身を起こすミズチへ最後の一撃を引き絞る。
 ブンブンと回した右腕に拳を握って、オーバーハンドのパンチが放たれた。
 だが、ミズチは無数の尾を広げて自分を立たせ、そっと手を伸べる。

「ぐっ、ぎっ……あ、やば……シイナちゃん、ヒロインがしちゃいけない顔になって、る……けどっ! 終わらせられるなら、ここで終わりにするから!」
「終わるのは貴方よ。ああ、そうそう……始まってすらいない、実らずの穂。植える価値のない作物。文字通り、なにも残さず死になさい!」

 真っ直ぐミズチへ飛び込むシイナへと、氷の刃が伸びてゆく。ミズチの手から放たれる凍気が、あっという間に虚空の闇を凍らせていった。
 だが、シイナは避けない。
 そのまま彼女は、胸を貫かれて止まった。
 伸ばした拳は、ミズチの鼻先でピタリと止まる。
 ――(はず)、だった。

「……な、なに? 心の臓を穿ち貫いたわ。何故(なぜ)……どうして!」

 シイナは、一歩だけ、己に刺さる氷柱を深々と迎えて踏み込んだ。そして、拳を解いた手で、弱々しくミズチの頬を叩く。
 血を吐く彼の震える声が、それが最後の一撃となった。

「は、は……恥ずかしい、女……穂は実ら、ず、とも……花咲け、乙女、って……種も実もなく散っても、いいじゃ、ん……土に還れば、誰か、の……糧と、なる、から」

 ミズチが無表情に戻って、クイと手首を返した。
 シイナは出血と同時に、背中に無数の氷の刃を生やし……内側から切り裂かれて倒れた。その屍を乗り越えるミズチは、トゥリフィリに改めて憤怒の形相を向けてくるのだった。

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