トゥリフィリを救ったのは、金髪の美少女。
可憐なゴシックロリータの乙女にしか見えない、シイナだった。彼女の拳は今、
あのタケハヤでさえ、互角に戦うのが精一杯だった。
人を捨て竜へと
「イチチ……やっほー? フィー、追いついたよん」
「シ、シイナ!」
そのままシイナは強引にさばいて、ミズチの尾を弾き返す。
いつも通り適当に構えて、シイナは両の拳を握っていた。
ちっぽけな女装少年を見下ろし、ミズチが
「あら……駄目じゃない、シイナ。私の前に立ち塞がるなんて」
「そぉかなあ?」
「そうよ、駄目。許せない……あらゆる生命の頂点に君臨する私を! 生命としての価値を持たない
そして、トゥリフィリは初めて聞かされる。
ゆるゆると宙に浮かぶミズチが、
「シイナ……その名の意味は、
シイナは背にトゥリフィリを
冷たい風にツインテールを揺らして、彼は無言でミズチを見上げ続けていた。
「生殖能力を持たない
「……ほんで?」
「――ッ! 下がりなさいな! 殺せば一瞬、その刹那すら惜しい程に貴方は無価値なのよ! そんな貴方が……私の邪魔をする。許せない!」
「ほうほう! そいで? もう、いいかにゃー? ……じゃあ、行くよっ!」
瞬間、タン! とシイナが地を蹴った。
高々と飛翔する彼に向かって、ミズチから爆炎が放たれる。
だが、トゥリフィリは目を疑った。
シイナは三角跳びの要領で、捻れて伸びる東京タワーの鉄骨を蹴る。その反動で、燃え
驚きに目を見張るミズチの、
トゥリフィリも驚きを禁じえない、S級能力者から見ても常軌を逸した
「なっ、馬鹿な! この私の反応速度を! 竜の反射神経を!」
「あーもぉ、うっさい! せーのっ、パンチッ!」
無造作に振りかぶった拳を、ハンマーのようにシイナは振り下ろす。その一撃が、ミズチの顔面を捉えた。信じられないことに、ミズチは避けようとする素振りすら見せることができなかった。
トゥリフィリの目にも今、まるでコマ送りの途中をスッ飛ばしたように見えている。
吹き飛ぶミズチの尾の一本を、シイナは
「ノリト君っ! もうちょい、ちょうだい! もっとゲイン、アゲアゲでっ!」
シイナの声が吸い込まれる先を、トゥリフィリは振り返る。
そこには、ブルブル震えながらも光学キーボードを叩く少年の姿があった。ノリトは今、カジカの作業の一部を片手でサポートしつつ、もう片方の手でせわしなく指を踊らせている。
ハッカー特有の援護は、仲間の身体能力を飛躍的に向上させる。
高度なプログラミング技術とクラッキング能力の前では、人間は全て制御可能なコードの
「シッ、シシ、シイナ! やめたまえ、これ以上は!」
「んー、いーから、いーからっ! 速攻できめちゃるもんね……おりゃあああっ!」
掴んだミズチの尾を、強引にシイナが引っ張る。
見えない力で
問答無用でシイナは、表情を凍らせたミズチに回し蹴りを見舞う。バキバキと骨の砕ける音が、はっきりと聴こえた。脇腹に痛打がめり込み、ミズチは紅白の鉄骨へと叩きつけられる。
そして、カジカの言葉でトゥリフィリもようやく異変に気付いた。
「ノリト君さあ……も少し上げても大丈夫かな。ほら、あの子は強いから」
「で、でも、カジカさんっ!」
「彼が一秒でも、一瞬でも長く時間を稼ごうとしてくれてるからねえ。あ、ほら、ちょっと反応が……蘇生、いけるかもしれないな、こりゃ」
「あ、そっちにリソース回します! あとは……しゃーないっ、シイナ! 二人が起きる前に片付けちまえっ!」
再びノリトがエンターキーを
一瞬ゆらりと揺れたシイナは、まるで分身したかのように残像を刻んで走り出した。そのまま、どうにか立ち上がったミズチへと吸い込まれてゆく。
ミズチが恐怖に顔を
そして、理解した……今、ノリトの力でシイナは普段の何倍もの身体能力を得ている。しかもそれは、シイナの肉体的な限界を超えた、いうなれば全身強化のオーバードーズだ。
「シイナッ、もうやめて! 身体がもたないよっ!」
「んー、平気、平気! フィーさぁ……女の涙は最終兵器、ちゃんとナガミっちゃんのためにとっとかなきゃ」
慌ててトゥリフィリは
シイナは、ミズチが苦し紛れに繰り出した手刀を避ける。鋭い爪が彼のエプロンドレスを引き裂いた。だが、そのままシイナは腕を掴んで肘関節を破壊し、そのまま強引に中空の大地へと叩きつけた。
クレーターが
ミズチを投げた反動で浮き上がるシイナが、トドメの拳を真下へ突き落とす。
勝負はあったかに見えたが、耳障りな
「フフフ……アハハ! そう、そういうこと……そうよね、シイナ。貴方は使い捨てていい生命だもの。自ら捨て駒になって……お似合いね。なにも生めない、誰とも
「あーもぉ、うっさい! もいっちょ、喰らっ――!?」
「さっきの手応え……骨が砕けて腱が裂ける音。自分の力が、自分自身を食い潰す痛みはどうかしら? 人の身で私の領域に土足で踏み込んだ……その代償を血で
先程の血は、ミズチのものではなかった。
限界を超えたシイナの、強化しすぎた筋力が自分自身を破壊し始めた、その流血だったのだ。それでも彼女は、身を起こすミズチへ最後の一撃を引き絞る。
ブンブンと回した右腕に拳を握って、オーバーハンドのパンチが放たれた。
だが、ミズチは無数の尾を広げて自分を立たせ、そっと手を伸べる。
「ぐっ、ぎっ……あ、やば……シイナちゃん、ヒロインがしちゃいけない顔になって、る……けどっ! 終わらせられるなら、ここで終わりにするから!」
「終わるのは貴方よ。ああ、そうそう……始まってすらいない、実らずの穂。植える価値のない作物。文字通り、なにも残さず死になさい!」
真っ直ぐミズチへ飛び込むシイナへと、氷の刃が伸びてゆく。ミズチの手から放たれる凍気が、あっという間に虚空の闇を凍らせていった。
だが、シイナは避けない。
そのまま彼女は、胸を貫かれて止まった。
伸ばした拳は、ミズチの鼻先でピタリと止まる。
――
「……な、なに? 心の臓を穿ち貫いたわ。
シイナは、一歩だけ、己に刺さる氷柱を深々と迎えて踏み込んだ。そして、拳を解いた手で、弱々しくミズチの頬を叩く。
血を吐く彼の震える声が、それが最後の一撃となった。
「は、は……恥ずかしい、女……穂は実ら、ず、とも……花咲け、乙女、って……種も実もなく散っても、いいじゃ、ん……土に還れば、誰か、の……糧と、なる、から」
ミズチが無表情に戻って、クイと手首を返した。
シイナは出血と同時に、背中に無数の氷の刃を生やし……内側から切り裂かれて倒れた。その屍を乗り越えるミズチは、トゥリフィリに改めて憤怒の形相を向けてくるのだった。