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 夕暮れ時、トゥリフィリは今日も無事に都庁へと帰還した。
 勿論(もちろん)、ナガミツも一緒だ。
 もはや我が家のように感じる都庁の庁舎は、夕日に長い影を引きながら出迎えてくれる。しかし、様子が変だ。家族も同然の仲間たちが待つ、仮初(かりそめ)の我が家……その中から、強烈な存在感を感じるのだ。

「ナガミツちゃん、なんか……あれ? この感じって」
「フィーも気付いたか。このデカい威圧感、帝竜(ていりゅう)並だぞ」
「エントランスだね、行ってみよう!」

 駆け出せばすぐに、入り口が見えてくる。
 だが、歩哨に立っている自衛隊の隊員たちも、顔色が明らかに悪い。まるで、極度の緊張状態に萎縮しているみたいだった。
 いよいよトゥリフィリは異変に身構え走る。
 横から追い越して前に出たナガミツは、(すで)に戦闘態勢に入っていた。
 そして、人だかりが二人を出迎えてくれる。
 その中で振り向いたのは、キジトラだった。

「おう、フィーか。ナガミツも御苦労」
「御苦労、じゃねえよ。なんだこりゃ? いつから都庁は迷宮(ダンジョン)化しちまったんだ?」
「フッ、貴様も冗談が言えるようになったとはな。だが、事態はそれ以上に深刻だ」
「とりあえず、この重てぇ()の持ち主をブッとばしてやる。……ここにゃ怪我人や病人もわんさかいるんだ。物騒な空気を撒き散らされちゃ、治るもんも治らねえ」

 そう、ナガミツの言う通り……氣とでも言うべき別種の空気にエントランスは支配されている。そしてそれを、人間以上にナガミツは感じているようだった。
 きっと、あの人が……ガトウが組手等の鍛錬で彼を鍛えてくれたのだ。
 そして、斬竜刀(ざんりゅうとう)が人の姿を模して鍛造された意味も、今ならわかる。
 マシーンである以上に鋭敏かつ繊細、そして多様性と柔軟性を併せ持つ。そういう姿は、まさに人間そのもの。人間の形が一番、人と共に歩むには好都合だったのだろう。

「ちょっと待って、ナガミツちゃん。でも、なんか」
「フィー、下がってろ。……やべえ奴だってのは、俺にもわかるからよ」
「う、うん。危険は危険なんだけど、こう……ドラゴンやマモノとはちょっと違うというか」

 だが、ナガミツはポンとトゥリフィリの頭を撫でて、人垣に分け入ってゆく。
 慌てて追いかければ、開けた視界の真ん中に一人の女性が立っていた。
 年の頃は三十代半ば程だろうか? もっと若く見えるが、その静かなアルカイックスマイルには老成した瞳が浮かんでいる。
 そして、顔立ちや雰囲気は一人の少女を思い出させた。
 和服姿で太刀(たち)(たずさ)えた貴婦人に、思わずトゥリフィリは声が震える。

「えっ……キリちゃん!? じゃ、ない、けど……じゃ、じゃあ、もしかして」

 そう、艶めく黒髪の女性はキリコに似ていた。
 瓜二(うりふた)つと言ってもいい。
 あと二十年もすれば、キリコもこういう和装美人になる、そんな予感さえあった。
 だが、全く違うのは、周囲の人間を戦慄させるかのようなその存在感だ。
 追いついてきたキジトラが、ナガミツを引き止めた上で説明してくれる。

「あれはキリ坊の母親だそうだ。つまり……先々代の羽々斬(ハバキリ)巫女(みこ)という訳だ」
「お母さん? 確かにそっくりだけど」
「……そうかよ、そういうことかよ。おいキジトラ、放せ。一発ブン殴ってやる」

 (たけ)るナガミツの憤りを、すぐにトゥリフィリは察した。
 同時に、一発どころか近付くのも無理だと察する。
 ここにいる避難民や、ムラクモ機関の職員たちをも金縛りにしてしまう、圧倒的な氣……決して臨戦態勢ではないし、ただ立っているだけで全てが制圧されていた。
 いわば、先々代の巫女の領域に、都庁全体が飲み込まれてしまったかのようだ。
 思わずトゥリフィリがゴクリと(のど)を鳴らせば、ふと(くだん)の女性が見つめてきた。
 目が合った時、トゥリフィリは鼓動も呼吸も支配されたように動けなくなった。まるで、(へび)(にら)まれた(かえる)……だが、視線を伝ってくるのは敵意や害意ではない。
 そうこうしていると、キジトラがナガミツをなだめつつ前に出る。

「ナガミツ、俺様は止めてる訳じゃない。既に気持ちは同じ……少なくとも、事情の説明を求めねば気が済まん。キリ坊は巫女であるまえに、俺様たちの仲間。違うか?」
「そうだ……力ずくでも話させてやる。キリの野郎をどこにやったかな」
「だが、落ち着け。見ろ、ただああして立っているだけで隙が全くない。あの女の前に出ることすらできんぞ。ここはフィーも交えて作戦を――」

 その時だった。
 事態を見守るトゥリフィリの左右から、一組の男女が躍り出る。
 それは、この場の誰よりも怒りを隠せぬ少年少女……に、見える少年二人組だ。
 ノリトとシイナは、慌てて並ぼうとするキジトラやナガミツを手で制する。

「フッ、キジトラ先輩が出るまでもありませんよ……ここは私たちにお任せを」
「あっ、ノリト君さあ。それ、駄目なパターンのやつじゃない?」
「なにを言うのです、シイナ。私は、私たちは負けません……私はこの戦いが終わったら、キジトラ先輩と一緒にナガミツをリオレウス捕獲クエに連れ回さねばなりませんので」
「だからさあ……ま、いっか。ちょっちねー、イラッとすんだよねえ」

 二人は、キリコと一緒にずっと戦ってきた。トゥリフィリやナガミツが苦しい戦いを乗り越えられたのは、こうしたサポートしてくれる仲間たちがいたからである。
 いわば、ノリトとシイナにとってキリコは、妹であり弟だったのだ。
 特殊な状況下で無理矢理に姉を詰め込まれ、凶祓(まがばらい)の巫女として仕立て上げられたキリコ。心身共に不安定な中、彼女は竜災害の中で戦い抜いた。それは全て、彼女を想う仲間たちがいたからだ。
 勿論、トゥリフィリだって同じ気持ちである。
 だが、どうしても先程の目……先々代の巫女の寂しげな瞳が忘れられない。
 そうこうしていると、身構えるシイナとノリトを見て、かつての巫女が口を開いた。

「あら、今回のムラクモ機動13班は元気がいいのね。あのガトウが買ってただけはあるかしら? フフフ」

 その言葉と同時に、ノリトとシイナが叫んで走り出す。
 あっという間に二人は、阿吽(あうん)の呼吸でS級能力者(エスきゅうのうりょくしゃ)の力を解放した。

「友に捧げる、これは讃歌! キリコの居場所、お教え願いたい……モルトヴィヴァーチェ!」
「親ならもっと、キリちゃんのことわかってよ。子の心親知らずって、本当に辛いんだ、からっ、ねっ!」

 ノリトが広げた光学キーボードが、無数に電子音を連鎖させる。あっという間に、相手をハッキングが襲った。人間は全て、全身の神経に電気信号を巡らせて生きている。その流れを乱す要領は、コンピューターに対する攻撃と同じだ。
 そして、相手の動きを鈍らせたところにシイナが(こぶし)を振りかぶる。
 だが、次の瞬間にトゥリフィリは目を見張った。

「シイナ! ノリト!」

 先々代の巫女は、その場から全く動かなかった。
 ただ、ノリトの放った神経攻撃を受け切った上で、僅かに手元の空気を歪めて(にじ)ませる。一拍遅れて、チン! と鍔鳴(つばな)りの音が響いた。その時にはもう、ノリトが「アワビュ!」と痛打を受けて崩れ落ちる。
 同時に、殴りかかったシイナの一撃が、そっと伸べた手で止められていた。
 僅か一瞬の出来事で、トゥリフィリは勿論ナガミツにさえその挙動は見えなかったようだ。そして、背後に息せき切って駆けつけたキリノの声が響く。

「ハァ、ハァ……貴女(あなた)は、どうして……今更どうして、こちらに。何故(なぜ)ですか、キリコさん。いえ……羽々宮断(ハバミヤタチ)さん!」

 タチ、それが名か。
 彼女はシイナをそっと押し返すや、その額を指で弾いた。そう、いわゆるデコピンである。だが、屈強なデストロイヤーであるシイナが、まるで脳震盪を起こしたようにその場に(ひざ)を付く。
 そして、怜悧(れいり)な声は静かにこの場の全てを硬直させた。

「遅れてごめんなさい。まあ、ちょっと息子の……新しい巫女の世話になった場所に、挨拶しておこうとおもってね」

 フフフと笑う白い顔は、その目だけが笑っていなかった。
 そして、タチから驚きの言葉が出て、トゥリフィリは驚き詰め寄ってしまうのだった。

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