その日の夜を、ムラクモ機関の誰もがまんじりともせずに迎えた。
トゥリフィリは一人、ラウンジでメロンソーダを泡立てている。こんなことをしててもしかたがないのだが、今日はしばらく寝付けそうもない。
被災状況が落ち着いたからか、ラウンジの一角にあるこのバーも賑わっている。
ただ、今日はトゥリフィリの
「シロツメクサちゃんさあ、そりゃあおじさんだっていい気持ちしないよ? しないけど、まあ……古い家柄は大概、保守的を通り越して封建的、っていうか原始的? なんだよねえ」
「うん……けど」
「それはそうと、少年はどしたの?」
「ナガミツちゃんは、キジトラ先輩と汗を流してくるって。じっとしてられないみたい」
カウンターに並んで座るのは、ウィスキーを飲むカジカだ。
そう、ナガミツは今頃キジトラと組手でもしてるだろう。
近頃はナガミツは、会話の言葉遣い、言葉の選び方が柔らかくなってきた。以前の、自分が機械だという前提条件を押し出してこない。
ナガミツは
けれど、抑えきれぬいらだちを発散するために、自然とそういう表現が出たのだろう。
こういう時、男の子はいいなあと少し思うトゥリフィリだった。
「まあ、ぼくも一暴れしてきてもいいんだけど、さ」
「そぉだねえ。ま、気をもんでもしかたないサ。……やるせないんだけどね。これがまた、同じ大人として情けないやらだらしないやら」
そんなこんなで、二人で煮え切らないまま静かに飲む。
こういう時は、大人はお酒を飲めるからいい。メロンソーダじゃ酔えないし、酔って本当にアレコレ忘れられるかをトゥリフィリは試したことがない。
ただ、記憶にちょっとだけある両親は、お酒を飲む時はいつも笑ってた。
辛い日の酒は、きっと見えないところで飲んでたのだろう。
そう思っていると、静かに目の前にガラスの器が差し出された。
今ではめったに手に入らない、アイスクリームだ。小さくフルーツが添えてあって、簡素ながらも彩りが目に優しい。
「これはサービスさ、お嬢さん。はは、泣く子も黙る13班の班長……こんなかわいい女の子がやってるなんてな」
「ど、ども……えっと、お兄さんは」
「俺はカグラ。お嬢さんと同じトリックスター、
見上げれば、長身のバーテンダーが人懐っこい笑みを浮かべていた。整った顔立ちに穏やかな物腰で、いわゆるイケメンというやつだ。
だが、カジカがすぐに言葉を挟んでくる。
「シロツメクサちゃん、気ぃつけなー? こいつ、元々はホストだから」
「おいおい、カジカさん。そっちは今は休業中さ。今はしがない雇われバーテンダー、あとはまあ、運転手かな? マモノ退治もぼちぼちって感じ」
なるほど、カグラは13班の新顔さんのようだ。
立ち上がったトゥリフィリは、お礼と共に手を伸ばす。
「ありがとうございます。あと、よろしく。ぼくが一応、班長のトゥリフィリです」
「ああ、俺こそよろしくな。それで? なんでシロツメクサちゃん、なんだい?」
「それはカジカさんが……ぼくの名前は、幸運を呼ぶ四葉のクローバーだって」
「ああ、なるほど。シロツメクサの花言葉は『幸運』だ。それと『私を思って』『約束』そして……『復讐』」
「あ、なんかホストさんっぽい」
「はは、だろ?」
気さくな笑みを浮かべつつ、オーダーが入ってカグラはカクテルを作り始める。その所作は、まるで臨時のバーテンダーには見えない。
流れるようにシェイカーへと、きっちり分量を測られた酒が注がれる。
それを両手で振り始めれば、周囲の女性たちの視線がトゥリフィリの頭上を飛び交った。イケメンという人種は、本当になにをやっても絵になるからお得である。
だが、次々とカクテルを作りながら、カグラは独り言のように話し出した。
「店が竜災害でやられちまってな……仲間たちもみんな、
「みんな、大変でしたよね。うん……今もまだ、ちょっと大変かも」
「違いない、でも俺は幸運だったんだ。ブルッて縮こまってるとこを、そこのカジカさんに拾ってもらえたからな」
不意に話題を振られて、カジカはトゥリフィリの視線から目を逸らす。
このカジカという人は今も、トゥリフィリにとって謎のおじさんだ。
縁の下の力持ちというやつで、時々凄く頼りになるのだ。
あの戦いでもずっと、カジカは焦りや緊張、感情を荒げる姿を見せなかった。
そのことがどこか、精神的に多くの若者を無自覚に救っていたのだった。
「よしてよして、おじさんお調子者だからサ。調子に乗っちゃうよぉ、ハハハ」
照れてるカジカを見るのは、初めてかもしれない。
だが、そんな時だった。
ラウンジの億でエレベーターが、チン! と鳴る。開く扉ももどかしいのか、転がるようにして出てきたのはカネミツだ。ナガミツの予備パーツを使って生まれた、いわば斬竜刀の写しともいえる存在である。
そのカネミツが、トゥリフィリを見つけるなり駆けてきた。
「くっ、やっぱり一緒じゃねえ! あんのバカ……なんてことしでかすんだ」
「あれ、カネミツちゃん。どしたの?」
「どうもこうもねえ、ナガミツの奴……キジトラたちと京都に行きやがった!」
「……は?」
「俺たち回収班が使ってるワンボックスが、見当たらねえ! あっちにゃハッカーのノリトがいる、ちょっとしたロックなら秒で開けるぜ」
「……えええええっ!?」
一瞬、頭が真っ白になった。
けど、変な納得があって、むしろ心の中で悔しい気もした。誘われなかったのはきっと、ナガミツたちがトゥリフィリの立場を気遣ったからだ。凄く不器用な分、酷くわかりやすい。
巻き込みたくないから、黙って行ったのだろう。
けど、一言ほしかった気がする。
ゴメン、でもなく、スマン、でもなく……行ってくる、と言ってほしかった。
否、できれば……一緒に行こうぜ、と誘ってほしかったのである。
だが、
それは、素早くカジカが携帯電話を取り出すのと動じだった。
「シロツメクサちゃん、シイナちゃんとすぐに京都に飛んでねん? カジカ、車出してちょ。そうそう、東京駅。列車はこっちで手配するからサ。……ああ、もしもし? シイナちゃん、今どこ? ああ、はいはい、おじさんの部屋ね」
え、と思ったが今は時間が惜しい。
とりあえず、アゼルには黙っておこうと心に軽く誓った。
「んじゃ、戸締まりだけよろしく。そうそう、合鍵はいつもんとこにねぇん? ……さて、と。シロツメクサちゃん」
「うん」
「止めても行くんだよねえ、こんな時……キミはさ」
「ごめんなさい、カジカさん。でも、ぼくも行かなきゃ。……仲間が、待ってる」
「うんうん、そうだね。勿論、おじさんも仲間だから送り出すよ。それも強力かつ
「はいっ! じゃあ、行ってきます」
その背を追って、トゥリフィリも走り出す。
いまだ連絡が途絶えて久しい、東京の外の世界……果たして、古都へと向かったナガミツは無事なのか?
だが、一つだけ確実なことがある。
ナガミツは絶対に、連れ去られたキリコを助け出してしまうだろう。
これと決めたらテコでも動かない、そんな相棒の意思の強さを思い出すと、自然とトゥリフィリも気が引き締まる思いだった。