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 頭上で鳴り響く、ベルの音。
 それは天使の福音にも似て、トゥリフィリを甘やかな眠りから引きずり下ろす。無意識に手を伸ばせば、自室と同じ場所に置いた目覚まし時計が黙った。
 そしてそのまま、トゥリフィリは再び睡魔に身を委ねる。
 かに思えた、その時だった。

「……ほえ? あっ、そ、そうだった!」

 不意に、冷たく硬い手が目覚まし時計ごとトゥリフィリを握った。
 隣から伸びてきた腕は、ナガミツのものだ。
 彼もまた、夢うつつといった様子でジト目を再び閉じようとする。
 だが、既にタイマー仕掛けのラジカセが鳴り出し、新しい一日は始まっていた。それなのに、トゥリフィリは赤面に思わず身を固くする。
 そんな相棒を一瞥して、ナガミツは再び寝入ってしまう。
 この東京で唯一のラジオ放送が今、高らかにDJの声を響かせていた。

『オッハヨーネー! 今日も世界救済会から、ベリベリハッピーな時間をお届けヨー!』

 チェロンの声は今日も弾んでいる。
 トゥリフィリは何度も口を開いては声を飲み込み、そして思い出した。
 気付けば自然と、そうだった。
 そうありたいと望んで求められた。
 自分はナガミツにとって、戦う理由。
 その意味を二人は、共有する中で自然と絆を深めていたのだった。
 だが、改めて二人の朝を迎えると、照れくさいなどというものではない。もはや、顔が熱く紅潮して言葉が見つからなかった。

「ナッ、ナナ、ナガミツちゃん! とりあえず起きて! 朝だよ、朝っ!」

 だが、ナガミツはもそもそとトゥリフィリの手を目覚ましからどける。
 しかし、手を放さない。
 そしてそのまま、トゥリフィリを抱き寄せ寝返りを打った。
 ひんやりとした包容の中で、ますますトゥリフィリは加熱してしまう。

「バッ、バカァ! 起きるの! ほら、シャンとして!」
「あと五時間……」
「お昼になっちゃうよ、それじゃあ……普通、五分とかじゃないの」
「……その気になれば三分で再起動可能だ」
「で、肝心のその気は?」
「まだ、ねぇよ」

 いかにも眠そうなことを言って、ナガミツはトゥリフィリを抱き締めた。不思議な肌触りが、下着の上から肌に浸透してくる。
 トゥリフィリは、ナガミツが優しく丁寧に接してくれているのを察した。
 まるで、恐る恐るというか、宝物を抱くような手触りだ。
 ぬくもりも柔らかさもないのに、不思議と気持ちがぽかぽかしてくる。
 だから、しょうがないなと苦笑しつつトゥリフィリも抱き返した。

『今日の東京、降水確率は……0%! 晴天ネー! まーさーにっ、春! SPRING!』
「ほらー、チェロンさんの天気予報が始まっちゃってるよー? ね、ナガミツちゃん」
「ん……フィーはぬくいからな……しょうがねえよ」
「しょうがなくなーい! ほら、起きて起きて!」
「あと五時間……」
「もー、ナガミツちゃんてばさあ」

 ここは都庁の最上階、予約が必要なVIPルームだ。
 京都での戦いから三ヶ月が経過し、年が明けて春が来た。まだまだ東京の復興は道半ばだが、確実に人類は立ち直りつつある。ヨーロッパやアメリカといった国々とも連絡が取れてるし、ここ最近は竜も出現していない。
 散発的に現れるマモノを処理しながらの、穏やかな日々が13班を包んでいた。
 だからといって、怠惰(たいだ)に二度寝を決め込む訳にもいかない。
 だが、究極の対竜兵装に甘えられると、悪い気がしないトゥリフィリだった。
 ドアが突然ガチャガチャ言い出したのは、そんな時だった。

「キリ様、鍵がかかってますっ」
「あれ、まだチェックアウトしてないのかな。……だよね、まだ七時だよ」
「でも、わたしはこのあと炊き出しの手伝いに行かねばなりません。午後はフレッサの助手として、避難民の検診に回るんです!」
「じゃ、じゃあ、ここは私がやっておくから――」
「いーえっ! キリ様のお手を(わずら)わせるなどっ。マスターキーを使いますっ」

 え、ちょっと待って。
 今日のトゥリフィリとナガミツは、久しぶりの半休なのだ。互いのスケジュールが噛み合った、またとない一夜を過ごしたあとなのである。
 午後からの任務があるが、起きたら二人でゆっくりモーニングコーヒー、そういう気分だったのだ。
 だが、無情にもバン! と扉が開かれる。
 そこには、割烹着(かっぽうぎ)姿に三角巾をかぶったアダヒメが仁王立ちしていた。
 彼女はベッドの上の二人を見るなり、耳をピコピコ揺らして真っ赤になった。

「まあ! ナガミツ! ようやく甲斐性を……じゃなくて、ええと、根性を? いえ、度胸がありましたね! ではありません! まあ……まあまあまあ!」

 言い訳のしようもない格好で、トゥリフィリはもはや笑うしかない。
 だが、じろりとアダヒメを見ても、ナガミツは興味なさそうに眠り続けようとする。
 あとから現れたキリコも、少し驚いたような、そして寂しいような嬉しいような、そんな笑みを浮かべるのだった。

「ヒメ、こっちの掃除はあとにしよ? トゥリねえ、ナガミツもごめんね。起こしちゃったよ、ねっ!? わわ、ちょっと、ヒメ?」
「いけませんっ! キリ様、見てはなりません! 男女の営み、(むつ)み合い、これすなわち……愛のまぐわいです! まだキリ様には早いのです!」

 アダヒメは慌ててキリコへ両手で目隠しをした。
 だが、いけませんと言いつつアダヒメ本人はガン見である。
 じーっと見詰めてくるので、酷くいたたまれない。

『さあ、今日はビッグイベントが控えてるネー! 現場から生中継、Are You Ready? OK! 東京スカイタワー、Come On!』
『はーい、こちら現場のアヤメでーすっ。本日快晴、今日は午後からここ、東京スカイタワーの復旧式典が行われます。ようやく全世界との、リアルタイム通信が回復するんですねー!』

 世界は今も動いている。
 再生へと突っ走っているのである。
 だが、トゥリフィリは固まったままだった。
 面倒くさそうに彼女を抱き上げたまま、ナガミツが舌打ちして身を起こす。

「なんだよアダヒメ、お前……掃除当番かよ」
「ええ! わたしもかなり仕事を覚えました」
「ああ、そうかよ。ご苦労さん」
「それより二人共、もう起きるのです。早起きは三文の得ですよ!」
「オカンかよ、お前なあ……わーったから、一度出てろって」

 キリコもうんうんと頷き、アダヒメの手を引っ張って出ていった。
 それを見送り、上手くやってるのかなとトゥリフィリは気付けば笑みが浮かぶ。意外なことだが、世間知らずで唯我独尊なアダヒメは、この都庁でボランティアの仕事を始めたのだ。一応、13班の補欠メンバーという扱いになってるが、毎日失敗を繰り返しながらも働いている。
 彼女のお目付け役は、キリコだ。
 縁浅からぬ二人は、同じ高家の出というだけではない。
 それがなんとなく、トゥリフィリとナガミツにはわかるのだ。
 気付いていないのは多分、キリコ本人だけだろう。

「やれやれ、行ったか……」
「キリちゃん、ちょっと元気になったね。……力、戻ってないんだよね」
「まだな。けどありゃ、俺と同じ斬竜刀(ざんりゅうとう)だぜ? キリの奴はそんなにやわじゃねえよ」
「うん」

 キリコの持つS級能力者(エスきゅうのうりょくしゃ)の力は、失われてしまった。もともと羽々斬(はばきり)の巫女として強力な異能の力を持っていたが、それは彼女の処女性と密接な関係にあったのである。純潔を失った巫女は、無力な14歳の少女に戻ってしまった。その中ででも、少年はもう前を向いているのである。

「よしっ、ナガミツちゃん。起きようっ!」
「しゃーねえか。今日は大した任務じゃねえが、気合入れていかねえとな」
「そだね。……気合、入れてあげよっか?」
「おう」

 クスリと笑って、トゥリフィリはナガミツに唇を寄せる。
 キスの下手な彼の唇は、静かな笑みでくちづけを迎えてくれるのだった。

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