スカイタワーの展望台にて、式典が始まった。
と言っても、
そんな空気の中で、トゥリフィリだけが妙な胸騒ぎを感じている。
それを
「なんだろう……胸がザワザワする」
「どうした? フィー」
隣のナガミツが、心配そうに顔を覗き込んでくる。その端正な顔に今は、パートナーを気遣う表情が浮かんでいた。親しい者でなければ、無表情の真顔に見えるのだが。
そんなナガミツに大丈夫だと返して、トゥリフィリは人々の中央へ視線を戻す。
今まさに、世界中のネットワークが復旧しようとしていた。
リアルタイムで声と声とが、再び地球を一繋ぎにしようとしている。
司会の青年が笑顔で、政治家たちをスイッチが並ぶ方へと誘導する。あのボタンが押されれば、再び人類の文明は歩き始める。
そう、信じていた。
「はい! それでは
鳴り響くファンファーレと共に、紙吹雪が舞った。
白い鳩が群れなし飛ぶ。その翼は、解放されていた天井の窓から空へと
だが、平和の象徴が飛び去る先に暗雲が漂っていた。
そして、すぐに異変はスカイタワーそのものを包み込んでしまう。
あっという間に、周囲が常闇に包まれた。
昼夜が逆転したかのような、突然の天変地異。
ざわめきが不安を広げてゆく。
「ナガミツちゃんっ! アヤメちゃんも!」
「は、はいっ! あの、フィー……こ、こここ、これって」
「……やべえな。人間でいう、
ナガミツの言う通りだ。
まるで肌がヤスリがけされているように、冷たい感覚に泡立っている。寒気というよりは、むしろ精神的な威圧感からくる冷たさだ。
身体の芯から凍ってゆくような感覚の中、頭の中に声が響く。
『……我らが家畜、人間よ。真竜ニアラが倒されたと聞いて来てみれば……この程度の文明とは、笑止』
心胆を寒からしめる、声。
どこまでも沈黙に沈むトゥリフィリたちと違って、展望台の人々は一瞬でパニックに陥った。全ての人間が持っていた希望が、一瞬で絶望に塗り潰されたのだ。
そこから先は、あの日の惨劇の繰り返しだ。
我を忘れて誰もが、エレベーターの前に殺到する。
すぐにトゥリフィリは、震える心に
危機に際してはベストを尽くす……そのためにムラクモ機動13班は存在するのだ。そして、13班でなければ対処できない危機だと、直感的に察してしまったのだ。
「アヤメちゃん! みんなの避難誘導!」
「は、はいっ!」
「ナガミツちゃんはぼくと来て! この上……屋根の上に、なにかがいる!」
「おう、行くか……ん、ちょっと待ってくれ、フィー」
アヤメは取り乱した様子だったが、すぐに恐怖を引っ込めてくれた。そうして、大慌ての大人たちに分け入ってゆく。
そんな人混みの片隅へと、ナガミツはゆっくり歩み寄って屈んだ。
そこには、大人たちに突き飛ばされて転んだ子供が震えている。
その目には、突然な上に正体不明な恐怖への、純粋な怯えが揺れていた。
「大丈夫か、ボウズ。ほら、立てよ」
「あっ、ああ……ざんりゅーとー、ナガミツ」
「おう。俺がちょっと見てくるからよ。ちゃんと逃げるんだぜ?」
「う、うんっ! 13班、負けないよね? またなにか来ても……や、やっつけてくれるよね?」
「当たり前だ、任せろ。だから、気をつけて降りな」
小さな少年の笑顔も、今は引きつっていた。
それでも、なけなしの勇気を総動員して彼は立ち上がる。
その頭をポンと撫でて、振り返るナガミツが
トゥリフィリはすぐに、天井に開かれた窓を見上げて走る。先程鳩が出ていったあと、そこには深い闇がこちらを覗き込んでいた。晴れ渡る蒼天は一瞬で、溢れ出た暗闇の向こうに消えてしまったのだ。
軽くジャンプして手を伸ばし、全身のバネで天井の向こう側へと駆け上がる。
そこには、高高度の寒さとは別種の空気が凍っていた。
「……ナガミツちゃん、あそこ。なにか、いるっ!」
続いて上がってきたナガミツが、瞬時に前に出て背にトゥリフィリを
二人の視線の先に今……あらゆる色彩を焼き尽くすかのような、暗い炎が燃えている。漆黒ににらいだその炎から、あらゆる負の感情が空へと撒き散らされていた。
その感触をトゥリフィリは覚えている。
決して忘れられない、怒りと憤りを煽る
いやがおうにも人間の不安を煽る、例の声が再び脳裏に響いた。
『ほう、狩る者か……真竜ニアラを
間違いない……悪意と害意の塊が放つ言葉だ。
トゥリフィリは銃を抜きつつ、必死で声を張り上げた。
「お前はっ、真竜! お前もまた……どうして? なにが目的なんだいっ!」
『愚か……我は、家畜に語る舌を持たぬ』
「また家畜って……ぼくたちを食べるなら、全力で抵抗するから! ぼくたちは家畜じゃない、この星の全ては
『語る舌を持たぬと言った! 我ら、星を喰らう者……宇宙の摂理にして真理』
「神様気取りじゃ、ぼくたちの意思は挫けないんだっ! 何度現れたって……ぼくは、ぼくたちは戦う!」
トゥリフィリの声に、ニヤリと笑う気配があった。
ゆらゆらと揺れる生きた闇は、深遠にも似た暗き淵で嘲笑う。
奈落の底から響くような声が、喉を震わせ笑っていた。
『生命……そう、生命! 我らが喰らう美味、愛しき糧!』
「ぼくたちだって、お肉やお魚、野菜を食べる。命をもらって、毎日生きてる! でも、お前たちは違う……ただただ愉しみのために、娯楽として命を
『左様、星を喰らうは我らの
振り向くと、後ろにアヤメがいた。
ちゃんと来賓の人たちはエレベーターで逃げたのだろう。避難誘導が終わったから、急いで下から駆け付けてくれたのだ。
だが、様子が変だ。
明るく元気な普段の姿は、豹変してしまっている。まるで心臓を直接握られているように、その場にへたり込んでピクリとも動かない。そして、可憐な表情は失われていた。
「あ、ああ……わ、わわわっ、わたし……駄目、無理……」
「アヤメちゃん! 無理しないで……直視しちゃ駄目、あれはあらゆる感覚を蝕み侵食してくる。自分をまずは守って! 心に忍び込まれないで!」
だが、ガタガタと震えながらアヤメは泣き始める。自分で流す涙さえも、彼女を凍えさせるように恐懼を倍増させていった。
ただ同じ場にいるだけで、トゥリフィリも心が削られそうになる。
突然現れた絶望は、静かにフォーマルハウトとだけ名乗るのだった。