人類は、空を取り戻した。
そして今、広がる
国会議事堂は人類の拠点としての姿を取り戻し、人々は安堵の中で静かに祈った。
多くの犠牲を強いられ、悲しみは留まるところをしらない。エメルの消滅、そしてショウジの死……ダイゴもまた消息不明と、ムラクモ機関は
それでも、ここから再び歩き出す。
そう誓ったトゥリフィリは今、医務室にいた。
「さ、フィー。あとはもう大丈夫。傷跡も、んー……そんなに大きくは残らないと思うわ」
フレッサの笑顔も、今日は心なしか明るい。
全ての検査と手当を終えて、包帯だらけのトゥリフィリは下着を身に着けた。以前の着衣はボロボロになってしまったので、新しい支給品が都合されるまでは簡素な入院着で過ごすことになる。
なんだか寝巻きのような浴衣のような、ちょっと心もとない一着だった。
「ありがとうございます、フレッサさん。あの、少し休んだ方が」
「いいのよ。重傷者はアゼルおじいちゃんが見てくれてるし。働いてた方が楽なこともあるのよね」
「それでも、です。これは13班の班長としてじゃなく、ぼくの個人的なお願い」
「……そうね。一段落したら、少し部屋に戻るわ」
今、ムラクモ機関の人員は皆、大忙しである。
国会議事堂のインフラも回復したし、突貫作業で建物全体が修復されているからだ。
そうした多忙の中で、誰もが悲しみを一時忘れて励む。
そして、ふとした瞬間に思い出して、
泣ける時に泣いておく、これはトゥリフィリも同じだった。
「さ、とりあえずなにか食べてらっしゃい。フィーも自分を大切にしなくちゃね」
「はい、フレッサさん」
「午後はまるまるお休みなんでしょう? 少しゆっくりするといいわ」
それだけ言ってそっとトゥリフィリの
立ち上がろうとして、少しよろけた。
傷も癒えぬまま、全身の疲労はピークを訴えてきている。
半日とはいえ、完全な休暇がもらえるのはありがたかった。
そう思っていた、その時だった。
不意に黒い影が忍び寄って、そっと脚にすり寄ってきた。
「わわ、犬? だよね? ちょっと見ない犬種……セラピードッグかな」
大きな黒い犬が、
トゥリフィリはあまり詳しくはないが、多分ボルゾイという珍しい種かもしれない。避難民の誰かが連れ込んでるのかと思って、そっと手を伸ばす。
頭を撫でてみれば、つやつやとした黒い毛並みが心地よい。
思わずトゥリフィリの表情に小さな笑みが咲いた。
だが、次の瞬間には仰天にひっくり返ることになる。
「フィー、俺だ。今、ボディがメンテナンス中でよ」
「ふぇ……? しゃ、喋った!?」
「この
犬が喋った。
犬型のロボットらしいが、どう見ても本物にしか見えない。
そして、その口から聞き慣れた声が響いていた。
そう、中にどうやらナガミツの人格と記憶が入っているらしい。
ナガミツ自身の肉体は損傷が激しく、ラボでの修理作業が始まっていた。
「カネミツだって、ゆずりはのスマホに入ってるだろ? 似たようなもんだ」
「そ、そりゃそうだけど……へえ、なんか、こう」
「……嫌か? 俺は、その、選択肢がなくてよ」
「ううん、なんかかわいい。あと、ナガミツちゃんはナガミツちゃんだから。最初はちょっとビックリしたけど」
ちょこんと座ったボルゾイナガミツは、ハッハッハと息を弾ませた。
トゥリフィリの言葉が嬉しかったのか、尻尾が千切れんばかりに振られている。
そんなナガミツを連れて、トゥリフィリは医務室を出る。廊下のそこかしこに負傷者が並んでいたが、心なしかその表情は明るい。終わりを待つだけの地下生活が終わって、再び人類の日々が始まったのだ。
それが戦いの連続だとしても、トゥリフィリは前を向いて歩こうと思う。
「ナガミツちゃんもじゃあ、午後は暇なんだ?」
「まーな。この身体じゃなにもできねえし」
「……そんなことないよ。ぼくの隣にいてくれるもん」
「おう」
とりあえず一人と一匹で食堂に向かう。
13班の面々は大半が激戦で疲弊し、ほぼ全員が休養に入っていた。当然、見知った何人かが食堂にいて、トゥリフィリを見るなり駆け寄ってくる。
「カカカッ! 班長、無事だったようだな。俺様もこの通り、ピンピンしてるぞ」
「というか、キジトラ先輩は肋骨を何本かやってるらしいんですが」
「フィーは平気? わたしは、大丈夫。カネミツもカネサダも、メンテが長引いてるけど」
あっという間に仲間たちに囲まれてしまった。
皆の笑顔を見て、ようやくトゥリフィリも平和を実感する。それが例え一瞬でも、うたかたの夢でも構わない。この瞬間を
そのためにこそ戦うのだが……同じ気持ちのナガミツが喋り出すと空気が凍った。
皆が真顔で、一匹の大型犬を見詰めて言葉を失う。
「いや、これしか躯体がなくてよ。ひでぇぜ、ラボの連中……ん? どした、キジトラ。みんなも」
そして、爆笑。
遠慮なく皆が声を上げて笑った。
指差し大爆笑のキジトラに、腹を抱えてのけぞるノリト。ゆずりはも顔をそらして
当然、ナガミツが不機嫌そうにヴウウっと唸る。
「ギャハハハハ! 見ろノリト! 犬だ、ナガミツが
「そこまで笑っちゃ悪いですよ、キジトラ先輩。……ップ! やばい、ジワジワきます!」
「お前ら、覚えてろよ……元の身体に戻ったら蹴り飛ばすからな」
そうしていると、キリコやアダヒメといった面々も集まってくる。
トゥリフィリが心配していたよりも、キリコは元気そうだった。あちこち絆創膏と包帯だらけだが、伸びに伸びた髪を切って今はこざっぱりとしている。
そのキリコも、ナガミツを見るなりプッと吹き出した。
「ナガミツ、お前……また随分とかわいくなっちゃったな」
「おいキリコ、お前まで」
「えっと、お手? お手できる? お手」
「やるかアホォ!」
と言いつつ、ちゃんとナガミツはキリコの手に右の前足を差し出した。
思わずトゥリフィリも、シュールな光景に笑みが溢れる。
彼氏が突然、わんこになってしまった。
そう、こんな姿でも今なら言える。
ぼくの彼氏、ずっと隣にいてほしい人だと。
「やめろキリコ! ……やめて、ください。ちょっと、凹んできたぜ。やめろ、って!」
ドスン! とキリコを鼻で突くナガミツ。
瞬間、ひああっ! と悲鳴が上がってキリコは崩れ落ちた。
「キリ様、やはりまだお体が」
「い、いや、あの術で復活してからこぉ、ずっと激しい筋肉痛が」
「あっ、これナガミツ! やめなさい、キリ様をチョンチョンしてはいけません!」
結局、助け舟を出したアダヒメがキリコを抱き上げた。
だが、様子がおかしい。
「……キリ様、復活されてから、その……乙女の香りが戻って、こう……はっ! い、いえ、いけません! いけませんが……ええ、キリ様。休養ですし、参りましょう」
「え、あ、ちょっと、アダ? あの、一人で歩けるから」
ムラムラと耳を揺らしつつ、アダヒメはキリコを
誰もが呆然とそれを見送り、同時にトゥリフィリを見やる。
ちょっと気恥ずかしいのは、食事の後はほぼ同じことを考えていたからだった。