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 また一つ、人類は竜検体(りゅうけんたい)を手に入れた。
 これで六つ目、残るは最後の一つのみである。
 全ての帝竜を倒し、七つの竜検体が集結した時……太古の神秘たる殺竜剣(さつりゅうけん)は蘇る。それは、トゥリフィリたち人類にとっての最後の希望だった。
 地下遺跡での傷も癒えた今、いよいよ戦いは最終局面へと突入しつつある。
 そんな中でも、非番ともなればトゥリフィリものんびり過ごしてた。

「……ナガミツちゃん、こういうのが好きなんだ?」

 うららかな午後、晴れ渡る空はどこまでも高い。
 ベンチに座ったトゥリフィリは今、ナガミツと肌で触れていた。
 周囲には人の気配はなく、静かに風だけが吹き抜けてゆく。
 フロワロと違って、揺れる周囲の花々はどれも眩しく世界を(いろど)っていた。
 そして、なんだかトゥリフィリもぼーっとしてくる。

「いや、なんつーか、本で見た。……重く、ないか?」
「ううん、平気。だけど……なんか、不思議な感じ」

 トゥリフィリは今、寝そべるナガミツに膝枕(ひざまくら)をしてやっていた。
 そっと髪を撫でれば、人間のそれとはまるで違う手触り。放熱ファイバーも兼ねたその毛髪は、つややかで指を清水のように流れてゆく。
 短く大雑把に刈られた頭を、ついつい何度もトゥリフィリは撫でてしまった。
 ゆっくりと、二人だけの時間が流れてゆく。
 その中で、二人とも止まっているかのような錯覚。
 竜災害も激戦も、傷の痛みも忘れてゆくような……だが、そんな時間は長くは続かなかった。

「フィー、ちょっと……いいでしょうか」

 突然、背後で声がした。
 慌ててトゥリフィリは、思わず立ち上がって飛び退く。
 突然膝枕を失ったナガミツが、ガン! と鈍い音を立ててベンチに後頭部をぶつけた。それでも彼は文句も言わず、頭をバリボリとかきむしりながら起き上がる。
 二人に前に今、少女が立っていた。
 (きつね)のような耳は古代種の(あかし)……ルシェの女王、マリナだ。
 その姿がやっぱり、トゥリフィリには一人の後輩を思い出させる。

「ど、どしたの、マリナ」
「うん、あの……あら? ご、ごめんなさい、(むつ)み合っていたのですね」
「いや、ちょっと、そういう訳じゃ……なくも、ないけど」
「大切なひとときを邪魔してしまいましたね。それで、そのぉ……よければ、相談に乗ってほしいのです」

 マリナはいつになく神妙な顔をしていた。
 竜検体からオリハルコンを生成し、殺竜剣を生み出すために彼女も働いている。キリノにつきっきりで、研究室に閉じこもるような毎日だとカルナが愚痴(ぐち)っていた。
 それでも、疲れた顔一つ見せずにマリナは微笑む。

「おう、フィー。なんか、話聞いてやろうぜ。えっと、女王様は」
「どうかマリナと。狩る者、斬竜刀(ざんりゅうとう)、ナガミツ……いつも戦ってくれて、本当にありがとうございます」
「い、いいんだよ! いい! おっ、俺はほら、あれだ……そのためにいるんだからな。それだけのために、フィーの隣にいるって決めてるんだ」

 などと言いつつ、笑顔のマリナにナガミツは少し頬を赤らめた。美しき気品の前に、鼻の下が伸びているように思えるし、瞳が泳いでいた。
 思わずつい、トゥリフィリは肘で小脇をつつく。
 でも、ナガミツの本音の本心は嬉しい言葉だった。
 そんな二人の前で、またしてもマリナは表情を引き締める。

「わたしは、仲良くしたい方がいるのですが……どうしても、上手く打ち解けることができません。こんな時、どうしたらいいのでしょう」
「え……? マリナと仲良くできない人? ……そんな人、いるかなあ」

 マリナは国会議事堂の人気者、老若男女を問わず笑顔にするマドンナ的存在である。勿論(もちろん)、13班の面々も親しみを込めて接していた。少し世間知らずで、ド天然、そして無限の慈愛に満ちた品格の持ち主。マリナは正しく、女王の風格を持つ清らかな乙女だった。
 そのマリナが、ちらりと視線を滑らせる。
 それを目で追って、トゥリフィリもナガミツも同時に「「あー、うん……」」と無表情になった。二人そろって、チベットスナギツネみたいな顔になってしまった。

何故(なぜ)、アダヒメは……わたしを避けているのでしょうか」

 いや、逆だと思う。
 今、議事堂の物陰に身を潜めながら、アダヒメがこちらをじっと見ていた。気づかれたと知るや、サッと柱に身を隠す。だが、ピコポコと揺れてる耳が丸見えだった。
 どうやらマリナは、アダヒメと仲良くなりたいらしい。
 二人は生まれ方こそ違えど、同じ古代種のルシェなのだから。

「んー、なんだろうねえ。アダヒメちゃん、ああいうの珍しいんだけど」
「わたし、彼女になにかしてしまったのでしょうか……もしそうなら、謝りたいのです」
「あー、面倒くせぇ! ちょっと待ってろ……おい、アダ! お前なあ、ちょっとこっち来い!」

 ナガミツ、あまりにも直球勝負の男だった。
 慌てて去ろうとするアダヒメに駆け寄って、その手首を掴むや引っ張り出す。そして、あわあわとしどろもどろな彼女を一同の前に連れてきてしまった。
 ちょっと、トゥリフィリも唖然としてしまった。
 やり方というものがあるし、物事には手順や順序もある。
 だが、ナガミツはシンプルな真っ向勝負を好む男の子だった。

「これでよし!」
「よくないよ、ナガミツちゃん……あ、ごめんねアダヒメちゃん、その……え? あ、あれ?」

 それは突然だった。
 和服に割烹着姿(かっぽうぎすがた)のアダヒメは、恐らく食堂の手伝いをしていたのだろう。そのアダヒメだが、片膝を突くや慇懃(いんぎん)にうやうやしく頭を垂れた。

「ご機嫌麗しゅうございます、女王陛下。このような身なりでの拝謁、ご無礼をお許しください」

 マリナもぽかんとしてしまった。
 トゥリフィリもだ。
 ナガミツだけがすぐに「なにやってんだお前」と腕組み首を(かし)げる。
 だが、アダヒメは大真面目だった。

「これ、ナガミツ! 斬竜刀とはいえ不敬ですよ? この方はアトランティスの女王、マリナ様なのですから」
「昔の話だろ? ってか、マリナはマリナだろうがよ」
「同じことです! この方は肉体こそ新しくとも、その精神は高貴なる女王なのです」
「お前なあ、空気読めよ。そういうとこだぞ、キリだって疲れるだろ、そういうの」

 思わずトゥリフィリは、クスッと笑ってしまった。だって、それは「え、ナガミツちゃんがそれを言うの?」という(たぐい)の言葉だったからだ。
 だが、アダヒメはおずおずと立ち上がると話し出す。

「マリナ様、非礼をお許しください。それに……わたし、マリナ様には合わせる顔がございません」
「どうして? あのね、アダヒメ。わたしと友達になってほしいの……駄目?」
「滅相もない! ……ただ、あまりにも勿体ないお言葉。わたしの一族は……なによりこのわたしは、一万と二千年前に国を捨て、女王を裏切り逃げ出したのですから」

 アダヒメは滔々(とうとう)と語りだした。
 遙かなる太古の時代、この星を竜が襲った。神竜ニアラと七匹の帝竜が、大西洋のアトランティス大陸を中心に地球全土を飲み込んだのである。東京都全域とは比較にならない、惑星レベルの迷宮化……そして、あらゆる生命が人類とともに滅びかけたのだ。
 しかし、当時の女王マリナは果敢に滅びに抗った。
 狩る者と呼ばれるルシェの騎士や術師を率いて、神竜ニアラに決戦を挑んだのである。

「あっ!」
「どした、フィー?」
「ナガミツちゃん、思い出して。ぼくたちが戦ったニアラ……片方の翼が朽ち果ててた」
「あー、そういえば。あれか、マリナたちがやったのか。大昔に」

 頷くアダヒメの声が、徐々に震えて強張ってゆく。
 彼女は高名な術師の家系であったが、一族揃って故郷を捨てたのだ。逃げるべき者は逃げよ、という女王の言葉を頼みに、船でアトランティス大陸を脱出したのである。

「その後も、試練の旅でした。欧州のファヴニール、大陸の応龍(おうりゅう)、そして……極東の島国、日ノ下の八岐大蛇(やまたのおろち)。フロワロで星は血の色に染まり、そこかしこに死が満ちておりました」

 そんな地獄の世界を、アダヒメは逃げた。
 その記憶を今も覚えていると彼女は言うのだ。トゥリフィリは時々、アダヒメが妙なことを口走るのを知っている。そしてそれが、嘘や戯言(ざれごと)でないことも。
 それはマリナも同じようだった。

「でも、アダヒメ。あなたは出会った。竜に屈せず戦う人間に……一人の狩る者に」
「日ノ本の巫女との出会いが、わたしを救ってくれたのです。その方と共に八岐大蛇を鎮め、この国に我が一族は根付きました。それはもう、遠い昔の話」
「他の地域も、人間が頑張ってたでしょう? わたし、わかるの。忘れていても覚えてる……人間は、強い。想いと意志の力、強いの。だから、ね? アダヒメ」

 マリナは懐からなにかを取り出し、アダヒメの手に載せた。
 それは、チョコバーだった。
 それをそっと握らせ、マリナは微笑む。
 トゥリフィリもナガミツと顔を見合わせ、頷きあった。
 今ここに、一万と二千年前の罪は許された。否、罪など最初からなかったのだ。そのことを教えられたアダヒメもまた、(まなじり)に光を浮かべながら笑うのだった。

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