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 ただただ、手を引かれて歩いた。
 エメルと思しき幻影の手を握って、トゥリフィリは懸命に前へと進んだ。
 やがて、その手の感触も薄れてゆく。
 最後にエメルが肩越しに振り返った時、なにかを言われた気がした。
 その(くちびる)が象る言葉が聴こえなくて、トゥリフィリは二度目を強請(ねだ)る。
 だが、わかっていた。
 無数の世界線を渡り歩く中で、言の葉が空気を震わせ通うことはない。それでも、最後に一言告げたエメルは、現実世界の思い出では見せなかった笑顔を浮かべていた。

「ありがとう、って……言ってた。エメルさんが、言ってた」

 ふと気付けば、トゥリフィリは温かな抱擁(ほうよう)の中にいた。
 そっと顔をあげると、虚ろな目をしたアオイの笑顔があった。
 そして、もうわかる。
 はっきりと認識できる。
 それは幻影で、亡霊で、決してかわいい後輩などではない。
 死んだ人間は生き返らない、戻ってはこないのだ。
 だからこそ、逆にトゥリフィリは強く亡者を抱き返した。
 驚きに息を飲む面影(おもかげ)の、その頭をそっと撫でる。

「アオイちゃん、もう大丈夫だよ……ぼく、戻ってこれた。ゴメンね……酷いよね。待ってて……今、終わらせるから」

 決然とした怒りが、そこにはあった。
 トゥリフィリ自身、今まで感じたこともない(いきどお)りに全身が燃えていた。
 それでいて、思考はどこまでもクールに冴え渡ってゆく。
 両親に叩き込まれた技術とメンタリティが、圧倒的な集中力をもたらしていた。
 そっと、アオイを(かたど)る温もりを引き剥がす。
 その時、奇跡が起きた。

「待ってて、アオイちゃん。この帝竜(ていりゅう)は……インソムニアは、ぼくが倒す」
「……フフッ、先輩。ありが、とう……ごめんなさい。先輩の心の中に、まだ、わたし」
「いいの、いいんだよ。それでいいの。アオイちゃんのこと、ぼくは忘れないから」
「ありがとう、先輩……もうすぐ、もうすぐだよ」

 離れてゆくアオイの笑顔が、僅かに変わってゆく。
 そのシルエットが、優雅なドレスのように異国情緒を帯びた。
 それは、今も国会議事堂で頑張ってくれてる、大切な仲間の顔だった。表情こそ同じアオイだったが、その時既にもうトゥリフィリは理解していた。
 アオイは死んだ、戦って散った。
 そして今も、みんなの心に思い出となって生きている。
 その死者への敬意すら攻撃に使う敵を、決して許せる訳がない。

「フィー、もうすぐ……竜殺剣(りゅうさつけん)は、生まれる、よ? だから、その時」
「うん。わかってるよ、マリナちゃん」
「その時こそ……全ての竜、を――」
「うん、約束する。ぼくが、 () () () () () () () () () () () !」

 マリナへと姿を変えたアオイは、穏やかな微笑で消え去った。
 同時に、頭上に巨大な悪意が顕現する。
 静かにトゥリフィリは二丁の拳銃を引き抜いた。

「そこから、見てたんだね……ずっと、ぼくたちを。ぼくたちの仲間を殺して、その死までも利用して」

 おぞましい絶叫と共に、冥界の暴竜(ライラント)が触手を伸ばしてくる。その姿はまるで、宙へ浮く邪悪な人喰いクラゲだ。辛うじて竜と思しき頭部には、鋭い牙が唾液を滴らせていた。
 ――(わら)っている。
 人の生きざま、そして死の記憶を(もてあそ)んでいる。
 そう感じた瞬間には、トゥリフィリを死の宣告が襲った。
 心臓を直接掴まれるような感触に、思わず意識が遠のく。
 だが、消えそうになった怒りを頼もしい声が引き戻した。

「フッ、吼えるか班長! だがっ、俺様的にはナンセンスだっ!」
「そうだぜ、フィー。ぼくが、じゃない。俺が……俺たちがっ! 全ての竜を狩り尽くす!」

 キジトラとナガミツの援護が届いていた。
 その時には、一撃必殺の死の呪いからトゥリフィリは抜け出る。
 あのまま止まっていれば、あっさり絶命していたかもしれない。
 この帝竜は、冥府と死を(つかさど)る死神なのだ。
 だからこそ、許せない。
 いままでにない力がトゥリフィリを支配し、その矮躯(わいく)疾風(はやて)のように走らせる。

「ナガミツちゃん、ガトウさんは!」
「おっさんは死んだ、俺たちを守っておっ()んだ。だけど心に、この胸に……そう、俺みたいなマシーンの中にもまだ、生きてるんだ」
「だよね! 多くの人たちが散っていった……その想いを胸に、生きていくんだ。ぼくたちは」

 次々と襲い来る攻撃を、でたらめな機動で避け続けるトゥリフィリ。もはや、見て避けているレベルの(はや)さではない。肌で感じた殺気に、直感だけで身体が動いた。
 そういう風に父と母が育ててくれたのだ。
 なにより、技と力を使う意志、その強さに負けない心を育んでくれたのである。

「くっ、速い……班長? まさか……ええい、ナガミツ!」
「あ、ああ。……フィー、切れてる、のか? 怒ってる。あの、フィーが」

 自分でもそうなのかと驚く。
 だが、もうトゥリフィリに言葉は必要なかった。
 マリナが、エメルが、そしてアダヒメが言うなら……狩る者だと言うなら、自分はそうあれかしと願って祈る。気持ちを込めて我が身を刃と化す。
 キジトラの援護を受けつつ、トゥリフィリは渦巻く首都高の残骸を駆け上がった。
 そして、あっという間にインソムニアの更に頭上を抑える。
 当然、空中で無防備なトゥリフィリに攻撃が殺到した。
 しかし、見えない何かがその全てを弾く。

「な、なんだ……あれは」
「嘘だろ、フィー。跳弾(ちょうだん)……ばらまいた弾が全部、周囲で跳ね返ってインソムニアを」

 恐ろしいほどに澄み切った意識がもたらす、圧倒的な自明。
 全てを俯瞰(ふかん)するような感覚の中で、静かにトゥリフィリは銃爪(ひきがね)を引き続けた。
 同時に、自由落下でインソムニアへと落ちてゆく。
 否、飛び込んでゆく。
 群がる全ては、彼女の周囲を舞う弾丸と共に踊った。
 破片と銃弾が乱れ飛ぶ中、ついにトゥリフィリはインソムニアの頭部に降り立った。

「――これで、終わり。お前だけは……消えてなくなる。誰の思い出にも、なったりはしない。させないっ!」

 二丁拳銃が同時に火を吹いた。
 ほぼ(ゼロ)距離の密着状態で、寸分たがわず全ての弾丸が一点を穿(うが)ち貫く。
 大きく吼えて身悶え苦しみ、インソムニアが激震に揺れる。
 だが、トゥリフィリは怜悧(れいり)な無表情を凍らせたまま、静かに弾倉(マガジン)を交換、再び容赦なく傷口へと弾丸を叩き込む。
 見守るキジトラやナガミツでさえ、戦慄する明確な殺意。
 生まれて始めて感じた、決して許してはならない邪悪の気配にトゥリフィリは裁きを下した。一人の人間として、限りある命として……死の先で永遠になった者たちを汚す行為は(ゆる)せなかった。
 のたうちまわるインソムニアの上で、見えないなにかに支えられるようにトゥリフィリは不動の姿勢で射撃を続ける。すぐに断末魔が静寂を連れてきた。

「……班長、終わったな。おい、ナガミツ」
「あ? あ、おうっ!」

 こっちにナガミツが走ってくるのが視界の隅に映った。
 それで、戦いが終わったことをようやく悟る。既にトゥリフィリの指は、トリガーの感触を忘れるほどに痺れていた。
 そして、横たわるインソムニアから倒れて落下した彼女は……滑り込んできたナガミツの腕に抱きとめられるのだった。

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