ついに尻尾を掴んだ。
その一報は、忙しい中調査を進めてくれてたカジカからもたらされた。
竜と戦う
「フィー、本当なんだろうな! 今度こそ奴を……アラン・スミシーを!」
「ククク、この間シイナが色気で釣ろうとした時は、逆にさらされて炎上してたがな」
「あれは、まあ……しょうがねえよ。やれることは全部やるってスタンスだしな、今は」
一緒に走るナガミツとキジトラも、どこか興奮気味である。
そう、奴の名はアラン・スミシー。
本名ではないし、それ以外の名も複数持っているだろう。恐らくは、アラン・スミシーという名も無数のアカウントの中の一つでしかないかもしれない。
だが、顔も姿も見えない影は、国会議事堂をじわじわ侵食していた。
避難民たちの中に広がる不安、猜疑心、絶望。
そうしたものを煽って燃やして、見えない場所で笑っている者がいる。
それがムラクモ機関をも悩ませるネット上の悪夢、アラン・スミシーだった。
「キリの奴は連れてこなくて正解だったな!」
「うむ、あまり子供に見せていい事案でもない」
「まあ、教えたら真っ先に殴り込んでいきそうだけど……ここは俺たちの出番だ」
六本木のビルを駆け上がる中、トゥリフィリも大きく頷く。
かつての
人の心は、弱い。
弱いからこそ支え合えるし、弱い者をこそ救う人間の善性を信じたい。
同時に、そこにつけ込む卑怯な邪悪もまた、人間のエゴと欲がもたらす側面だった。
「アラン・スミシー……今日こそ決着をつける。この上だ、急ごう! キジトラ先輩! ナガミツちゃん!」
被害者は国会議事堂の避難民たちだけではない。
盗撮、盗聴、デバガメしぐさ……全てお手の物である。
「屋上っ、いた! フィー、あそこに……チィ! 竜もいやがる」
「ナガミツちゃん、竜を引き付けて。キジトラ先輩はあの人たちを安全圏へ」
視界がひらけると同時に、酸の雨を忘れた青空が広がる。
その下には、おろおろと影のように立ち尽くす人々の群れがあった。
そして、そんな人たちを今にも丸呑みしそうな、一匹のドラゴン。
即座に三人は散開し、その中でトゥリフィリは真っ直ぐに走る。その眼前に、嫌に落ち着いた無表情な男が立っていた。
「……仕事が早いねえ、13班。もうちょっと、暗躍したかったんだけど」
妙によく通る声で、その口調もどこかのんびりとマイペースだ。ともすれば、悟りを開いた賢者を思わせる、そんな
だが、それは偽物だとすぐにトゥリフィリは悟る。
竜とマモノにしか向けたことのない銃口を、久々に彼女は人へ向けて突きつけた。
こんなことは、SKYやSECT11との揉め事以来である。
「手を上げて! そのままゆっくりこちらに!」
「んー? 武器は持ってないよ。まあ、僕の最大の武器はこれだけど」
そっと手だけは上げてみせるが、男はその場から動かない。
そして、右手にはスマートフォンが握られていた。
あの小さな携帯端末を通じて、この男は無数の不安をばらまいてきた。嘘と欺瞞で弱者の心をかき乱してきたのだ。
そう、彼こそがアラン・スミシー。
正体不明のネット怪人、SNSを渡り歩く闇の伝道者だ。
「どうしてあんなことを! ……みんな、怖くて辛くて、それでも頑張ってるのに」
「あんなこと? ええと、どれのことかな。セーラー服ちゃんの盗撮? それともあれかな、医務室の噂。ほかにはええと」
「全部だよ。さ、危ないからこっちに来て。……竜は危険だから」
「え? もしかしてそれ、僕に言ってる? へえ、僕でも助けるの?」
「当然だよ。そのあとで、罪を償ってもらう」
「こんなカオスな時代に、罪を償う? 法と秩序はまだ生きてるですかねえ」
キジトラに連れられ、多くの人々がトゥリフィリの背後へと移動する。
皆、半信半疑ながらも表情は同じだった。
暗くて生気がなく、言われるままに来てしまったこの場を理解していない。眼の前に竜がいるのに、喰われて死ぬことに想像力がまわっていないみたいだった。
そう、全てアラン・スミシーの話術がもたらす心理的な罠だ。
言葉巧みに彼は、ネットを通じて生き残った人たちを騙してゆく。
その理由も今、軽薄にもペラペラと謳い出した。
「せっかく面白い世の中になったんだ、もっと気楽にやろうよ。どのみちもう、人類って詰んでるでしょ? エメルとかいうガキも死んじまったしさあ」
「っ、くっ! それ以上喋らないで」
「いいからまあ、聞いてよ。絶望してる人にはさ、辛い人生なんだわ。だから、終わらせてあげたくない? それと」
ニヤリと笑ったアラン・スミシーが、唇の端を吊り上げる。
嫌悪感がさざなみのように寄せて、トゥリフィリは震えて肌が粟立った。
「人間結局、他人の不幸が必要なんだよ。自分より不幸な人間を見れば、安らぐだろう? ボランティアみたいなものさ。誰かを嗤って踏みつけると、気持ちよくなるのさ」
「……だとしても、それを今やってちゃ生き残れない」
「んー、噛み合わないなあ、班長さん。詰んでるからこそ、残りの人生を楽しくだねえ――」
その時だった。
暗い影が頭上を覆って、咄嗟にトゥリフィリはアスファルトを蹴る。瞬時に距離を殺して、アラン・スミシーを押し倒すように庇った。
そして、一秒前の二人を竜の巨体が覆い尽くす。
それは、ナガミツの怒りの蹴りが力任せに吹き飛ばしてきたものだ。
「ひ、ひっ! な、なんだなんだ!? おいっ、ロボット! お前だよお前、機械人形め!」
「ああ?」
「お前っ、人間を守るために造られてるんだろう! 何だ今の! 班長さんごと俺を殺す気か!」
「フィーは死なねえよ。あと、死んでもお前を殺さねえ」
痛撃にうめいていた竜は、立ち上がるや獰猛な咆哮を響かせる。
それは、食物連鎖の頂点に君臨する絶対強者の雄叫び。宇宙の摂理によってつかわされた、文明の破壊者の絶叫だった。
人々は皆、正気にかえって慌てふためく。
だが、それを上手く誘導して落ち着かせるキジトラは、笑っていた。
「そうだ、思い出せ……竜は天敵、そして俺様たちはその竜の天敵だ! たとえ惑わされて死地に自ら飛び込んでも……必ず俺様たち13班が皆を守る。さあ、こっちだ!」
我先にと階段に逃げ込む人たちはもう、先程のような無力感を忘れていた。
生きたい、助かりたい……辛く苦しい避難生活でも、生きていたい。
そういうことを思い出す者たちとは真逆に、アラン・スミシーは表情を引きつらせていた。そこに初めてトゥリフィリは、謎の怪人の素顔を見た思いだった。
そして、拳の指をバキボキ鳴らしながらナガミツが歩み寄ってくる。
「おう、観念しろや。それと、スマホよこせ。盗撮写真やらなにやら、全部消す」
「か、帰ればバックアップが」
「ああ? それならノリトがもう潰してるぜ?」
「ひぃ! わ、わわっ、わかった! 助けてくれ! お、お前たちだって、僕が死ねば評判が落ちるだろう? 13班の汚点になる、救えなかったとみんなに叩かれる!」
慌てふためくアラン・スミシーは、ナガミツが手を述べるとスマートフォンを庇った。そうして後ずさった先には……巨大な牙が待ち受けていた。
思わず駆け寄るトゥリフィフィは、鮮血に汚れて思わず立ち止まる。
血も涙もないかに思われた男もまた、同じ赤い血潮の人間だった。
すかさず庇うように前に出て、ナガミツが膝蹴りを叩き込む。その
最後までアラン・スミシーは、誰の心にも暗い影を落として去っていった。