その朝は突然、訪れた。
ラジオの声もどこか遠く、軽やかなアヤメの歌声は言の葉を
そして、突然歌が途切れて、ぱちりとトゥリフィリは目を開いた。
次の瞬間、逼迫したアヤメの声が叫ばれる。
『ばっ、番組の途中ですが緊急ニュースです! 東京スカイタワーを中心に、都内の瘴気濃度が急上昇! ……こっ、これは! 黒いフロワロです! 黒いフロワロが急激に――』
すぐにトゥリフィリは、毛布を蹴って身を起こした。
隣で手を握って眠るナガミツの、互いに絡めた指と指とを
「ん……あ?」
「ナガミツちゃん、大変っ!」
「あー、おーう……」
ナガミツはまるで寝ぼけてるみたいに、トゥリフィリの頭を優しく撫でて、そして抱き締めまたベッドに沈んだ。トゥリフィリの肌に、昨夜の熱がほんのりと思い出される。
それでも愛しい抱擁を振り払うと、ナガミツを再度揺り起こす。
「ナガミツちゃん、寝ぼけてないで! 緊急出動だよっ!」
「……待て、ちょっと待て。今、メモリの整理が……そもそも俺等は睡眠が必要なくて」
「知ってるよ、でもデータ整理のための休眠って、寝てるようなもんでしょ。ほら!」
「わかった、わかったから。……かなりやばい空気だな。全身の回路にビリビリきやがる」
二人で一緒にベッドを降りた。
素っ裸だった。
もう、自然と愛し合う仲にあって、それを言葉にする必要がなくなっていた。
急いで身支度をと時計を見上げれば、時刻は朝の七時をまわったばかりだ。そして、ラジオは朝のゆったりとした番組が台無しで、既にアラートが国会議事堂に鳴り響いている。
『繰り返します、避難民のみなさんは国会議事堂の奥へ! ムラクモ機動13班、緊急出動願います! ……よ、よしっ、わたしも、わわ、わっ、わたしも、行かなきゃ』
アヤメの声は震えていた。
当然だ、いかに人類に切り札たる
そして、終わらせると誓った。
トゥリフィリがこの手で、竜殺剣をもって終わらせるのだ。
「時間がないや、ナガミツちゃん! シャワー一緒に浴びちゃお!」
「いや、俺は汗とかかかねーし」
「もうっ、ぼくは汗もかくしベタベタするとベタベタになるの! ナガミツちゃんもベタベタだってば! ……そ、その、恥ずかしいなあもう。いいから、ほらっ!」
ナガミツの手を引き、シャワールームに飛び込む。
班長だからと優遇されてて気が引けるが、トゥリフィリの個室には小さなシャワールームが備わっていた。
二人で入ると少し狭くて、自然と密着に近い距離になる。
バルブをひねれば、すぐに熱い湯が二人を白く
「ナガミツちゃん、まだ半分寝てるし! ほらっ、ぼくが洗っちゃうから」
「お、おおう」
「急がないと……なんだか嫌な予感がする」
ボディソープを泡立てたスポンジで、手早くナガミツの全身をせっせと磨く。人間と違ってその全身は様々な素材で覆われていて、そこかしこにトゥリフィリから零れた情熱の残滓があるように思えた。
なんだか、大きな犬を洗ってるような気分だ。
トゥリフィリは髪を手で
だんだん目が覚めてきたのか、ナガミツもようやく動き出した。
「うし、先に出る。フィーはもう少しかかるな? 着替え出しとく」
「ん、ごめん! ざっと髪を洗って、歯磨きと洗顔、ちょっとお化粧と」
「女の子はそういうもんだって、キジトラも言ってたぜ? じゃ」
ピカピカにきれいになったナガミツが、バスタオルを片手に出てゆく。
ぽつんと一人になった途端、トゥリフィリを心細さが襲ってきた。さっきから妙な
なにか、とてつもない異変が起こっている。
あの黒いフロワロは、
触れる全てを腐らせ侵す、まさに猛毒の
「突然の黒フロワロの爆発的な増加……東京スカイタワー、あそこに多分いるんだ」
初めて現れた場所もそうだった。
奴は……フォーマルハウトは、東京スカイタワーにいる。
身の内の恐怖を振り払うように、髪を洗ってシャワーの水圧を上げる。
怖い、恐ろしい……でも、戦える。
みんなとなら、ナガミツたちとなら終わらせられると心に結んだ。
急いで出ると、バスタオルが飛んでくる。洗濯したてのふんわりとしたそれで身体を拭きつつ、急いでトゥリフィリは歯ブラシをひっつかんだ。洗面台の鏡に、湯気で上気した自分の顔が映る。
「これな、下着と着替えと、あと銃と弾」
「あんがと、ナガミツちゃん。なんか、自分の部屋を自分より知ってる、そ、その、彼氏? みたいなの、なんか変だね」
「そんなに面白いか? フィーも俺のこと、わりと何でも知ってると思うぞ」
歯磨きと洗顔を超特急でこなして、化粧水で頬を叩く。いつものナチュラルメイクは最低限で、今はその時間も惜しいが身だしなみも大事だ。
班長として
ナガミツが引き出しから出してくれた下着を身に着け、着替える間に髪を熱風が撫でる。ナガミツがドライヤーとヘアブラシを当ててくれていた。
なんだか、最近はこういう瞬間に思わずキュンとくる。
自分が乙女、女の子だと思い出す時が僅かに微かに、そして確かに増えたのだ。
「おし、髪もいいぜ」
「あとは、ん、ちょっとごめん」
「お、おいっ、フィー?」
振り返って、いつもの詰め襟に着替えたナガミツを強く抱きしめる。硬くて頼もしい胸板に顔を埋めて、そしてすぐに離れた。
ナガミツも静かに頷き、そっと頭をポンポン撫でる。
そうして二人は、恋人の時間から飛び出した。
再び戻るために、その後も続けるために死地へと
廊下を走れば、ムラクモ機関の職員が忙しく行き来している。
エントランスにつくと、
「みんな、お待たせっ! ……さて、どうしよっか。黒いフロワロのある場所じゃ、移動も困難だ。東京スカイタワーには、どう行けば」
絶望的な状況だが、絶望には屈しない。
それは静かに精神集中で目を閉じるキリコもそうだろうし、不敵に笑うキジトラも一緒だろう。ここに今、13班のフルメンバーが揃っていた。
だが、そうでない者もいる。
そのことを責められる人間など存在しないし、誰も責めたりはしない。
13班とはそういう人間の集まりであり、
「どっ、どうしよう。なにか、なにかいい案があれば……フィー、あ、あのっ、わたし」
「アヤメちゃん。さっきの放送、ありがとね。ちゃんとみんなに伝わったよ」
「は、はい、でも……どうしよう、わたし。しっかりしなきゃなのに……震えが」
アヤメは弱い人間ではない。
ただ、常に強い人間もまた、存在しないのだ。
それを
そして、真っ直ぐトゥリフィリを見て彼女は言った。
確かに言った……わたしにいい考えがある、逆転の秘策があると。