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「よぉ…そろそろ中に入れって。んでまぁ、ウチで飯食ってけ、な?」

 宵闇の冷気が肌を刺す。部屋着で出歩くには寒い夜。純白の月明かりすら凍える中、じっと座り込む少女の姿があった。もう何時間も前から、身動き一つせずに膝を抱えている。フリックが説得し始めてからも、既に一時間が過ぎようとしていた。
 厄介者が厄介事を残してゆく…内心歯噛みしてサンクを呪ったが、この結果は解りきっていた事。誰が悪い訳でもない。だから当然、傷心のトリムが悪い訳でも無い事を、フリックはどうしても伝える必要があった。ついでにサンクの弁護も。

「…オレが未熟だから?オレじゃまだ、クリオさんの代わりにはならないのかなぁ」

 涙目をゴシゴシ擦りながら、じっとトリムは見詰めていた。ミナガルデの街へと続く、真っ暗な街道の入り口を。その先へと自分を置いて消えた背中は…まだ街へ向かって走っているのだろうか?月明かりだけを頼りに、星明りに導かれて。トリムがまだ見ぬ、知りもしない道のりを…憧れのあの街へ向かって。

「あいつの代わりなんて居るかよ…でんこ、そういう問題じゃねーんだ」

 自分にとってそうであるように。サンクにとってもあるいは、そうなのかもしれないが。ただ、トリムがこの場に残された理由は、そこに求められるものではない。全てはこの道に…今トリムが座り込む、ここから始まる街道に。ハンターではない自分の口から、それが上手く伝わるだろうか…一瞬躊躇したが、フリックは村の門に寄りかかると、ゆっくりと語り始めた。

「少し昔の話だ…この道を辿って、街から一人の少女が来た。お前と同じ若いハンターだ」

 この村にも当時から、何人ものハンターが居たが。だが、当時この村を脅かしていた怪鳥…イヤンクックを討伐したのは、遠い街から来たハンター。物腰穏やかな、何処か独特の雰囲気を漂わせる蒼髪の少女。ただ一人でこの地を訪れ、また一人で街へ帰る…そんな彼女に、村の厄介者が恋をした。

「…それ、知ってる。その直ぐ後、メル=フェインは街へと出てったんだろ」
「ああ、直ぐ出してったらしい。一人でな…皆、せいせいしたと笑ったらしいが」

 一人で…その一言に、初めてトリムが顔を上げる。そのぼやけた視界でフリックは、寒そうに肩を抱いていた。吐く息は白いが、紡がれる言葉には熱がこもる。大通りを挟む形で向かい合い、座り込むトリムと立ち尽くすフリック。街道はすぐ先で闇に飲み込まれていた。今はもうその遥か先で、立派に独り立ちしたメル=フェイン…そんな彼女も昔、孤独に駆け抜けたこの道。

「あとサンクな…あの時はずっと、ビービー泣いてたってよ。でも、俺が来た時にはもう居なかった」

 敬愛する師であり頼れる先輩の、そのハンター生命が絶たれた時の話だ。サンクは自責の念に泣き続け、泣き疲れながら村を後にした。裸一貫、何の持ち物も無く、何の考えも無しに。入れ違いに現れたフリックを見て、最愛の女性は開口一番こういった…半ベソかいて出て行った、と。クリオの怪我以上に深刻な寂しさを、今でもフリックは覚えている。街でサンクの名を聞くようになったのは、それからずっと後…ごく最近の事である。

「でんこ、この先にはお前の仲間達が居る。沢山な…皆お前を待ってんだ。でもな…」
「この道は一人で行く道、なんだろ?解ってる…つか、今解った」

 あの時確かにサンクは言った。夢の続きを聞いてみたい、と。その言葉と笑みを残して、彼女は行ってしまった。トリムが弾む気持ちで荷造りに勤しんでいる間に。夢見る想いを鞄に詰め込んでいる間に。一人で行ってしまった。
 その意味をずっと、トリムは考えていた。仲間として迎えられながら、一人残されたその意味を。走れば追いつけそうな道程を、ただずっと見詰めながら。

「夢は唐突に叶ったりしないんだ…オレの手で、オレ一人で先ずは進まなきゃ」

 少女は立ち上がると、再度改めて目を細める。遥か彼方、あの街へと。今はまだ踏み出せない、何時か必ず踏み出す道へと。深呼吸して振り返れば、点々と灯る村の明かり。見慣れた風景の中で、フリックが黙って頷き佇んでいた。その像が不意に歪み、頬を熱いものが伝う…トリムは既に一人前のハンターであると同時に、まだ一人の少女であった。秘めたる夢へと誘われる…それが今日見せられた白昼夢。

「ばっか、泣くなよ…何時でも行けるんだぜ?お前なら、よ」

 トリムの瞼はもう、涙の重さに耐えられなかった。フリックは黙って両手を広げる。僅かに月明かりを反射する防具の青い鱗…その光沢を僅かに鳴らしながら、トリムは柔らかな胸に飛び込んだ。

「クリオさん、オレ…もっと強くなる!そして行くんだ…あの街へ」
「…ああ、必ずだ。忘れるな、でんこ…最初の一歩が一人でも、その先は一人じゃない」

 空を切る両手は、冷え切った自らを固く抱き締める。そんなフリックの脇をすり抜け、トリムはクリオの胸に飛び込んだ。泣きながら誓いを呟く愛弟子を、師は優しく迎え入れる。バツが悪そうに振り返りながら、フリックは安堵の溜息を白く零した。澄み切った初春の空気に、鐘七つの刻を告げる音が、ぼんやりと間をおいて鳴り響いた。

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