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 嵐の暴君は苛立っていた。再び大空を舞い、自らの狩猟場を取り戻して尚。瞬く間に野生の感を取り戻し、群がる人間達を日々蹴散らしながら…焔龍リオレウスは苛立っていた。今や見渡す眼下に、獲物は影も形も見当たらない。ここ最近は特に煩い人間達も、今日だけは躊躇無く逃げ出してしまう。
 加えて彼の神経を逆撫でしていたのは、鼻腔を擽る己と同じ臭い。僅かに微かに、彼にしか感じ取れぬ己の一部。それへと近付く度に、苛立ちは募り古傷が疼く。囚われの檻で受けた屈辱…剥ぎ取られた甲殻や鱗、毟られた翼や爪が痛むのだ。それらを振り払うように一声吼え、翼は矢のように空を裂く。鬱積の根源、自らの一部を纏う者へ向けて。

「こんな時にあれッスけど…ツゥさん、手紙ありがとッス」
「俺ハ絶対、飛ンデ帰ッテ来ルト思ッテタゾ」

 地図に4の番号が振られた、小高い台地に一つの影。灼赤色の鎧に身を固め、サンクは微動だにせず空を睨む。その傍らに突き立つ大剣もまた、同じく焔龍の素材より鍛えられた業物。開けた四方に気を配りつつ、彼女はただ一人立ち尽くしていた。言葉を交わす友は今、その姿は見えない。視界に映るのはただ、果てなく広がる大自然。その絵画のような景観から、徐々に近付いてくる空の王。

「来た…待ちくたびれたッスよ」

 羽ばたく翼が風を呼び、波打つ草原は掻き乱される。サンクが腕組み不動で見上げる空を、瞬く間に巨大な影が覆った。まるで根を張る巨木のように、風圧に怯む事無く抗うサンク。その無防備な姿を前に、リオレウスは王者の貫禄で正対する。高さを生かして火球を放つ事もせず、速さを生かして飛び掛る事もせず…威風堂々と大地へ。

「…ムホ、さんくタン!気付カレテルト思ワレ、逃ゲッ!」

 先程と違う位置から、ツゥの声が危機を叫ぶ。それは傍らの大剣へと、サンクが手を伸ばすと同時。ゆっくりと降下を続けていた焔龍は、突如翼を翻した。吹き荒れる突風と灼熱の吐息を残して。焔龍が降り立つはずだった大地を、燃え盛る業火が焼き払う。巨大な影を落とす地面では、仕掛けられたトラップが音を立てて燃え尽きた。

「ツゥさん、平気ッス!やっぱ小細工無用ッスね」

 紡ぐ言葉と入れ違いに、焼け爛れた空気が肺へ雪崩れ込む。だが、咄嗟に防いだサンクにダメージは無い。彼女が手にする剣も、その全身をくまなく覆う鎧も…目の前で唸る焔龍より削り出した物だから。この世界では脆弱すぎる人の身体を、万物の頂点たる飛竜の一部が守る。己が力を弾き返す、己が身より零れた破片…焔龍の苛立ちは怒りとなって、周囲の空気を激しく揺さぶった。

「っしゃ、ほんじゃーまぁ…気合入れて逃げるッスよぅ!」

 鋭い爪が光る両足を今、焔龍は地へ着けて降り立った。舞い散る土煙を、その雄々しい羽ばたきで天へと巻き上げながら。怒りに燃える充血した双眸は、剣を背負って駆け出す姿を捉える。低い唸り声をあげ、力を蓄えるように足元を蹴り上げながら…その巨躯を揺るがし突進する焔龍。全体重を乗せた驚異的な瞬発力が、獰猛に距離を食い潰してゆく。肩越しに振り向くサンクに追いすがる、巨大な暴力の塊。
 サンクの残像を食い千切りながら、焔龍の巨体が大地を抉る。地に伏しながらも眼を巡らせれば、すぐ鼻先で立ち上がる人間の姿…身を投げ出して逃げおおせたサンク。今はもう、首を伸ばせば届きそうな距離で、獲物が弱々しく立ち上がろうとしている。大きく裂けた口が天地に分かれ、真っ赤に暴れる舌が覗いた。ただ捕食し、ただ噛み砕くのみ。自らの一部とは言え、その内側はただの人間。逆襲の一噛みを繰り出し、復讐の成就を確信した瞬間…焔龍の視界がぼやけて揺れた。

「反撃確定ノ瞬間、キタワァ!」

 やや遅れて鈍い衝撃を感じる。余りに不意の出来事に、思わず怯む焔龍。全く予想だにせぬ一撃は、疾風の速さで茂みから飛び出して来た。今の今まで息を潜め、小まめに位置を移動しながら…この瞬間を待ち伏せていたツゥの鉄槌。硬い鱗と角で覆われた頭部を、重量感溢れるハンマーが強打した。そのインパクトの反動によろけながらも、再度鋼鉄の塊を振り下ろすツゥ。

「むっほー、またまた今日もっ!」
「ヤラセテ戴キマシタッ!」

 思わぬ伏兵の存在に、霧散してゆくリオレウスの思考。呻きもがくその頭部に、サンクは渾身の力を込めて剣を振り下ろした。王室直々の褒章を賜り、工房の名工達の手で鍛えられた業物…その名も炎剣リオレウス。その刀身に秘められた焔龍の力が、斬撃と同時に爆発した。確かな手ごたえを感じて、互いに顔を見合わせるサンクとツゥ。言葉無くとも視線を交わせば、次いで頷き確信を共有できる。ただ二人、しかもガンナーの援護も無く焔龍に挑んでも…無茶ではあるが無理は無い。

「ヨッシャ、さんくタン…マタ尻尾ヤッタレ」
「おうさ!こりゃ貰ったもどーぜんッ…!」

 角が欠けた頭を揺すって、ユックリと立ち上がる焔龍。地より浮上するその灼けた巨躯…ダメージは有る、それはハンターが見れば明らか。だが、それは頭で理解出来ても、実感する事が適わない。焔龍は平然とその身を起こして、何かを探すように周囲を見渡す。会心のコンビネーション後だけに、暫し呆然と見詰める二人。
 思い出したようにツゥが腰を沈め、その全身を覆う筋肉が躍動に震える。己の体重を遥かに凌駕する、対飛竜用のハンマー。それを構えて走り出すと、サンクも後を追って炎剣を納刀する。こうも平然と立ち上がり、こうも無関心にされては…僅かな自信も消し飛んでしまう。

「ヤベェ、何カヤベェ!タタミ込ムッキャネー!」

 ツゥは持てる力の全てを凝縮し、それを叩き付けるべく疾走する。地面を舐めるように低い姿勢で。同時にサンクに閃光玉の使用を促したが…その声は届かなかった。耳を劈く咆哮が轟き、反射的に鼓膜を守って武器を手放す二人。骨身に浸透する衝撃波は、抑制し難い恐怖感を呼び起こしていた。
 ちっぽけな人間がたった二人で、知恵と勇気で飛竜と戦う…ハンターがハンターであり、ツゥとサンクがそうであった時間は終わってしまった。焔龍はもう、考える事を止めたから…大自然と野生の摂理のみを、ただ我が身に受け入れ全てを委ねる。忌々しい檻の記憶も、己が臭いを纏うメスの人間も、全ては意識の遥か外へ。既に下弦を地平線に融かし始めた日の光は今、ただ二匹のエサを彼の瞳に映し出していた。

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