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 静寂…主不在の玉座は今、恐ろしいほどの静けさを湛えていた。僅かに吹きぬける風が揺らすのは、食い荒らされた骨片。それを踏むのがうら若き乙女達でも、乾いた音を洞穴内へ大きく響かせる。だから細心の注意を払い、身を屈めて手を付きながら…互いに互いの死角を補い、メルとイザヨイは壁伝いに進んだ。暗がりに点々と光芒が差し込む、ここは竜の巣。翼持つ眷族の御座。

「ん、居ない…って当たり前か」
「そそ。今日は周りに獲物が居ないから。狩りにうんと遠出してる筈だよ」

 少し緊張を和らげながら、二人は言葉を思い出したように喋りだす。身を伸ばして立ち上がると、気配を殺した二匹の獣は、瞬く間に一組の狩人へ。強張る背筋をほぐす様に、大きく伸びて両手を上げるメル。その傍らではイザヨイが、素早くトラップを敷設し始めていた。
 強靭なツタの葉をクモの糸で編みこんだ、鋼のように強く絹のようにしなやかなネット。それを納めた小箱が、ハンター達にとっての切り札…対飛竜用に作られた落とし穴である。手順に従いピンを抜き、適当に掘った穴へトラップを埋めるイザヨイ。その手元を覗き込んでいたメルは、じっとしていられず辺りをうろつき始める。

「でもさー、何で巣を移動しないんだろね…サンクが捕獲した時と同じでしょ?ここ」

 そうね、と思案する声。小さな爆発と同時に砂煙が上がり、ネットが湿った土へと広がってゆく。その間もイザヨイは予備のトラップツールを取り出し、それを膝の上に待たせながらネットを調合する。真剣な表情を眺め、少し自慢げに思いながら…メルも気合を入れ直して周囲を見張りだした。
 種にもよるが、飛竜はめったな事で巣を変える事は無い。天敵の存在しない、食物連鎖の頂点に君臨する竜達。その巣へ足を踏み入れる事は、本来は死を意味する。故に、巣を脅かされる心配が無いから。だが、この巣が未だこの場所に存在し続けている真の理由は…

「よし!後は巣へ追い込むだけ…メル、二人と合流し…どしたの?」
「いっちゃん…これ。トラップを仕掛けに来て、とんでもない物をみつけてしまったー」

 振り向くイザヨイの視界で、小さく華奢な背中が岩盤をよじ登る。その先に隠された、ここが竜の巣で有り続ける原因へと。メルは狭い高台へ器用に上がり込むと、丁寧に土を掻き分けた。僅かに覗いていた乳白色が、次第にその姿を現してゆく。

「どーしよー…じゃないでしょ。ちょっと真面目にやっ…あ」
「そっか、それでかぁ。これじゃ確かに、巣は移せないよね」

 イザヨイが駆け寄れば、差し出された手が引っ張り上げてくれる。二人が並んで見下ろすのは、思わず息も飲むほどに立派な飛竜の卵。狩りの目的も忘れてそっと触れれば、硬い殻が僅かに温かい。確かに感じる新たな生命…耳を当てればその鼓動までもが聞こえてきそうな程に。

「立派な卵…こんなに大きいのは初めて。しかも二つも…うーん、困ったなぁ」
「!?…や、やっぱ…困る?よね?どしよ、いっちゃん…」

 予想外の収穫…否、収穫と呼ぶにはあまりにも危険な火種。感嘆の声を漏らしながらも、イザヨイは冷静な判断力から困惑を覚えた。傍らの相棒にも伝わったのか、困り果てた表情でぎゅっと袖口を握ってくる。メルの指は、力みながら震えていた。ハンターとしてのベターな選択が、それと無く感じ取れたから。今現在の限られた時間では、何ら狩りに影響を及ぼす事は無いが…後で何かと問題となる事は想像だに難くない。飛竜の卵とは高額報酬の原石であり、次世代の新たな脅威。

「今は構ってられないけど…」

 けど…今は対処する余裕など無いけれど。そう言いながらもイザヨイは、素早くナップサックの持ち物を思い出す。無理言って前衛二人組みに持たせた大タル爆弾起爆用に、彼女の持ち物には小タル爆弾が納められていた。それは無抵抗で閉じこもる、未だ生物未満の卵を砕くには充分な威力。例え本位でなくとも。

「なら、今はそっとしとこ?めるはやだよ…今日は討伐が目的だもん」

 今日が明日でも明後日でも…何かに理由をつけては、メルは拒むと容易に知れる。しどろもどろに言い訳を探しながら、彼女は再び卵を埋め始めた。未来の新たなる脅威、或いは未来の莫大な富…どちらにもなりうる飛竜の卵は、再び隠され眠りに付いた。誰よりも生命の重さを知る、ハンターの少女の手で。
 入念に土を被せながら、思い出したように少し掘り返し、再び手を当て温もりを確認する。慈しむように愛でながら、メルは卵を完全に隠し終えると、ひょいと高台から飛び降りる。汚れた膝をパンパンと払いながら、何かを訴えかけるようにイザヨイを振り向く瞳。

「ま、後の事は後で考えましょ…!…後で、が有るならだけど」

 イザヨイの言葉を掻き消すように、突如空気が沸騰した。反射的にボウガンを展開すると、手馴れた手付きで炸薬を装填するメル。風化した生物の残骸が、吹き荒れる風に土埃となって舞い上がる。薄暗い巣を照らす僅かな光を揺らがせながら、巨大な翼の羽ばたきが舞い降りてきた。自然と先程仕掛けたトラップを意識しながら、イザヨイはメルに駆け寄り、その耳へと唇を寄せる。一言、そして頷き。

「うん…うんっ!解った、める集中する!…約束だよ、いっちゃん!」

 重量感溢れる落下音と共に、トラップが発動して獲物を捕らえる。だが、飲み込まれたのは哀れな亡骸…嘗てアプケロスと呼ばれていた草食竜。エサを求めてどうやら、女王はわざわざ砂漠へ足を伸ばしたらしい。その威厳に満ち溢れた唸りを携え、后龍リオレイアの翼は舞い降りた。ギルドが龍の冠詞を与えるだけあって、火竜の種にあってこの個体は、恐るべき知能と知性を持ちえていた。人の知恵に勝るとも劣らぬその頭脳。

「あら、メル…私が今まで、メルとの約束を破ったことある?無いでしょ?…そんなには」

 そこそこ思い当たる節を浮かべながら、メルは撃鉄を上げつつ…安全装置をかけたままボウガンをたたむ。先程イザヨイに耳打ちされた通りに。本来ここは、弱った竜を射止める決戦の地。トラップもその為の布石だったのだが、今はもう策も水泡に帰した。

「二人に合流!走って、メル!」

 洞穴を揺るがす后龍の咆哮を背に。二人は全力で逃げ出した。忽ち酸素を欲して肺が悲鳴をあげ、それでも伸縮する筋肉が少女達を押し出す。僅かに光差す出口へ…その先にある"生"へ。真っ白にぼやける脳裏の片隅に、妙案の幾つかを巡らしながら…イザヨイはメルと肩を並べて、竜の巣を飛び出した。卵の件は後日、クリオさんにでも相談しよう…最愛の相棒を傷付けぬ術を求めるように、イザヨイは光溢れる外界へ身を躍らせた。

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