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「それは災難でしたね、キヨ様」
「だろ?あの野郎、いつかギッタギタのベッコベコにしてやるっ」
「食い物の恨みは恐ろしい、かぁ…ま、程々に」

 額に汗を光らせながら、男達は湿原を小走りに駆ける。周囲に立ち込める霧より白い、火照った息を吐き出しながら。入れ替わりに灼けた肺へと雪崩れ込むのは、刺す様に冷たく湿った空気。抱える灰水晶の原石に手は痺れ、その重さは足腰に疲労物質を蓄積させる。
 ジオ・テラード湿地帯…季節の変わり目に見放された土地。年中濃霧のヴェールに覆われ、日の光に温まる事は皆無。故に歴戦の狩人達でも、好んで訪れる者は少ないが。それでもアズラエルにとってここは、どこか郷愁を誘う狩場だった。

「でもよ、ゆっきー…何がってお前、カニだぜ?エレファントタラバガニ」
「ふーん、ほー、へー…キヨさんさ、オレ等に黙ってカニ食おうとしてたん…あ、逃げた」

 話題の暗雲を振り払うように。キヨノブは息を切らせて加速する。その姿は徐々に薄れ、追い掛けるユキカゼ共々見えなくなった。白い闇に閉ざされし、肌切るように凍えた世界…ここは何もかもが、アズラエルに故郷を思い出させる。ブリザード吹き荒れる、忌まわしいあの永久凍土を。

「カニですか…懐かしいですね。昔は良く釣、っと。どうされました?」

 不意にアズラエルは、先行する二人に追い付いた。口論の行方はどうなったかは知れないが…運搬三人組の行方は少なからず、彼には容易に理解できる。道を塞ぐ障害物を前に、キヨノブもユキカゼも足を止めていたから。ますます濃密に煙りだす霧に、三者三様の溜息が混じる。

「どうもこうもねーぜ、アズよぉ…どーすんだ、コレ」
「そー来たか、って感じだね。あ、コイツ今、オレ等見て笑った!」
「これですか?ゼノビア様やトリム様が言ってたのは…」

 漆黒に艶光するゴム質の表皮。ゆらりと首だけが起き上がると、まるで嘲笑するかのように、あの独特の鳴き声が響いた。キャンプへと通じる道程の、その唯一歩ける足場の真ん中に…狡龍ゲリョスが身を横たえて寝そべっている。ゲリョスとしては標準的な、寧ろ小柄でさえある個体だが。こうも効果的に神経を逆撫でされると、誰の目にも巨大に見えてならない。

「…迂回するべか?」
「無理ですよ、キヨ様。最短ルートで急がなければ、納品時間に間に合いません」
「別の道に行っても駄目かも。コイツ、先回りして塞ぐつもりだろうな」

 普段なら即座に、各々自慢の武器で追い払うのだが。ハンター達の手には今、剣も槍も弩も無く。ただ落とさぬよう大事に抱えた、大きな大きな灰水晶が有るのみ。無論、狡龍には全て御見通しだ。武器が持てぬ運搬状態だからこそ、こうして堂々としていられる。クエストを優先するハンター達は絶対に、その胸に抱く原石を捨てはしない。
 時の砂は無情にも、ただ淡々と滑り落ちる。三つの灰水晶を納品する為に、何故三人が時間を使い果たしてしまったか?各々心当たりがあるだけに、誰も仲間を責められない。キヨノブのポーチは鉱石で一杯だったし、ユキカゼは思わぬ収穫…立派なブルファンゴの頭を手中に収めていたし。相棒達が採取と狩りに夢中になってる間、アズラエルはただ、風に身を晒して故郷を想っていたのだから。

「いいこと思いついた。ゆっきー、お前一人で二つ運搬…」
「今夜もポーンで寝たけりゃどうぞ…オレは嫌だけど。望みは高く!せめてルークで寝たい」
「一人でも手が空けば、あっという間なんですけ…ン?何でしょう、この音…この揺れ」

 それは突然、何の前触れも無く。まるで幻のようにその場に現れた。大質量が一定のリズムで大地を揺らす、その音と振動。振り向く誰もが、あらゆる言葉を失う。ニヤニヤ笑いながら、狸寝入りを決め込んでいた狡龍でさえ。
 静々と、だがしかし凛とした威容を湛えて。一匹の雌火竜が、狩人達の背後を横切った。その傍には、まるで従者のように雑多な獣達が続く。おそらくそれは、最も確実な自衛手段。強者に寄り添いその身を守る。それを寛容に許すのは、銘入に相応しい高貴なる威厳。龍銘を思い出し、ユキカゼは呆然と呟いた。

「御前…幻龍リオレイア。実在したんだ…」

 三人と一匹が見守る中、白夜姫の謁見は粛々と過ぎ去ってゆく。紅玉のように真っ赤な瞳が、僅かに動いて周囲を一瞥。身動き一つ出来ぬ人間達を、幻龍は歯牙にもかけない。まるで眼中に無いかのように、無関心を装いながら。霧より現れた飛竜は、再び霧の彼方へ溶け込み消えた。
 まるで白昼夢を見ているかのような出来事。それは同時に、見果てぬ夢へと駆り立てる。悪知恵だけが働く貧相な毒怪鳥の中で。奇声を発して飛び起きると、狡龍は目の色を変えて飛び去った。

「ちょ、おま…みみ、見たか?でけーのなんのって…」
「あ、いや、うん…でかかった…かな?大きさはそんな…でも見た!」

 幻龍リオレイア。沼地に生息する雌火竜で、ギルドが認定した銘入の飛竜。しかしながら、その正確な全長や生態、危険度は不明とされて来た。何故なら…あまりにも遭遇例が少ないから。だから誰も知らない…ただ持ち帰られた鱗の齢紋から、どうやら后龍の血族であるらしい事を除いて。

「でも何だろ?なんで狡龍は急に…」
「ああ…ありゃホの字だな。な、アズにゃー解るべ?」

 含み笑いを零しながら、轟く遠雷に追われて。アズラエルは先んじて、キャンプへのぬかるんだ道を駆け抜けていった。故郷の追憶は次第に、晴れゆく霧と共に薄れてゆく…遥か遠く果て無き彼方へ。

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